5-05

 五日が経った。


 その間、あたしはまだ誰にも何も言えずにいた。シトリンをすでに見つけていることもサンフラワーに言っていないから、昼間は彼女捜すフリをして、あちこちをバイクで流していた。クリスタルたちは動かず、ヌガーのような異星人の襲来もなく、何事も起こらないのが苦痛だった。


 ゆきのは自分の分だけでなく、あたしにも弁当を用意するようになった。どこか知らない町の知らない公園のベンチでそれを頬張りながら、彼女の料理の腕が確実に上がっていくことだけ、変化として受け止めていた。


 ゆきのは毎日機嫌が良かった。学校に行けることが楽しくてしかたないのだ。相変わらず、あたしの無表情にはおかまいなしだった。


 夕食どき、広島もえぎすなわちシトリンのことを話してくれる。ゆきののいささかバイアスのかかった話を聞く限りでは、彼女も高校生活を堪能しているようで、正体を明かしそうな気配はない。


 ただ、ふたりがクラスの中で浮いているのは相変わらずらしく、ゆきのともえぎはペアで行動というのがほぼ確立したらしかった。それはむろん、ゆきののバカ丁寧さよりも、迷惑だわとか笑わせないでよとかいうセリフが自然に出てしまう、もえぎの芝居がかった言動にあるとみて間違いなかった。まぁ、そんなんじゃあ、男子ウケはともかく女が徒党を組むにはウザいだけだよなぁ。さしものゆきのも、「演劇部に入ったら」とアドバイスしたそうである。


 精神体の快楽は崇拝されることだとクリスタルが言っていた。学園のアイドル、っていうのもひとつの崇拝か。昭和のジュヴナイルじゃあるまいし、クリスタルが学校ひとつを支配したところで何の得にもならないのだから、シトリンは一精神体として、クリスタルの野望から離れた単独行動で、彼よりひとまわりスケールの小さい崇拝を求めているわけだ。そうあるために、言動を目立つものにし、気取りに磨きをかけていく。そんなんでアイドルになれるとも思えないが、それが彼女の学校生活というなら納得できる。


 シトリンがクリスタルから離れて別行動を取る理由はよくわからない。でも彼女の目的が自分自身への崇拝ならば、ブルーローズとクリスタルの対立構造を持ち込む必要はない。シトリンはゆきのを敵視しておらず、彼女があたしのことを「悪い友達」呼ばわりし戦闘に及んだのはむしろ、要らぬ対立を持ち込まれたくないという意識の顕れであったかもしれない。


 「学校」という世界を閉じた時空間として意識し、そこに存在するイベントに没頭する、そんな価値観で一致をみた異端者たち。ふたりは、ほんとうに波長が合ったんだ。


 ゆきのにとって、気の置けない友人は求めていた学校生活に欠くべからざるものだろうし、シトリンは、小さな野望の最初のステップとして、豊かな知性で自分をアシストしてくれるパートナーを求めた。入学式の日、おそらくはシトリンがゆきのを見つけて呼びかけたのだろう、「友達になろう」と。その瞬間、最初に目を合わせた瞬間に、求め合っていることを自然にお互いが知ったのだとしたら、その素晴らしい出会いにどうしてくさびを打てよう。


 そういうのを、ほんとうの友達っていうんじゃないのかな。偶然に、行きがかり上、他人同士が一緒に暮らしているのは、……なんていうんだ?


 けれど、シトリンがいくら単独行を決め込んだところで、ブルーローズとクリスタルが敵対関係にあり、ふたりが彼らに服従する製品と下位精神体という立場にある以上、いずれ戦うことになる。そのときには、ゆきのもシトリンの正体を知るだろう。彼女らの友情は、ロミオとジュリエットも裸足で逃げ出す困難の渦中にあるのだ。


 その悲劇の運命から逃れるためには───五日の間、あたしは何度も考えたのだ───クリスタルの誘いを伝え、受け入れることだ。ゆきのの無知の宝石を砕き、変革の未来へ至ることだ。そこでまたあたしはまた思考のループに戻る。ゆきのの保証を求めている自分と、ゆきのの無知を砕きたくない自分とが相克して、何も言えなくなる。


 同時にこうも思っていた。


 なんでこんなこと、あたしが考えてなくちゃいけないんだろう。




 そうして五日目の朝がきた。


 その日はよく晴れていた。ゆきのは朝からいつにも増して機嫌がよかった。食事の支度中に、あたしの知らないアニソンか一世代遅れたポップスを口ずさんでいたらゆきのは機嫌のよい証拠だ。今日は何だろう、よくわからないが、正月か笑点でないと聞くことのできない古いコミックソングだった。


 「みずきさん」出がけに、あたしに弁当を渡しながら言った。「今日の十時頃、校門に来ていただけませんか。グランドが、見える側の」


 「いいけど、なんで?」


 「いいから!」いたずらっぽく笑うだけで、ゆきのは理由を言わなかった。「じゃ、行ってきます」


 ぱたんと閉じるドアの音を聞きながらあたしは立ち尽くし、それから渡された弁当包みをしげしげと見た。学校の十時って、授業中だろ。何があるっていうんだ? 不審に思ったが、行かないですます理由はなかった。相変わらず、あたしは暇だったのだ。


 昼までだらだらしているのが常だったが、それよりは早く家を出て、バイクを飛ばした。この前ゆきのとシトリンに会った駅前通りを駅から離れる方へ走っていくとやがて緩やかな上り坂になって、その先に彼女らの通う学校が見えてくる。


 創立は戦前というから歴史は古く、もともとは良妻賢母を育てましょう的な校風の女子校だったそうだ。むろんそんな理念ではこの少子化の世に耐えられず共学化し、今は男女ほぼ同数になっている。


 その敷地はまるで刑務所かヤクザの邸宅みたいに高いコンクリ塀で囲まれていた。元女子校だから、生徒を守るという意図なのだろうがひどく威圧的だ。中にいる人間はこれをどう感じているんだろう。


 バイクに乗ったまま校門を探した。駅前通りに面してアーチ型の正門、そこからは校舎しか見えない。脇道に入ると、グランドに車を入れるための鉄格子の通用門があった。ゆきのが言ったのはここか。あたしはその前にバイクを止め、メットを脱いだ。


 むろん容易に入れるようには作られていない。巨大な錠ががっちりとかけられており、ばかばかしく背が高くて乗り越えることもできない。しかし格子は思ったよりも細くて、覗き込むと、アンツーカ舗装されたグランドは隅々までよく見えた。


 時間は十時少し前だった。こんな時間にグランドに誰かいるのか? ……あぁ、そうか。いるに決まっている。体育の授業だ。女子が、グランドを縦断する直線のトラックで、短距離走のタイムを計っている。


 あ。


 ゆきのだ。

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