7-14.いつかあったかもしれない物語
男は謁見室へ続く廊下を駆けていた。外からは群衆の声と火薬の爆ぜる音が続いている。
男は貴族の服装とはかけ離れた格好をしていたが、腰に下げた剣は王室近衛隊の証である蛇の彫刻が刻まれていた。尤も、その任にいたのは二か月も前のことである。翡翠王の横暴な軍事拡張に抗議した結果、虫でも払うかのように近衛隊長の座を下ろされた。
「だから止めたのに、馬鹿な王だ。着飾ることしか能のない馬鹿に祀られているだけはある」
最初は翡翠王も真面目だった。だがその容姿や、少々政治の手腕をほめられたことで調子に乗ったのだろう。気付けば湯水のように金を使って、無駄な兵器や魔法陣を大量に作った。剣の振り方も知らない貴族共に煽てられて、翡翠王は増長していった。その結果がこれである。
「待て! 貴様、何処へ行く!」
前方の部屋から出て来たのは近衛隊の騎士だった。勇ましく叫んだ直後、男の顔を見て唖然とする。
「た、隊長……」
「退け」
そのまま進もうとするが、相手は剣を構えた。鎧の擦れる音が耳障りに廊下に響く。鎧に無駄な装飾や、それを行うための軽量化をしているために起こるものであり、男が隊長であった頃はそれを禁じていた。
「貴方も革命軍に寝返ったのですか!?」
「くだらないことしか言えないなら、引っ込んでいろ」
男は剣を払う。鈍い音がして、続いて悲鳴が上がった。両腕の関節を剣の腹で折られ、兵隊は無様に泣き叫ぶ。伯爵家の三男坊で、父親が金を積んで近衛隊へと入れた。決して怠けるようなタイプではなかったが、才能がなかったのも確かである。勝ち目のない相手に剣を向けたのだから、骨折ぐらいで済んだのは幸運だろうと男は思っていた。
「ぼ、僕の父は……ヴィレンスの……」
「貴殿の父なら先ほど、広場で串刺しになっていたぞ。ここで泣いて震えていろ。革命軍もまだ同情してくれる」
倒れた体を乗り越えて、その先にある謁見室へと男は足を踏み入れる。
扉を閉めて鍵をかけると、奥にある玉座の方へと進む。
「ルル」
小さな声が聞こえた。玉座の後ろに隠れていた小さな女の子が顔を出す。
舌足らずなため、五歳になった今も男の名前を正しく発音出来ない。だが男はそれを可愛らしいと思っていて、そう呼ばれることを喜んでもいた。
「はい、姫君。貴女のルルですよ」
小さな体を抱き上げる。外に降る火薬でも血でもない、柔らかなミルクの匂いが鼻をついた。
「姫君。もうこの国は駄目です。お父上もお母上も兄上達も助かりますまい」
そう言うと、まだその意味を半分も理解出来ていないだろうに、女の子は何度も頷いた。父親譲りの金色の髪は、今日は誰にも巻いてもらえなかったのか、真っ直ぐに肩に落ちている。
この髪は隠さなければならない。此処に来るまでに調達した薬剤のことを思い出して男は唇を噛む。それを使えば髪は傷んで色を失う。この生まれた時から鋏一つ入れたことのない髪を傷つけることだけが、男には苦痛だった。
「さぁ、私にしっかり掴まってください」
並べられた肖像画を見る。本心では翡翠王の肖像画を滅茶苦茶に壊したい気分だったが、それをするのは憚られた。他の肖像画の中で、廃王の額縁を見つけると、そちらに手を向ける。ここに革命軍が乗り込んできても、焦げ付いたのが廃王の肖像画であれば、不審には思わないだろう。そういう算段が男にはあった。握りこまれた精霊瓶の中で白い鳥が羽ばたいていた。
「外に出たら、約束通りピクニックに行きましょうね」
近衛隊長であった男は、数か月前に交わした他愛もない約束のために、何もかもを裏切ろうとしていた。
END
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