6-5.とある疑惑

「お祖父様、お祖父様」

「大変です」


 食堂車に戻ってきた双子は、この騒ぎの中でも平然としている祖父のところに駆け寄った。

 新聞を読みながら珈琲を飲んでいたギルは、長男であるゼノにも引き継がれた顰め面でそれに応じる。


「みっともないから走るんじゃない」

「さっきのベルセさんの伯父さんが、列車から転落したんです」

「サロンのバルコニーから落ちちゃったんだって」

「知っている。車掌が大慌てで飛んで行ったからな。いいから落ち着いて座りなさい」


 ギルの言葉に、双子は素直に従った。だが椅子に座るなり、アリトラは再び興奮気味に口を開く。


「車椅子でバルコニーに出て、景色を見ようとして落ちちゃったんじゃないかって。足は悪いけど何かに掴まってなら立ち上がることも出来たみたい」

「ベルセ殿がそう言ったのか」

「うん。車椅子の足かけのところに靴で踏ん張った跡がついてたし、懐中時計も落ちてたもの」

「あぁ、あのご自慢の金の懐中時計か。私から見れば悪趣味の極みだが、持ち主が一目でわかるのは良いことだ」

「でも」


 急にリコリーが口を開く。


「それって変だと思うんです。懐中時計がどうしてバルコニーに残されるんでしょうか?」

「どうしてって、そういうこともあるだろう。時計を適当に扱って、落としてしまう者は多い」

「時計には傷がなかったんです。大事に使っていた証拠だと思います。それに金で出来ているんでしょう? いくら大金持ちだって、ちゃんとポケットにしまうと思いますけど」

「では丁度手に持っていたのではないか?」


 リコリーは首を振って否定した。


「ベルセ老人は何かに掴まれば立ち上がれたそうです。でも片手でバルコニーの柵を掴んで立ち上がったりしないでしょう? 安定しませんから」

「立ち上がった後に時計を見ようとしたのかもしれないぞ」

「目撃者の話では、バルコニーに誰かいるのが見えたそうです。そして目の前で柵の向こうに倒れこむように落ちて行った、と。懐中時計で時間を確認していたとは思えません」


 ギルはその言葉に対して、小さく呻くような声を出す。


「柵の向こう側に落ちたということは体重を外側にかけていたということだ。落としてしまうかもしれないのに懐中時計を取り出したりしないな」

「あ、そういえば」


 リコリーの話を聞いていたアリトラが思い出したように言った。


「すっごく不自然なことがあった。入った時に、車椅子がバルコニーで動いて、ドアにガンガンぶつかってた」

「それの何が不自然なんだ」

「車輪をロックしてなかったってことでしょ。ただでさえ足場がいいとは言えないし、他に誰もいないのに、車輪をロックしてないまま立ち上がるなんて出来ると思わない」

「……なるほど。それは確かに妙だな」


 興味を惹かれたギルは、新聞を畳んでテーブルの隅に置く。

 ただそれは知的好奇心というよりは、孫たちの話を聞いてやろうとする、祖父の優しさに近かった。


「ベルセ老人が自分で立ち上がって落ちたのではない。お前たちはそう言いたいわけだな?」

「その可能性がある、というだけです」

「目撃者は?」


 その問いにアリトラが答える。


「アタシ達が入った時、女の人がいた。その人が、誰かが落ちたって言ったの」

「その女性がベルセ老人を落とした可能性は?」

「だったら悲鳴なんて上げないと思う。こっそり落として知らん顔してればいいだけだし。それにサロンの出入り口には鍵はかかっていなかったから、落とそうとするときに誰か入ってくるかもしれないし、アタシだったらやらないな」

「サロンは十号車だったな。双子は何処にいたんだ?」

「九号車のギャラリー。でも、他には誰もいなかった。悲鳴が上がってすぐに扉を開けて、そしたら女の人が床に座り込んでたの」


 ギルは年を取って少し色素が抜けたが、まだ十分に黒い顎鬚をさすった。


「女性は何処にいた?」

「サロンの中央です。楕円形のテーブルがあって、その上に珈琲や紅茶を入れるための道具が揃ってました」

「お前たちがサロンに入った時にバルコニーは見えたか?」

「見えませんでした。テーブルと出入口が直線上にありましたし、女性に気を取られてましたから」

「その女性は、何か飲み物などを用意していたのか?」

「えーっと、珈琲を零してました。軽い火傷をしたみたいです」


 それに相槌を打つことなく黙り込んだギルは、冷めた珈琲で口を湿らせる。双子は祖父が何か考え込んでいるのを見て、素直にそのまま静かにしていた。だがそのまま沈黙の時間が流れ、二分を超える頃にはとうとうアリトラが痺れを切らして口を開いた。


「お祖父様、何か気になるの?」

「私はただ、女性がどうして老人が落ちる瞬間を見れたのか考えていただけだ。偶然にしては出来すぎている」

「確かに。どうしてかな?」


 疑問を口にするアリトラに、ギルは素っ気ない態度で肩を竦めた。


「気になるなら、自分で調べるといい。我が一族の人間たるもの、努力を怠ってはならない」

「そんな大げさな」

「大げさなものか。セルバドス家がここまで地道に没落せずに続いてきたのは努力によるものだ」


 双子は互いに顔を見合わせて苦笑を零した。祖父はセルバドス家の歴史を誇りとしており、事あるごとに口にする。王政初期から続く名家だの、王の腹心の部下だっただの、近衛隊長を代々任されていただの、その内容はいつも同じである。

 セルバドス家が王政時代に貴族だったのは確かだが、爵位もなければ領地もない貧乏貴族であり、革命期を無事に生き延びたのも、革命軍がセルバドス家を貴族と認識していなかったからだと、伯父のリノなどは言っている。


「話が長くなりそうだよ、リコリー」

「もう一度サロンの方に行ってみようか、アリトラ」


 二人は小声で言葉を交わすと、椅子から立ち上がった。

 祖父のことは心から愛しているが、老人の昔話ほど退屈なものはない。こういう時は逃げるが勝ちだ、と教えてくれた父親に感謝しながら、二人は足早に食堂車を抜け出した。

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