6-6.意趣返し

 雨上がりの道を早足で駆け抜け、店に入ってきた黒髪の女は、真っ先に傘立ての下を覗き込んだ。ガラス玉の中に紛れ込んでいた銀色に塗られた球体を見つけると、安堵の溜息をついて手を伸ばす。

 だがその指先が球体を掴む直前に、傘立てに入っていた緑色の傘が勢いよく引き抜かれた。驚いてその場に尻もちをついた女は、目の前に翻る黒いワンピースの裾を見て、それから視線を上に上げた。彫りの深いくっきりとした赤い目が、女を見下ろしていた。


「あー、眼鏡でわかりにくかったけど、やっぱり『伯爵の庭』のホール店員。髪はネッカチーフで短く見せかけてた?」


 眼鏡を外して肩より少し長い黒髪を縛った女は、濃緑のメイド服に身を包んでいた。普段は眼鏡をかけないのか、鼻当ての跡がまだしっかりと残っている。


「盗聴器を取りに来たの?」

「な、何のことですか? 私は忘れ物を」

「ふーん。じゃあ早くとれば? もうその中には何もないけどね」


 女は下唇を噛みしめアリトラを睨み付けたが、逆に睨み返されて萎縮した。


「あ、本当に来た。ちゃんとお店に戻ってから、盗聴器の具合確認したみたいだね」


 アリトラの後ろからリコリーが顔を出す。その声を聴いた女は、弾かれたように顔を上げて、裏返った声を出した。


「貴方ね! うちの店を盗聴したのは!」

「盗聴なんてしてないよ、人聞きが悪い。僕はただ、貴女の仕掛けた盗聴器の魔法陣を解読して、そこにある情報を読み上げただけ。例えば、傍受するための魔法陣の位置とか、それがどんな環境で作られたかとか、誰がいつ作ったかとか」


 アリトラの横に並んだリコリーは、盗聴器を指先で摘まんで掲げて見せた。


「それを貴女が勝手に、盗聴されたと勘違いしただけですよ。それにしても安く作られてるんだねぇ、盗聴器って。僕でも解読出来るんだから」

「でも、貴方はうちの商品のことまで……」

「あ、それはアタシが頼まれたの。そっちの店には、アタシも偵察に行ったことあるしね。思い出して書くの苦労した」


 アリトラは紙に書かれたメニューを見せつけた。色々な珈琲の名前と、それに使用されている豆の種類が併記されている。


「まぁ半分以上は当てずっぽうだけど、そこまで判断できなかったでしょ。相当慌ててきたみたいだし」

「……偵察?」


 事態が飲み込めずにいる女に、アリトラはわざとらしくスカートの裾を持ち上げて一礼した。


「『マニ・エルカラム』の店員です。覚えてなくてありがとう」

「あの店の……」

「僕はその店とは関係ありませんが、少し忠告したくて協力してもらいました。貴女に指示したのが誰なのかはわかりませんが、盗聴は違法でないにせよ正当な行為とは言えません」


 静かな声で淡々とリコリーは続ける。目に見えない訴状でもあるかのように、その口調は淀みない。


「また近いうちに違法になりますので、これを最後に慎んだほうが良いと思います。因みに僕がしたことも違法ではありませんので、何処に訴えていただいても結構です」

「…………」

「返事がないなら拒否と見做します。あとこの店、今は店じまいしているので、貴女が此処にいるのは不法侵入です。二度としないと約束するなら、店長さんは訴えないそうですよ」


 微笑を浮かべる双子を前に、女はただ何度も頷くしかなかった。

 服の汚れも構わずに立ち上がり、声を上ずらせながらも、二度としないことを宣言して逃げ帰る。双子はそれを見送ったあと、お互いの右手を差し出して打ち鳴らした。


「リコリーが、あの店のメニューを覚えてるだけ書けって言った時には何かと思ったけど、あぁいうことね」

「紅茶の専門店のことは、入ったことがないって言ったけど、珈琲店については何も言ってなかったからね。だから行ったことあるんだろうと思って」

「あれでもうやらないかな?」

「多分ね。違法じゃないから釘差すだけしか出来なかったけど。……これでいいですか?」


 リコリーが振り返ると、店長の女性が丁寧に礼を述べた。


「ありがとうございました。最初はどうなるかと思いましたけど…」

「僕もこれが仕事なんで」

「カッコつけてる。新人のくせに」


 アリトラの揶揄う言葉に、リコリーは恥ずかしそうに頬を染めた。


「いいじゃないか、カッコつけても」

「似合わない。でもさっきの悪だくみはよかったよ」

「それはどうも。ほら、もう夕方だから帰るよ」

「はいはい。じゃあ失礼します」

「また来ます」

「今度来るときはサービスしますから、またお二人で来てくださいね」


 女性に見送られて外に出ると、雨上がりの曇り空も相まってすっかり暗くなっていた。雨の匂いが冷たい風に混じり、二人の前を通り過ぎていく。アリトラは用事の無くなった傘をリコリーに押し付けて、両手で珈琲豆の袋を抱えた。


「寒い。早く帰ろう」

「そうだね。今日はきっと母ちゃんのために父ちゃんが御馳走作ってるよ」

「リコリーが好きなソーセージもあるといいね」


 そうして双子は、盗聴の危険も不穏な空気もないと固く信じる我が家へ向かって歩いて行った。


END

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