6-4.危機一髪
一通り話を聞き終わってから、双子は職員室を後にした。受け取った鍵を右手で宙に放りながら、アリトラが不満そうに口を開く。
「全く、嫌になっちゃうよね。逆恨みもいいところだよ」
「番狂わせって言ってたけど、中央区学院が勝つのって珍しいの?」
「弱い剣術部の代名詞みたいなものだったみたい。でもそんなのアタシの知ったことじゃないもん」
リコリーはなんとなくアリトラのローブの刺繍に目を向けた。
大きな銀色の剣の刺繍は、国立大会の優勝者に与えられるものであり、つまりそれはアリトラが同世代の女子の中で最も強い剣士であることを示していた。
数か月前の大会で、アリトラは前年の優勝者相手にあっという間に勝ち星を上げてしまった。剣には全く詳しくないリコリーは呆然としていたが、それは周りも同じだったらしく、今のは誰だ、と対戦表を舐めるように見ていたのを思い出す。
片割れの活躍が誇らしい反面、自分の運動神経の鈍さが目についてしまって少々憂鬱だが、リコリーはアリトラが剣を振るうのを見ているのは好きだった。
「僕も、もう少し運動神経よかったらなぁ」
「その代わり、頭いいからいいんじゃない?」
「……アリトラは勉強したほうがいいよ」
「やだ。勉強嫌い」
「落第しても知らないよ」
「大丈夫。どこまでやればギリギリ進級出来るかはライチに教えてもらってる」
頭は良いが運動神経の悪い兄。頭は悪いが運動神経の良い妹。
それが双子に貼られたレッテルだった。
校舎をいくつか抜け、第五演習場の前まで辿り着く。
昼間に食事をした第七演習場と比べると一回り小さく、入口には「剣術部」と金属製のプレートが嵌め込まれている。
名目上は数ある演習場の一つでありながら、剣術部が専用に使っているのは明らかだった。
「すぐ戻ってくるから、待っててね。あ、そうだ」
入り口の扉の鍵を開けながら、アリトラが思い出したように振り返る。
「また不良に絡まれたら大声出して呼んでね」
「だから、僕は」
「今度は剣あるから、三人でも五人でも大丈夫」
中に入ってしまったアリトラを呼び止める暇もなかった。
リコリーとしては、あまりアリトラに危険なことはして欲しくない。お転婆という段階を遥か昔に飛び越えてしまったのか、好戦的ですらある。
「怪我でもしたらどうするんだよ。全く」
文句を言いながら、ドアの表面に目を走らせる。ナズハルトの話では、貼紙はこの扉に貼ってあったらしい。
虫ピンの跡はいくつもあったが、どれが貼紙を張っていた場所なのかはわからない。部員向けの告知で使うのか、扉には元々いくつもの虫ピンが刺さっていた。
「扉は木製。ピンもある。数秒もあれば作業は可能だ」
独り言をつぶやきながら、辺りを見回す。
学院の広い敷地の一角にあるが、周囲を雑木林に囲まれているので、かなり薄暗い。誰かが忍び込んで貼紙を貼ったとしても、それを見咎められることはなさそうだった。
「狩人よ、聖地より去れ。……狩人っていうのは、ちょっと変だな。剣術部だよね、ここ」
狩りに剣を使うことは、ないわけではないが、野生の動物は中距離から遠距離、弓や銃などを用いて仕留めるのが定番である。
弓術部や銃術部ならともかく、剣術部に相応しいとは思えない。
「じゃあなんで狩りなんだろう」
そう呟いた刹那のことだった。
突然、大きな音と共に演習場の窓が割れて、それと同時にアリトラの悲鳴が聞こえた。
「アリトラ!?」
慌てて中に踏み込むと、アリトラが床に座り込んでいた。リコリーから見て右手側の窓が割れて、破片が辺りに散らばっている。
アリトラは何故か剣を抜いており、その右手にいくつか裂傷が出来ていた。
「大丈夫?」
傍に駆け寄ったリコリーが声を掛けると、大きく見開かれた目がリコリーを捕えた。父親譲りの、血のように真っ赤な目は瞳孔が大きくなっていて、相当驚いたことが伺える。
「びっくりしたぁ……」
「怪我してるけど、痛くないの?」
そう指摘されて、アリトラは自分が怪我をしていることに気が付く。そして、窓が割れた驚きや、片割れがいることの安堵や、怪我の痛みなどが一気に体の中を駆け巡り、大粒の涙を目から零した。
「な、泣かないでよ。すぐに治すから」
リコリーは右手で精霊瓶を握りしめると、治癒魔法を詠唱する。傷口が消毒された後に、裂けた皮膚が結合して修復される。
勿論これは傷口の修復に過ぎないため、痛みなどを緩和する魔法とは別物である。目に見えて大きな怪我であれば、その魔法も用いるが、流石に切り傷程度でそこまでやるほど、リコリーは過保護ではなかった。
「これで大丈夫。医務室に行って、ガーゼとか貰って来よう」
その言葉に頷いたアリトラだったが、ローブの袖で涙を拭うと、辺りを見回して首を傾げた。
「なんで窓が割れたんだろう?」
「剣をぶつけたんじゃないの?」
抜き身の剣をリコリーが示す。アリトラはそれに首を振った。
「そんなことしないよ。それに、もしそうなら硝子の破片は室内じゃなくて室外に飛ぶでしょ」
「あ、そうか。じゃあ誰かが石とか投げたんじゃない?」
「違うと思う」
だって、とアリトラは窓を指さした。
窓枠に少し硝子が残っている他は、全て粉々になってしまっており、先ほどから外の肌寒い風が中に吹き込んでいた。破片の殆どは窓の下に落ちて、アリトラが座り込んでいた場所より先には、数個の欠片しか見当たらない。
窓のある壁沿いには、木製の柵のようなものが設けられていて、そこには剣術部が使用している練習用の剣が並んでいた。柵の下にも硝子の細かな粒子が積もっており、光を小さく反射している。
「石を投げた程度じゃ、此処まで細かく割れないよ。それに、もし何かの衝撃でこうなったのなら、もっと破片が飛び散ったと思う。これぐらいの怪我じゃ済まないほどに」
リコリーはそれを聞いて、少々血の気が引くのを感じた。
確かに、これほどまでに硝子が破損する力が加わったとすれば、硝子の飛距離は長くなる。長くなると言うことは、それだけ速度があるということになり、人の体に容易に突き刺さってしまうことは想像に難くない。
下手をすればアリトラが失明、または命を落としていても不思議ではなかった。
「ということは、窓硝子は……。リコリー、どうしたの? 顔色悪いよ」
「お前、よく平気だね」
アリトラは不思議そうに目を瞬かせる。
しかしリコリーが何か言うより早く、誰かが演習場に向かって来る足音が聞こえたため、双子は揃って口を閉ざした。
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