8-5.彗星の毒

「という次第です」


 到着した刑務部の初老の男は、カルナシオンの報告を一通り聞いた後に眉を寄せた。薄くなった頭部に茶色い巻き毛が貼りつくように並んでいる。明らかに毛の量より多い整髪剤を使っていた。


「お前の報告は相変わらず抜けがないな」

「それはどうも。部長の教育の賜物でしょう」

「冗談のセンスはないな」


 ステージの上は、事件発生当時のままだった。遺体は仰向けに転がって、茶色く濁った眼で空を睨みつけている。口の端には血なのかトマトソースかいまいちわからないものが付着していた。両手は指先だけ赤く染まっており、それぞれの指は全く別の生き物のように四方に捻じれている。

 若い刑務部の人間たちが、床やテーブルを丹念に調べまわっていて、未だに離席を許されない大会参加者たちは居心地悪そうにしていた。


「で、その二人は?」


 初老の男はカルナシオンの後ろにいた双子に目をやった。


「一人はうちの従業員で、もう一人は法務部の新人です。俺は今は一般人ですから、部長の到着まで立会人になってもらったわけで」

「ならもう用事はないだろう。戻ってもらえ」

「駄目です!」


 不意にシャリィが椅子に座ったまま声を上げた。


「死体の横にずっと座っているなんて嫌です。坊ちゃんとお嬢様がいなかったら、私は怖くて怖くて死んでしまいます!」

「……彼女は?」


 嘆くメイドを見て、刑務官が尋ねる。


「参加者の一人のシャリィ・リークレットです。さっきからこの調子で……個人的には嘘つけ、じゃじゃ馬と思ってるんですけどね」

「はぁ?」

「まぁあの二人がいれば大人しく事情聴取にも応じると思いますから。それじゃ俺は……」


 早々に逃げようとしたカルナシオンだったが、刑務官はそれを逃がさなかった。


「あの二人を残すなら、お前が責任者として見ていろ」

「いやいや、あの二人成人してますし、一人は法務部ですよ? 俺が保護監督しなくてもいいじゃないですか」

「刑務部に戻るリハビリだと思え」

「だから戻りませんって……。それより毒物の種類は特定出来たんですか?」

「お前は何だと思う」


 男は世間話のような口調で問う。それに対してカルナシオンはつい口を滑らせた。


「眼球の混濁、手足の鬱血、口腔内に傷がないにも関わらず吐血したことから考えると、「彗星の毒」ですかね」

「無傷だったのか?」

「えぇ、虫歯ぐらいはあるかもしれませんけどね。血の混じった水が舌下に溜まっていました」


 そこまで言ってから、カルナシオンは自分が喋りすぎたことに気付いて黙り込む。相手は愉快そうに口角を吊り上げた。


「不味い珈琲を作っている場合じゃないぞ、カンティネス」

「まだ皆の味覚が俺に追いついていないだけです」


 一方、その会話にそば耳を立てていた双子は顔を見合わせた。


「彗星の毒って知ってる、アリトラ?」

「消毒液だよね?」

「それは希釈した場合。魔法によって濃度の調整が出来る、準魔法精製薬物なんだ。医療現場などで使われることが多いから、敢えてそうしている。医療あるいは飲食店なら購入出来る代物だよ」

「この店にもあるのかな」

「確か法務部に使用許可届けがあったから、使っている筈だよ。えーっと、あれか」


 リコリーは周囲を見回すと、ステージ右側の作業用テーブルを指さした。刑務部の人間が店員二人に聞き込みを行っている。その隙間から、大きな円柱型の缶が見えた。表面には正式名称である「リシャン洗浄徐毒剤」の文字と、その通称の由来である彗星のイラストが見える。横に水桶が置いてあり、その縁に絞ったダスターが数枚引っかかっていた。


「多分、ダスターを洗う水に使っていたんだろうね。それがピザに混入した……とかかな」

「えー? でもあれって、水に溶かす前の結晶食べても、即死はしないよね?」


 アリトラはシャリィの方を向いて尋ねた。


「はい、その通りです。坊ちゃんはご存じないかもしれませんが、お嬢様なら飲食業従事者の講習などで聞いているかと思います」

「そんなのあるの?」

「民間有志によるものです。以前に、彗星の毒で中毒死が発生したので、その予防として始まったらしいです。私はメイドとしてのお仕事をお休みする間は父の店で働いていますので、それでよく知っています。彗星の毒自体に、即効性の殺傷力はありません。百グラム食べても、三日間寝込むぐらいです」

「じゃあなんで、マスターは彗星の毒が原因だって言ったんだろう?」


 リコリーが疑問を呈すると、シャリィは顎に指を置いて首を傾げた。


「カルナシオン様は気化中毒のことを指したのではないでしょうか」

「気化中毒?」

「はい。以前起きた中毒事件も、濃度を最大にした彗星の毒を混ぜた水を蒸発させてしまったことが原因です。私は書類上しか知りませんが、カルナシオン様は元は刑務部。そのような事故も多々知っている筈です」

「気化すると危ないの?」

「いえ、自然に蒸発する分には問題ありません。でも魔法によって一気に蒸発させたものを吸い込んだりすると、致死量に到達する危険性があるのです」


 シャリィは、テキストを諳んじるかのように述べる。「ボリーナ」の店長であるシャリィの父親は、飲食店に関わる全ての条例条約を暗記しており、娘にも徹底的に叩き込んでいる。店を出すときにセルバドス家が、退職金の名目で資金を出したことに対しての礼儀らしい。資金を出したと言っても、せいぜいがガラス窓を全て買えば終わるぐらいのものでしかなかったが、毎日そのガラスを店長が磨いていることは、商店街では有名である。

 要するにシャリィの感激しやすい性格は、父親譲りのものだった。


「彗星の毒は作業用のテーブルにあった。でもあの毒で死ぬには、気化しないといけない」


 リコリーは今の情報を呟きながら整理する。


「つまり、誰かが濃縮された彗星の毒を持ってきて、気化したってことになるけど……」

「他殺ってこと?」

「多分……」


 自信なさそうに呟く片割れに対して、アリトラは目を何度か瞬かせた。

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