9-25.シノ対カルナシオン
氷の槍が降り注ぎ、雪を抉る。そのうちいくつかを火炎が溶かし無力化すると同時に、蒸発気体が雪と混じり合って煙幕状になる。続けて雪の中から無数の氷塊が弾け飛ぶが、同じ数の火弾が全てを撃ち落とした。
激しい魔法の応酬が山と大気を震わせる。その中でシノは魔導書を抱え込み、頭の中で必死に勝算を練っていた。無数の戦法が頭の中に列挙され、立地条件や体勢、距離などで有効手段が選別されていく。残った数少ない候補から一つの手段を選び、魔導書を開きなおす。
「氷の鎖よ!」
小さな魔法陣が宙にいくつも浮かび上がり、そこから氷で出来た細い鎖が投擲される。軌道は直線ではなくランダムであり、避けることは難しい。雪と氷で出来た煙幕の中という条件下では難易度は遥かに高くなる。
だがその軌道上に、別の魔法陣が浮かび上がった。
「燃やし尽くせ」
地面と水平に展開した魔法陣から、火の矢が空に向けて発射される。鎖を絡めて切断しながら上昇した矢は、途中で鏃の向きを変えると勢いよく下降を始める。上昇時に絡め取られた鎖が下降することで他の鎖を巻き込み、全ての鎖が行き場を失って地面に落ちる。
「……私の攻撃を見てから、魔法陣を作ったのね。精霊瓶一つで」
地面に刺さった矢が鎖を溶かして燃え尽きるのを見ながら、シノは呟いた。舞い上がった雪の向こう側で、カルナシオンは精霊瓶を構えたまま黙っている。
「貴方は昔から本当に何でも出来たわ。何の努力もしないで、大人が何か月もかかる魔法を習得して、教本も一度読めばすぐに覚えたから、何年経っても新品みたいだった」
魔導書を捲りながらシノは言葉を続ける。依然として脳細胞は目まぐるしく動いていたが、口調は穏やかだった。
「一番腹が立つのは、貴方は自分が天才だと思っていないことよ。まぁそれが良いところかもしれないわね。五年前まで貴方は真の意味で天才でいられたから」
「……何が言いたい。時間稼ぎか?」
「皆の努力を軽々と乗り越えて、嫉妬心すら抱かせないほど凄まじかった。私は貴方に負けたくないと思って、みっともなく努力して食らいついてきた」
わかる? と問いかけたシノに対してカルナシオンは僅かに視線を逸らす。だがシノはそれを逃すまいとするように言葉を放つ。
「ねぇ、カルナシオン。私は努力しているのよ。貴方が五年前に全てを投げ出して復讐に生きてからも、ずっと」
あるページで指を止めたシノは、その紙が千切れそうなほど強く指先に力を入れ、カルナシオンを睨み付けた。
「だから絶対止める」
「……お前に俺の何がわかるんだ。ご丁寧にこんなところまで引き止めに来て、俺の五年間を無に返そうってのか?」
カルナシオンは憤った声で言い返す。
「復讐は何も生まないとか、ご高説を言いに此処まで来たのなら余計なお世話だ。俺は復讐しなきゃ何処にも行けない」
「貴方は生きるために復讐するんじゃなくて、懺悔するために復讐するんでしょう? 五年前に護れなかったリーシャとロンのために」
「そうだ。お前が口出すことじゃない」
「いくら凶悪犯でも、殺してしまえば貴方が殺人犯になるのよ。残されたロンはどうするのよ」
「それはちゃんと考えて……」
「ちゃんと考えて、どうしてこの結論になるの」
雪の中、一歩間合いを詰めたシノの青い瞳にはカルナシオンの姿しか映っていない。
「貴方の気持ちは私にはわからない。でも想像は出来る。もし私がホースルや双子を亡くしたら、同じことをするでしょうね。そして……カルナシオンはきっと私を止めるはずだわ」
その言葉にカルナシオンは驚いた表情を浮かべる。だが否定の言葉は出なかった。シノはその目の奥の感情を読み取るつもりはなかった。誰よりも良く知る好敵手の思考を今更疑う必要もない。だが、生まれた一瞬の隙だけは逃さない。
宙に大小合わせて十個の魔法陣が展開し、それぞれ同時に動き始めた。大気を動かし、風を止め、水素から透明な氷を作り上げる。氷同士が連結して多数の歯車を生み出していき、それらが噛み合って巨大な一つの装置になっていく。
「言ったはずよ、カルナシオン」
雪上に築かれたのは、見上げるほどに高い塔だった。透明な直方体をした胴体の中で無数の歯車が駆動し、氷で出来た弾丸を生成する。次第に大きくなりながら塔の先端まで運ばれた弾は、スタンバイしていた大砲の中に飲み込まれた。
ただの氷塊を投擲するような魔法攻撃と異なり、火炎魔法で消し去れるものではない。カルナシオンがどんなに優れた魔法使いであろうとも、シノはこの魔法を破られない自信があった。
五年間、毎日のように研究を重ねて生み出された、シノが持ちうる全ての技術の結晶。才能の差を覆し続けた、不屈の精神の象徴。
「私を甘く見るなって!」
大砲から氷で出来た砲丸が発射された。磨き抜かれた球体の表面に、カルナシオンの姿が一瞬映る。その表情はどこか安心しているようだった。
そして、山を一度大きく揺るがすほどの爆撃音が辺りに響き渡った。
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