9-21.唯一の矛盾
店内は荒れ果てたままで、何故かシンクには使ったばかりの皿が放置されていたが、洗われた形跡はなかった。
「外に出る扉があったのは、此処」
アリトラは何もない外壁を指さした。扉は大破して店内に転がっている。扉があった場所から斜め左側にカウンターと客席を行き来するための出入り口がある。
「わかりやすいように、道路に面した扉を外扉と呼ぶね。外扉からカウンターの出入り口までは少し距離がある」
アリトラは自らカウンターの中に入って、外扉との位置関係を示す。距離は二メートルほどで、その間に障害物はない。
「店の外で発見された魔法陣は、紙に書かれた簡易なもので、威力は高いが調整が出来ないものです。爆破軌道は紙に対して垂直……要するに直線型ですね」
「魔法陣が外の壁に仕掛けられてたんだろ? それは軍の方にも情報が流れてたから知ってるぜ」
双子が何を言いたいのかわからないカレードは、不可解そうな面持ちで返す。
「壁が吹き飛ばされてしまったので明確なことは言えませんが、店内の破損状態から考えて、このあたりだったと考えられています」
リコリーが外壁の穴の中央に立つ。
「バドラスはマスターがいなくなったのを見て、煙草屋から出てきて店の外壁に魔法陣を仕掛けた。本当にそうでしょうか?」
「違うのか?」
「バドラスを捕まえたのはマスター。だからマスターに逆恨みしている……。これは僕達も含めた関係者全員が持っていた「前提」です。でもそれだと、アリトラが生きている理由がわからない」
カウンターからフロアに出て来たアリトラは、右前方へ数歩歩く。
「外の音を聞いたアタシは、フロアに一度下りた。でも掃除道具を取るために引き返した。左足をこの段差に引っ掛けて、右足を後ろに上げた状態で中に手を伸ばした」
右足を軸にその場で反転し、背中を向ける。外に立ったリコリー達からは背中しか見えない。
「此処で爆発が起きて、カウンターの中に吹き飛ばされた。でも変なんだよね」
「何がだ?」
「靴の底です。この通り、アリトラは扉に近づくのを途中でやめて引き返した。もし爆発が外壁に対して垂直に起動していたなら……」
アリトラが右足を後ろに上げる。リコリーは中に入って近づくと、壁と垂直になるように靴の踵に指で線を引いた。
「このように靴の外側に向けて深くなるような抉れ方になります。でも実際は逆です。でも爆発軌道が正しいことになると、アリトラがカウンターではなく、何もない壁の方向に向いていたことになる」
その場でアリトラは左足だけ動かして、身体の向きを変える。カウンターの中に向かうのではなく、その隣にある壁を見るような格好だった。
「でもアタシはそんなことはしてない。意味もない」
右足を下ろして、カレードの方を振りむいたアリトラが話を続ける。
「じゃあ爆発軌道が違うということになる。でも焦げ跡や破損からは爆発が直線型だったことを覆す要素はない。この矛盾をどう片付けるか」
「えーっと、爆発は直線で、妹の方は背中を向けてカウンターの中に入ろうとしていて……」
額を押さえてカレードが呻くような声を出しながら考え込む。だが、不意に言葉を止めると、ゆっくりを顔を上げた。指の間から紺碧の目を見開き、店の中を見回す。
「もしかして、爆風だけ先に起きたのか?」
「爆発軌道が変わらなかったのなら、変わったのはアリトラの体勢です。先に爆風、続いて爆発が起きた。殆ど怪我もなくシンクの下に入り込めたのも、そのためかもしれません。……でも外に落ちていた魔法陣でそんなことは出来ない」
リコリーは自分の精霊瓶を掴むと、二つの魔法を詠唱した。指先に小さな旋風が発生し、続けて軽い爆発音が鳴る。
「二つの魔法を続けて行うには、もっと複雑な魔法陣が必要です。精霊瓶を持っているなら可能ですが、バドラスは脱獄したばかり。精霊瓶は刑務部の管轄下にあって持ち出せない。そもそも持っているなら、魔法陣なんか使う必要ありませんしね」
「だったら、なんでこんな……」
カレードは喉元まで出かかった疑問符を、寸前で飲み込んだ。その優れた直感は理屈より先に解答を出してしまっていた。
その様子を見たリコリーは小さく頷く。
「爆破はディードが起こしたんです。かつて魔法も剣も使え、神童とすら呼ばれた彼が」
「……何のために?」
思考が追い付かないカレードは、いつもより遅い口調で聞き返す。それに対して答えたのはアリトラだった。
「アタシを殺さず、そして店が営業できない程度の被害を出すため。死者が出てしまうと、中央区から出ることが難しくなるし、念入りな調査をされてしまう。でも他に被害者も出ないまま、次々に爆破が起こったらどう思う?」
「……そっちに気を取られる」
「皆の意識が、「次の爆破」に向く。結果として、主要な魔法使いや軍人は煙草屋に残されていた地図を頼りに、中央区から北区へ向かった。そっちに二人がいると信じて」
アリトラは一度唇を固く結んでから、頭の中にある情報を組み立てる。
軍、制御機関、喫茶店、煙草屋、ワナ高原、古戦場跡地。全てがシスターという薬物で繋がっている。それは「誰でも気付けること」であり、だからこそ誰も、それ以外の可能性を見なかった。
「これまで爆破は全て、ディードに操られたバドラスの仕業だと考えられていた。でもディードが爆破を行っていたと仮定すると、これまでの皆の予想がひっくり返る」
「煙草屋はディードがバドラスのために用意した。何故ならバドラスは脱獄した人間で、家も財産もないからです。そう考えるのが定石であり、そして事実、あの部屋には計画表や調査書が残されていた。地図はマスターや……ラミオン軍曹をおびき寄せる餌でしょう」
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