5-11

 「こんにちはー!」


 とたんにサンフラワーのヒマワリ顔が液晶画面に映し出された。


 ……ずいぶんなタイミングだ。液晶の上のサンフラワーと、あたしの上に浮かぶクリスタルの顔を並べてみると、見た目には同じくらいの大きさになった。むろん目からの距離が違うから、サンフラワーに焦点を合わせるとクリスタルがぼやけ、クリスタルに焦点を合わせるとサンフラワーがぼやけて見えるのだった。


 「なんで昼間っからヒマワリ顔見なくちゃいけないのよー!」


 さおりの声が聞こえてきた。すると、液晶画面もさおりの顔に変わった。


 「あれ? さおりお姉ちゃん?」……めぐみの声も聞こえてきた。液晶はめぐみの顔に変わる。


 画面は次にサンフラワーに戻った。「全員がつながってるんです。これ、この携帯だけのヒミツ機能ね。僕がちょこっといじりました。……えーと、ゆきのさんもめぐみちゃんも休み時間を狙ってかけてるはずですが、どうですか、みなさん、出てくれてますか?」


 「……あぁ」あたしもどうにか答えた。「はい」ゆきのの顔も映し出された。それぞれが液晶画面に向かって話しかけると、それぞれの顔が表示されるようになっているのだ。「テレビ会議ってところですか?」


 「まぁそうですね。全員ちゃんと呼び出せるかどうか、ちょっと実験させてもらいました。えーっと、まず、この全員集合呼び出しをかけられるの僕だけなんで、そこんとこご了解ください。あなた方にとっては、それはただの携帯電話です。チャットみたいなもんですから、もの珍しい機能でもないでしょうけどね。


 ……さて、呼び出したついでにちょっと重要な話をしておきます。今朝は話す雰囲気じゃなかったので。この方が話もしやすいかと思って。……手短に言いますから、しばらく茶々を入れないで聞いてください」


 携帯電話の向こうのクリスタルが怪訝な顔をする中で、サンフラワーの淡々とした話が始まった。


 「鈴木商事の鈴木前社長の謎が解けました。死んでいるはずの人物がなぜ社長をしているか、という話です───僕は驚きました。こんなことがあり得るんですね」サンフラワーは嘆息した。「鈴木商事で社長を務めていた人物は、戸籍上は確かに死んでいます。死んだはずの別人が、鈴木征功になりすましているのです。戸籍が紙に書かれているだけの世界だからこそできる裏技ですね」


 細かい説明は後でなされた。


 戸籍の売買というものは、現在でもホームレスや多重債権者などの苦しい立場の人々によってしばしば行われているそうだが、モーリオンとなっている何者かが戸籍上の鈴木征功に成り代わったのは、太平洋戦争直後の混乱期ではないかという。


 出生や経歴による差別が存在することは、あたしも知識としては知っている。かの男もおそらくそういう過去を持っていて、のし上がるために他人の経歴を得ることを望んだのだ。そして戸籍の入れ替えが行われた。


 入れ替えが先だったのか、本当の鈴木征功の死が先だったかはわからない。しかし、その死が逆にかの男の戸籍上の死の証明となり、『鈴木征功』だけが生き続け、鈴木商事を興した。


 「僕個人の意見を忌憚なく言わせてもらえば、個体識別が不可能なものを法律上で個の特定に利用するなんて馬鹿げています。しかしクリスタルは、戸籍の死をもって、モーリオンを死者として扱っているのです。


 さて、問題はここからです。


 前も言ったとおり、ブルーローズ様は若い女性の死体からローズフォースの素材を選びました。その方が粒子プログラミングしやすいからです。


 にもかかわらず、クリスタルはあの男性、しかも老体をサイボーグ化した。粒子プログラマーの僕からみれば、愚行とさえ言える行為です。でも、クリスタルはそれを実行した。そうする必要があったのです。モーリオンとなっている人物に、クラス7粒子の肉体を与える理由があった。


 ……それがどんな理由かは、もしかすると、既に彼と戦ったあなた方がよくご存じかもしれません」


 あたしは息を呑んだ。


 モーリオンと戦ったとき───あいつは、恍惚として喜びを語った。俺はもう死ぬことがない……と。


 「まさか……」あたしはうめいた。


 「そうです。そう考えればすべてつじつまが合います。クリスタルが鈴木商事を買収するために、鈴木征功氏に提示した条件は金でも女でもありません―――不老不死です! 肉体は老いず、戸籍も万全、正真正銘の不老不死なんです!」


 ……ぴん! とあたしの脳裏に何かが張りつめた。あたしだけじゃない、電波の向こう側で、四人それぞれが身を震わせたのが感じられた。


 「クリスタルは、自分の欲する物資を得るために、流通に携わる地球人を自分の言いなりになる配下にしたかった。そのために彼はサイボーグ化という最大のエサを用意した。


 欲しい物質の流通に携わり、しかも不老不死というヒトにあまる欲望への誘惑に乗ってきそうな、戸籍上は死亡している人物。もしかするとクリスタルは、はじめから鈴木征功をターゲットにするために日本という国を選んだのかもしれませんね」


 ……遠くから、チャイムの音が聞こえてきた。めぐみの通う小学校からだ。「……もう時間ですね。詳しい話はまた今度にしましょう」サンフラワーの声がして、電話はやがて切れた。


 そうか。そういうことか。不老不死を渇望する者に不老不死が与えられた。彼は不老不死を得るために、自分の作った会社を売り渡した。もしかしたら、自分が実力で勝ち取った成果とでも思っているのだろうか。


 不老不死を求めるのはあいつの勝手だ。長生きがどんなに楽しいものか、あたしにその価値はわからない。けど、あたしたちが乗り越えた死の衝撃を、あいつは乗り越えていない。乗り越えようとするあたしたちを嘲りさえした。


 ……携帯を差し上げていた腕を横に下ろして、また大の字になった。まだ宙に浮かんでいるクリスタルと、再び向かい合う。


 「長電話だったな」クリスタルが言った。「相手はサンフラワーか」


 「……まぁね」あたしは答えた。「なぁ、クリスタル」


 「なんだ?」


 「あんたとともに行くと」あたしは尋ねた。「モーリオンと同じ立場になるのか」


 「そういうことになるね」クリスタルはあっさりと答えた。「もし生き返る時がきたら、君たちも戸籍はあるが老いない、不老不死の存在になる。しかしそれは覚悟しろと言ったはずだが───」


 「違う、そうじゃない。あたしはそんなの興味ない」


 あたしは、クリスタルから目の焦点をはずして、遠く高い空を見つめた。


 「モーリオンが不老不死という欲望に目がくらんだように、あたしはいま未来や人権という欲望をくすぐられているのか?」あたしはうめいた。「モーリオンが死を嘲笑うように、あたしも、未来に希望を見出せない者を見下すようになっていくのか?」


 「どう考えようと勝手だが」クリスタルは答えた。「君にはいま選び取るべき未来がある。よりよい世界を作りうる選択肢がある。何を選ぶか、ひねり出す答えはそれだけだろう。モーリオンが不老不死という欲望を持ちそれを満たしたことと、君が変えてゆきたい願いと、どうつながりがあるというんだ?」


 そうかもしれない。モーリオンのことをイヤなヤツだと思っているから、あたしが穿ったものの見方をしているだけかもしれない。だけど、ただでさえつぶれてしまいそうな今、あたしをひるませ、決断を先送りさせるには十分だった。


 「あたしは───まだ、どの選択肢も選べそうにない」あたしはクリスタルから目を背けた。「もう少し時間をくれないか。二週間は経ってないだろ」


 「あきれたもんだな」クリスタルは言った。「まぁ、二週間の期限を切ったのは俺の方だからな、それまでは待つさ。だがな、自分の心が何を求めているかは自分がいちばんわかっているはずだ。なのになぜ迷う? 無駄に使われた時間は、きっと残酷な仕打ちをするだろうよ」


 クリスタルはさらに、追い打ちをかけるように言った。「モーリオンは即答だった。……で、毎日が幸せそうだぜ?」


 「……そうか」


 「じゃあな。あと六日だ。いい答えを期待している」


 クリスタルはその場から消えた。


 あたしはしばらくウッドデッキに横たわったままうめいた。涙がぼろぼろとこぼれた。どこにも進めない。何もできない。今この世で最も無駄なものはあたしだ。あたしなんかいなくったっていい。

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