9-5.或る男の高原

 カレードは軍の敷地内にあるヤグラの上で、柵に寄りかかって遠くを眺めていた。中央区の郊外にある軍の指揮地からは、アカデミーや博物館、制御機関まで一望出来る。

 雪が今にも降りそうな曇天の下、街には街路樹以外の自然は見当たらない。


「……雪、降る前に行かないとな」


 五年前まで、カレードは国境軍に属していた。そこには町どころか民家もなく、ただ肌寒い空と大地だけが広がっていた。

 国境には、ハリとフィンを跨ぐように移動する遊牧民がいて、彼らの信仰する精霊の名前に因んで、その一帯は「ワナ」と呼ばれていた。


 貧民街から出てきて、生きるために様々な悪事を重ねて生きて来た「レシガン」という少年は、剣を手に入れて軍人になり、「スイ・ディオスカ」となった。スイとして生きて来たのは僅かな間であるものの、カレードがその時のことを忘れることは無い。


「大剣、此処にいたのか」


 櫓にミソギが昇ってくると、カレードは面倒そうにそちらを見た。


「なんだよ、サボってねぇぞ」

「そんなこと言ってないじゃないか。何してるんだい?」

「高原を探してた」

「は?」


 素っ頓狂な声で聞き返されて、カレードは自分があまりに妙なことを言ったのに気付く。


「何でもねぇよ。お前こそ、外で七番目と何話してたんだ?」

「さっき出た第三警報についてだよ」


 ミソギは櫓から、自分が先ほどまでいた店が見えるのを確認する。しかし距離があるために店は指先ほどの大きさにしか見えない。ミソギとホースルが窓際にいたとは言え、並みの視力で捉えられるものではなかった。


「どうなってるんだよ、お前の視力」

「学もなきゃ戸籍もない人間が生き延びるには、五感が鋭くねぇとな。七番目、何か言ってたか?」

「情報収集に来ただけだよ。何しろあいつが興味あることなんて、双子ちゃんのことだけだからね」

「それもそうだな」


 カレードはあっさりと納得する。平素から双子のことを仔犬か何かだと思っているが、ホースルがその二人を溺愛していることは知っていた。

 一度、戯れにリコリーをからかっていたら、本気で殺されかけたこともある。百戦錬磨の十三剣士であるカレードが冷や汗を流すほど、ホースルの殺気は凄まじかった。


「お前と七番目って、よくわかんねぇよな。仲がいいのか悪いのか」

「仲が良い訳ないだろ。あいつが変なことしないように見張ってたら二十年経ってただけだよ」

「その割に喧嘩とかもしてねぇよな」

「喧嘩というのは相反する価値観により生じるものだろう? あいつの価値観はぶっ飛びすぎてて理解不能。まぁ双子ちゃんが生まれてからは多少人間らしい判断をするようになったけどね」


 ミソギはそう言ってから、「二十年か」と呟いた。


「あの頃から比べると、色々変わったよ。十三剣士で一番若かった俺が、今じゃ上から数えた方が早い。あの時に瑠璃の刃を潰しに行った剣士は、隊長を含めて四人しか残っていない。俺がいなくなるころには、瑠璃の刃のことだって忘れられてるかもしれないね」

「急になんだよ」

「お前が拘り続けている、ワナ高原の事件もいずれは忘れられる。お前はあの事件に固執すべきじゃない」


 カレードはその言葉を聞いた途端に、反射的に手を伸ばした。ミソギの軍服の胸元を掴み、力任せに捻り上げる。固い生地で出来た服は、繊維の切れる微かな音を立てはしたものの、破れることはなかった。


「何が言いてぇんだよ!」

「あの外道に対するお前の憎しみはわかる。復讐を止めるつもりは俺にはない。でもお前は復讐した後のことを全く考えていないように見える」

「だから何だよ」

「お前は復讐のためなら命すら惜しくない。だから後の事なんか考えていない。そうじゃないのかい?」

「それの何が悪い」


 隠すわけでもなく、当然とばかりに言い切ったカレードに対して、ミソギは呆れたように首を振る。


「生き残らない復讐なんて、復讐とは呼べないね。相手より一分一秒でも長く生きてこそ、初めて勝ったと言えるんだ」

「知ったような口をきくじゃねぇか。お前に俺の過去なんざ関係ないだろ」

「関係ないよ。七番目だったら、お前が復讐の果てに死のうとも生き残ろうとも、なんとも思わないだろう。でも生憎と俺は人間なんだ。目の前で命を無駄にしようとしている奴を止めたいと思うことの何が悪い」


 ミソギはカレードを睨み付けながら、未だに服を掴んでいる手を払い落とした。


「あの外道がお前にしたことは知ってるよ。お前がそのせいで、彼らを皆殺しにしなきゃいけなかったことも。だからお前はシスターを憎んでる。あの外道を憎んでる」

「そうだよ。それの何が悪い」

「だから、悪くはないって言ってるだろ。死ぬつもりで復讐する気ならやめろって言ってるんだ」

「……お前には関係ねぇよ」


 吐き捨てるように言って、カレードは梯子を下りて行った。一人残されたミソギは、溜息をついて頭を掻く。


「まぁ関係ないって言われれば、その通りなんだけどね。その程度で手を引っ込めると思うなら、お前は俺を見くびってるよ」

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