8-10.『夜の糸』
上司と入れ違いに、二人は部屋の中に入る。そこには長い髪をした三十代前後の女性が、落ち着かない様子で座っていた。よく手入れされた赤い髪は、照明の光を浴びて淡い茶色に見える。
「まぁ、そう緊張しないで。話を聞きたいだけだ」
女性の向かい側に腰を下ろしながらヴァンが口を開く。リコリーもその隣に座り、ノートを開いた。
「じゃあまず、素性を教えてくれるかな」
「第一地区で手芸屋を営んでいる、メリア・ヘージュ……です。ただ、商人の間では、店の名前……『夜の糸』と呼ばれています」
「被害者との関係は?」
「私個人は、あまり関係ありません。父が懇意にしていたそうです。昔のよしみで仕事の斡旋を頼まれたのですが、父は数年前に亡くなり、私が店を継いだので」
「斡旋を断った?」
メリアは一度頷くと、不快なことを思い出したように眉を寄せた。
「あの人、父の葬儀に呼ばれていませんでした。だから父が亡くなったことも知らなかったんです。口先では懇意にしていたとか言っていますが、正直眉唾物でしたね」
「しつこく絡まれたりしたか?」
「まぁ……少々。大概はお酒を飲んで来るので、何を言っているのか支離滅裂でしたが。床に戻して、床板を貼りなおす羽目になったこともあります」
「そりゃ腸が煮えくり返っただろう」
ヴァンが突っ込むと、メリアはその視線を真っすぐに受け止めて微笑んだ。
「えぇ、とても。工事は格安でしたけど、値段で怒りが増減されるわけでもないし。……ですがそれで殺したりなんてしませんよ。どうせ放っておけばパルフェストが倒産することなんて、誰にでもわかっていたんですから」
「誰にでも?」
「本人が一番わかっていたはずです。色々な店に仕事の斡旋を頼んでいたようですが、あれは仕事が貰えないこと前提の嫌がらせだったと思います」
「どうして、そう言い切れる?」
「簡単なことです」
最初の態度から一転し、商売人の顔になった女は艶のある髪を掻き上げながら言った。
「お酒を飲みながら「仕事をよこせ」なんて言う経営者に、誰が仕事を差し出すんでしょう」
「なるほど」
「それに自分より若い女から仕事を貰うつもりなんて更々なかったんでしょう。そういう変に自尊心が高いところが、あの落ちぶれ具合を招いたんですけど」
「死人を悪く言う真似はどうかと思うが」
苦言を呈したヴァンに、メリアが鋭く睨み付ける。
「どうせ、口を閉ざしたところで無理矢理開かせるのが貴方の仕事でしょう。私はそちらに敬意を表して、ありのまま話しているのです。説教するのであれば、もう何も証言しませんよ」
「わかった、わかった。俺が悪かったよ。んで、今日も絡まれていたようだが?」
「今日は私は出店者側だったのですが、彼が私のところでネチネチ絡んできました」
「出店側になることは多いのか?」
「いいえ。このような場所に来るのは今回が初めてです。店を継いでから、参加の誘いはあったのですが、いつも都合が悪くて。でもこんなことになるなら、無理に予定を空けなければよかった
メリアの話によると、新しい刺繍糸の売り込みのために出店しており、更には実演として実際に客の前で刺繍をしていたところに被害者がやってきたらしい。
刺繍の腕を馬鹿にし、更には「口に出すのもおぞましい」言葉を繰り返し叫んだため、客が全て逃げてしまったと言う。
「でも無視し続けていたら、何処かに消えましたね。あぁいうのを構うと碌なことになりません」
「それは、ごもっともだな。その後はどうしたんだ?」
「さっきの人が私を連れて来た時にも言いましたが、また来ては堪らないので、二階の隅に隠れて刺繍の続きをしていました。特に誰にも会いませんでしたね」
パルフェストと揉めたことや、アリバイが一部ないことを素直に話した女は、疲れたように溜息をついた。
「死んでも迷惑な人って珍しいと思います」
「あの」
リコリーが口を挟むと、女はそこで初めてリコリーに気付いたような表情を浮かべた。
「貴女は、照明管の取り扱い資格は持っていますか?」
「は?」
メリアは不思議そうに首を傾げた。
「持っていませんが……」
「なら良いです。失礼しました」
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