5-13
「みずき、入るよ」さおりだ。いいともよくないとも言う前に引き戸を開けて入ってくる。普段着のトレーナー姿だった。またぴしゃりと閉めて、戸を背にして立ち、腕組みした。いつものことだが、視線にも口調にも素振りにもまるで遠慮がない。
「……何だよ」
「あんたとゆきのがどうなろうと勝手だけどさ」さおりは厳しい口調で言った。「めぐみまで泣かすな」
めぐみが勝手に来たんだ、と反駁したかったが、気が引けた。「ごめん」ただ謝った。
さおりは唇を歪めてあたしをしばらくにらんでいた。あたしは彼女と目を合わせられず、やっぱりベッドの上で背を向けた。
「何イジけてんのよ───めぐみはあんたのことソンケーしてんだからさ、もっとバシっとしててよ」
「……ソンケー、してんの?」
「葬式に連れてったの、アンタでしょ」
「そうだけど」
「あれがなかったらめぐみ、あのまんまだったじゃん?」
さおりは引き戸から背を離すと、あたしのベッドにどすんと腰を落とした。
「はしゃいでるゆきのってのもヘンなカンジだったけどさ」さおりは言った。「カッコ悪いみずきってのはもっとヘン。あんたさ、もっと気ぃ入れてバシッてしてなきゃ」さおりの言葉はめぐみと逆だった。なんとなく意味がわかる、思いつきで言っているだけとおぼしき言葉が、あいまいであればあるほど胸に刺さる。
「……ごめん」やはりその言葉が口をついて出た。なぜ出てくるのかわからない。
ふん、とさおりは鼻を鳴らした。「あんたさぁ、考えてもムダなことは考えない方がいーよ。ゼッタイ今そーゆームダなこと考えてる、そんなカンジする」
「……そーかな」勝手に決めんなとも思ったし、そうかもしれないと納得もした。答えが返せず、あたしはまた黙り込んだ。さおりはまたひとつ鼻を鳴らすと、今度はあたしと並んでごろりと横になった。「……あんたがそんなだと、話したいこと話せないじゃん」
「今朝のこと?」
「それはヤメとく。別のこと。夕飯とき、話せなかった」
「……なに?」
「シゴト行きたくなーい」
おどけたふうに言って、だだをこねるように軽く手をばたつかせる。
「なんで?」
「ムカツク」
「何が?」
「エイミーちゃん!」どういう会話だ。……って、あぁ、アメジストか。
シトリンの態度があんなだったことを考えれば、アメジストも、あたしらの存在をいわば官憲の犬として敵視していることは容易に想像がつく。クリスタル陣営のいわば基地として、彼女なりに苦労していろいろお膳立てした場所に、官憲の犬が土足で入り込んでいるのだ。いい気はしないだろう。
ローズフォースを仲間にしようとする意志を、クリスタルはまだ彼女らに伝えていないのだろうか。もっとも、クリスタルにしてもブルーローズにしても、下位精神体の賛同を得てから何か行動するってことはなさそうだが。
「それでエイミーちゃんが何?」
「ムカツク」
「何かされた?」
「別に」
「じゃあ」
「……めっちゃヤな目。すんの。あいつ」さおりは物事を的確に説明するというには語彙が不足しすぎている。それでも、たどたどしく言った。「なんかさー。会社でー。すれ違うじゃん? すっとさー。なぁんかにらんでくんのよね。ヤな目で。……なんつーかさ、バカにされてるってカンジ? そんなんとりあえずムシしときゃいいんだけどさぁ、なんかハゲシーっつーかレベル上ってゆーか」
なるほど。アメジストはさおりを「敵視」じゃなくて「蔑視」しているのか。
「何か言われんの? 見られるだけ?」
「見られるだけ」
「じゃあ、とりあえずほっときゃいいんでない? アメジストはクリスタルの命令以上のことはせんだろ。それこそ、悩んでもしょーがない、考えてもムダなことと違う?」
「そっかなー」さおりは首をひねった。「なんつーかねー。あたしのカンがねー。なんかアル! つってんのよぅ。だから何ってゆーわけじゃないけどぉ……」
それからさおりはしばらく、アメジストの愚痴をいくつかこぼした。あのとき睨まれこのとき叱られと、アメジストは自分を嫌っている、の結論に終わる話をいくつか繰り返した。社長秘書に直接相手にされるだけスゲー話だ、と思いつつ、あたしはベッドに寝転がったまま、気のない相づちでそれを聞き流していた。
ひとつだけへぇと思ったのは、アメジストは、お辞儀とか名刺の渡し方とかを教えるビジネス作法のセミナーに顔を出し、何でもかたちから入ったり頭を下げたりする日本式のやり方を小馬鹿にするスピーチを一席ぶって去っていったそうだ。さりとて彼女は欧米流の握手もおざなりに、笑みすら浮かべずに交わすらしい。地球滞在期間がはるかに短いはずのクリスタルの方が、よほど愛想良くビジネスに携わっているという。
そんなことをしゃべる間、さおりはベッドを立ったり座ったり、部屋の中をうろうろしたりした。よくあることで、あたしは気にしなかった。彼女は、人の話を聞くときはじっとしているが、話の順番が自分になるととたんに動き出すのだ。食べながらしゃべる悪いクセも同じことで、しゃべることの他にもうひとつ何かやっていないと落ち着かないらしい。
だからそれは無意識の行動だったのだと思う。さおりは、何がしかしゃべりながらクローゼットの観音開きの扉を開けた。するとさおりのトークがふっと止まった。
「ナニコレ」ハンガーの鳴る音がした。「うっわー、スッゴイコレ」
目聡すぎる。彼女は、クリスタルがくれたイブニングドレスを見つけて引っ張り出したのだ。目立たないところに下げておいたのに。「こんなんあったっけ、それともあんただけ?」
それぞれが所有する服は、サンフラワーがクラス7プログラミング処理を済ませたものばかりだ。もちろんサイズが四人とも別だからまったく同じ服は存在しないが、似たものを全員が持たされていることはよくある。たとえばパジャマは誰のものにも武装オプションが付加されておらず、デザインも花柄で似通っている。
一方で、個別に持たされている服もあって、革ジャンはあたしにしかないし、OLの制服は当然さおりだけだ。そういうのにはだいたい各個人の特性に合わせた武装オプションが付加されている。ただ、ほとんどのオプションはトレーニングの際に見せ合った。お互い知らない服はあまりなく、見慣れぬ服をさおりが怪しむのも無理はない。つまり『あんただけ?』という言葉は、サンフラワーがレッドローズ専用オプションとして新しく用意した服なのか? という意味で言っているのだと取れた。
ヴァインもあたしだけ先行で支給されたわけだし、そう思わせておけばいいと思った。「あぁ、まぁね、そう」
ところが、さおりの反応はこうだった。「ウッソだぁ」あんまり簡単に否定されたのであたしはちょっと驚いた───「こんなんヒマワリのシュミと違うじゃん。誰にもらったの?」言い切るし。「ねぇ、誰にもらった?」
……あたしは彼女に背を向けたままだった。
「あんたさぁ」さおりは不満げに言った。「ナーニ、ケンカの原因ってコレ?」
「ちげーよ。勝手に見んな」あたしはそれだけ答えて後は無視した。少なくとも服が直接の原因じゃない。どうせさおりの頭の中を駆けめぐるのは男からのプレゼントをめぐって確執とか愛憎とかの類で、そういうツボに入るとさおりは止まらなくなってうざったいだけになる。
「あんたさぁ」さおりはまた不満げに言った。「何か言うコトあんじゃない? てゆーか、言え。あたしは、言っちゃった方がラク」
「あたしゃそんなに器用に舌回んないよ。わかってるだろ」
でも、さおりの言わんとしていることはわかった。吐き出した方がいいんだろうか。……できるもんなら、と思う。あたしは目を伏せた。「もういいだろ。戻せ。戻したら出てけ」
「そ」さおりはそれ以上突っ込んでこなかった。「まーったくさぁ、いーかげん終わらせてよね。メーワクだから」言われたままにドレスをクローゼットに戻して、彼女は部屋を出て行った。
あたしはしばらく、ベッドの上で横たわったままでいた。寝返りを打って、天井を見据える。また、なんだか、眼に涙がたまる。
……めぐみやさおりがわざわざ向こうから来てくれたのに、あたしは何も話せなかった。ゆきのに何も言えないと感じている今、頼れるのは彼女らだけなのに。───そうだよ、あたしまだ、頼れる人がいるのに、何をこんな、うじうじと。
あたしは、人の多さがキライだ。誰かに頼ろうと思えば、頼れる人はすぐどこかにいる、その感覚が、キライだ。めぐみやさおりはそんな、その他大勢にカウントしていい存在じゃないけれど。それでも、これっくらいのことも自分で解決できないなんて、おまえは本当にひとりの人間なのか、そんなふうに言われてしまいそうな、その感覚がキライだ。
……。
いいや、違う───あたしは、死体だ。モノなんだ。
だから、あたしは、してもいいこととか、してもよくないこととか、だから───。
またほろりと涙が流れ落ち、シーツを濡らした。
あたしは悲しみの底にいた。底の底までたどり着いて、あたし自身がクリスタルに対して言った「自分に足りないもの」が何なのか、一瞬見えた気がした。それを手に入れるまで───きっとあたしは、クリスタルとまっすぐ向き合うことができないだろう。
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