5-10

 何とかするといっても、反省会やら何やらするわけではなかった。しようにも、部屋に戻ってみると、もう時間は七時を回っていた。ゆきのが取り急ぎ手のかからない朝食を作り、それを頬張っているうちに時間は過ぎ、みな眠くて何も考えていないとろんとした目をしたまま学校へ会社へ出て行った。


 それでもゆきのは律儀にあたし用の弁当を作っていた。静まりかえったダイニングで、食べる気もないのにその蓋をそっと開けてみた。おかずはいつもどおり丁寧に詰められていた。


 泣けてきた。卵焼きの薄黄色がぼやける。


 情けない。


 あたし、何やってんだろ。


 ゆきのを狙ってローズブリッツを放ってしまったのは、ただのミスだ。ただのミスだけれど、あたしが未熟さを積み上げた結果起こしたミスだ。


 あたし、自分のことしか考えてない。そんなのあたしだけなんだ。さおりはゆきのを助けた。めぐみはキャノネイドを準備した。


 リーダーだってのに。さおりのこと、めぐみのこと、ゆきののこと、みんなのことを考えなくちゃいけないのに。ゆきのというフィクションを振り捨て、自分で責任を背負うと決めた結果が、これか。独善的な馬鹿になるってことなのか。


 心臓をそぎ落とされそうな痛みが強まる。こうなるのが、あたしの現実なのか。


 生きていた頃に、よく考えたことを思い出す。あたしのやることは、いつだってうまくいかない。あたしのする決断はすべて、あたしが満足を得られない方向に向かう。しょせんあたしが得る現実は、こんなものなんだ。あたしにリーダーなんて、どだい無理だったんだ。


 あたしが何かしようとするたびに物事は失敗する。待っているのは大小取り混ぜた挫折だけだ。人は努力すればうまくいくという。確かにそうなんだろう。でもあたしの経験してきた限り、うまくいった後の達成感が、そこまでに味わった労苦や挫折感を上回ったことは一度もない。金鉱を探しに行って、必死に堀り進んで、誰かが掘り尽くした後に残った砂金粒で満足するような結果はうんざりだ。


 今回もまた、そうなのか。生きていた頃、学校だとか家だとか、すべての社会的な何かがそうであったように、この場所もそうなる定めだというのなら、あたしはやっぱり生き返っちゃいけなかったんだ。ブルーローズに、サンフラワーに、きちんと死なせてくれって、懇願すべきだったんだ。


 壊れそうだ。壊れてしまいそうだ。どうすればいい? もしあたしに、今すぐこの機械の身体を脱ぎ捨てるスイッチがあるのなら、きっと押していることだろう。


 ……気づかないうちに、バルコニーに出て、金網のフェンスに身を預けていた。角度的に真下は見えないけれど、屋根瓦がとても遠い。


 この高さからもし飛び降りたら、それで脳みそまでぐちゃぐちゃになったら、この体でも、死ねるのかな。


 けれどフェンスはとても高く、上端は鉄条網だった。乗り越えようにも、おのれの体がとても重くて、立っていることさえ億劫に思えた。バルコニーのウッドデッキに大の字に寝転がった。空が青い。


 こんなあたしが、世界を変えるような決断をするなんて、おこがましい。あたしにはそんな大それたことはできない。


 あたしは、あたし自身を必死に鼓舞した───勇気を出せ。自分が変わるだけだ。それが世界の変わるきっかけになるというだけだ。何か行動に出なければ、変わるはずのものも変わらない。だからクリスタルの未来を選び取るんだ。あたしの中にぽっかり空いているがらんどうに、ピースを今すぐはめ込むんだ。


 今すぐ、今すぐ、今すぐ、クリスタルの提示した未来へ向かうんだ。


 それが、最良の選択なんだ。


 さぁ。


 ポケットから携帯電話を取り出した。クリスタルの名刺を取り出した。寝転んだまま、携帯電話を天に向かって突き上げる。携帯電話の向こうに、太陽が輝いている。行こう、輝く未来へ。番号をプッシュして、……発信ボタンを押す直前に、やはり手が止まった。


 ……やっぱり振り切れない。あたしの心の中の空いた穴から不安や恐怖が溢れ出してくる。どの方向へ進んだところで、ひとりであがくこの苦しみよりももっと惨めな悔恨に苛まれる結果が待っているような気がした。その方が、未来に絶望することなんかよりずっとずっと怖ろしかった。


 あたし、どうすればいいんだ。この恐怖を払いのけるには、あたしには何が必要なんだ。


 ───そのときだ。


 太陽が揺らめいた。ワープエフェクトだ。現れたのは、クリスタルだった。


 あたしは驚いて目を見開いた。一瞬身動きできず、あたしは寝転んだまま宙に浮かぶクリスタルと相対した。


 「よぅ」クリスタルはいつもどおりのぞんざいな笑みを見せた。「答えは、決まったか」


 あたしは携帯電話をぎゅっと握りしめた。その向こうにクリスタルがいた。手は下ろさなかった。


 「わからないんだ」あたしは答えた。


 「何が」


 「わからないんだよ」あたしはもう一度答えた。


 「俺はそんなに難しい問いを出したか? ───君の中ではもう答えは決まっていて、後は仲間の説得次第、じゃなかったか?」クリスタルは言った。「何を不安に思っているのか知らないが、自分の望む何かを実現するときには、当然リスクはあるものだ。


 だが俺の提示しているものは未来というもっと大きなものであって、リスクアンドリターンで語るものじゃない。未来が欲しいのか。欲しくないのか。君の望む変革の未来はここにある。それを手にするかしないか。その選択を俺は迫っているだけだ」


 「その未来ってヤツを語る以前のものが、あたしには足りてない気がするんだ」涙がこぼれそうだった。「あたしの中には、人を傷つけることを怖れる臆病な心と、それをごまかそうとして強がる無様なプライドだけしかないんだ。あたしはがらんどうだ。自分の人生を自分で決めていくための足場がない。礎がない。そんなあたしに何ができる? あたしは胸を張って未来を欲することができない」


 今にもべそをかきそうなあたしの顔を、クリスタルは無表情に見つめていた。


 「……泣き言を」クリスタルは言った。「そんな自分がイヤなんだろう。そんな自分を変える、自分が変わる答えを捜しているんだろう。なら、考えるだけムダだな。時間軸はひとつしかない。未来は必ずやってくる。一秒でも早く、変革を選び取れ!」あたしに向けて手を差し出す。「さぁ、来い!」


 あぁ。あたしはもう考えることができなかった。それしかないんだ。


 彼の差し出したステージに飛び乗れば、きっとあたしが感じてきたものとは違う時間が創造される。それはパンドラの箱の底から飛び出した最後の希望。打ちひしがれた人間に奇跡を起こす力。闇に包まれた苦難の現在を、光あふれる未来へ導く扉の鍵。それに逆らうことなど・・・・・・・・・・できはしない・・・・・・


 あたしは差し伸べられた手にすがるために、携帯電話を手から離して地に落とそうとした───着信音が鳴った。


 離しかけた手を握り直し、着信ボタンを押したのは、まったく日常的な反応だった。電話には───すぐ出なきゃ。

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