5-02

 機嫌が悪いというか、ため息ばかり出てしまうのをどうにかこらえるうちに、やがてめぐみが豆腐を買って戻ってきた。それが賽の目になり味噌汁が整う頃、さおりもくたびれた顔で帰ってくる。夕食のちゃぶ台に、全員が揃った。


 いただきますを言って、箸を取って、少し考える。どうしよう。クリスタルに言われたこと、みなに伝えるにはどうしたらいいだろう? ───あたしはすぐに、このちゃぶ台ではムリだって悟った。


 いつものことだが、あたしが黙っていれば他の三人が猛烈な勢いで会話を進めてしまうのだ。今日に限っては、会話のペースを考える役回りのゆきのが何も考えちゃあいないから、なおさらだ。幸か不幸か、悩めるあたしは、つまんなそうに相づちを打って箸を動かしているだけでよかった。


 先に話題を広げたのはめぐみだった。めぐみの転校手続きは、サンフラワーが代理人となってすべて済ませていたから、彼女はただ教室に行って座っているだけで良かった。始業式が始まる前に、めぐみは担任教師に壇上に呼ばれ、転校生であることを確認され、クラス全員に紹介された。


 めぐみは小六にしては体が小さいし、顔立ちも幼い。成長の遅い自分にコンプレックスがあるようなことも言っていた。……しかし、新しいクラスメートはめぐみの第一印象を口を揃えてこう言ったそうである。───オトナっぽい! くぐった修羅場は雰囲気に出るものらしい。彼女は一日にして男子からも女子からも憧れのクラスメートの位置を占めたようだった。


 もっとも、今日の主役はやはりゆきのであり、彼女の友人となった広島もえぎだった。もえぎの設定・・は、すぐにゆきのの口から出てきた。外交官のご令嬢。日本に戻ってきたばかりだけど、道のつくもの何でもござれの茶髪の大和撫子。


 「ヘンなのー。イマドキいるんだー」さおりが言う。「英語ペラペラ?」


 「五カ国語が大丈夫だって言ってました。でも、いちばん難しいのは日本語だって」


 「なんかそうゆーよね。あたしの英語の先生もそう言ってた、生きてた頃の」めぐみもだいぶ、生きていた頃の話をさらりと口にできるようになっている。「じゃあ、日本人なのに日本語がカタコトだったりするわけ?」


 「全然?」ゆきのは答えた。「足りないのはボキャブラリーだけみたいですよ」さおりがボキャナントカってなに? という顔をしたが、ゆきのはかまわず話し続けた。いつもなら事細かに解説を入れるのに。「あと地理もダメなのかな、東京わかるのに神奈川がわからないって言うから、ちょっとソレは問題あるでしょって」


 「さおりお姉ちゃんみたい」めぐみが口を滑らせた。するとさおりが口を尖らせる。「ナァン、ソレ! 神奈川くらいわかるッて! ヨコハマの向こっかわでしょ!」


 めぐみは、さおりがこれ以上墓穴を掘らないうちに別の話題に切り替えた。


 「じゃあ、もえぎさんて将来はやっぱり外交官? お父さんとかと同じ?」


 「さぁ……どうでしょう。そこまでは聞いてないです」


 「ゆきのは?」ふっとあたしの口から言葉がついて出た。この割り込みが意外だったのか、みながあたしの方を向いた。あたしは少しひるんでしまって、どもったりつっかえたりしながら言った。「いや……つまりさ。あたしらはもう歳取らなくて将来の仕事なんてのは関係ないんだけど……進路調査票とか、もらうだろ? なんて書く? やっぱ……その、友達といっしょのようなことを書くわけ?」


 ゆきののものを噛む動きが止まった。ゆっくりと飲み下して、箸を置いた。


 「全然考えてませんでした。……どうしましょうか」


 「病院にいたって、将来の夢って訊かれると思うけど」めぐみが言った。


 「そうですね、なんていうのか、……何にも考えなかったわけじゃないです、でも、本気で考えたのは『学校へ行くこと』だけでした。学校行けたらあれしようこれしようって、今もそれだけで頭がいっぱいなんです。先のことは、それはもうあやふやで……」


 「ハッキリいってウザいよー、進路調査」さおりが言った。「なんか言えないとマズイって。……みずきぃ、あんたこないだまで進路とか現役じゃん、どーよ?」やば。今度はあたしが墓穴掘った。


 ……あたしは、学校生活の中で楽しくも何ともないイベントを、ゆきのがどう思っているのか知りたかっただけなのだ。


 あたしにとって進路相談は塗炭の苦しみだった。そのときいちばん成績のよい科目に絡む何がしかを適当にしゃべって、後は時間が過ぎるのを待っていた。


 未来なんて見えなかった。将来何がやりたいのかという問いに、答えの断片さえ見えなかった。それは数学と同じように、何がわからないのかわからないから答えられないという類の設問だった。進学だけは親が決めた既定路線で、自分自身で何も決められないんだから、それに乗っかることしかできなかったんだ。


 好きなことを仕事にすればいい、とあっさりと言われたりした。あたしが好きなことのうち、メシの食える仕事につながりそうなものは何もなかった。バイクだって、あたしは乗ることが、それも独りで乗るのが好きなだけだ。バイトに求めたのは自分のバイクの世話を自分でする分の技術であって、バイクを作ったり直したりを生涯の仕事にする気は毛頭なかった。だいいち物理を選択してない───トルクってつまり何なのさ? 関連する仕事に就けるとも思えなかった。


 そしてあたしは今、クリスタルから未来を提示されている。あの頃何ひとつはっきりと答えられなかったあたしが、今何を決められるというのだろう。


 口に入れた米粒を飲み込めない。砂を噛んでいるみたいだった。


 ……あたしはどうにか言葉を絞り出した。


 「イヤなことを思い出さすな」


 「いま、ホントーにイヤそーな顔したねー、アンタ……」さおりが言った。「まーあたしも似たようなモンだけどね」


 めぐみが尋ねた。「そういえばさおりお姉ちゃんはなんで経理の学校に行ったの?」「えー? ……そろばんやってたから、ずっとムカシ」「いつ?」「小学生のとき」中高六年間神隠しにでも遭ってたかのような答えに、めぐみはちゃぶ台につっぷした。「……悲しくなるからやめてぇ」あたしは何も言うまい。目糞鼻糞だ。


 「そうですか……将来の進路とか仕事とか、考えとかないとダメですか」けれどゆきのは真剣な顔で言った。考えたところで、望みは決してかなわないのに、新しく存在を知ったこの学校行事を真っ向から受け止めるつもりらしかった。「でも、自分の将来といっても、どう考えていいものやら……」


 「ダメだって、ムツカシくしない!」さおりが言った。「そんなすぐにはウルサク言われないって。訊かれたらねー、フクシカンケーって答えときゃ何とかなるから。でね、入部だけしとくの、ボランティア系のクラブ。これで無敵」さすがさおりだ。こういう処世には長けている。


 「はー……そうなんですか」ゆきのは感心したようなあきれたようなため息をひとつついた後、突然ぱっと明るい顔になった。「あ、でも、それで思い出しました。私、部活もするつもりなんですけど、何にしたらいいと思いますか」


 「入部しとくだけでいーんだって、だから」彼女らしいというか、さおりはあくまで学校生活いかにラクするかを説くつもりらしい。「行かなくていーよ、めんどぃ」


 しかし、ゆきのはぐっと拳を固めていた。「ダメです。やります、絶対。高校入ったら、部活動やるんだって決めてたんです。……でもやっぱり、これも、何やるのか全然決めてなくて」


 「わかるわかる。部活に燃えるって憧れちゃう、あたしも」めぐみは興味津々だ。「どーするの、だいたいでも決めてる?」


 するとゆきのはこんなことを言った───「今の私たちって、ローズフォースって立場もあるじゃないですか。それでも部活をするからには、異星人との戦闘にも役立つような、個人技のスポーツがいいんじゃないかな、って思ってるんです。……ほら、私はみなさんほど戦闘能力が高くないので」あたしはその言葉を聞いて体をびくんと震わせた。今朝サンフラワーに言われたことを思い出したのだ───『ホワイトローズは基礎能力に劣る』。その原因が生前の病気にあると知ったら彼女は何と思うだろう。幸い、身震いは誰にも気づかれなかった。「武道で自らの技量を高めてみようかと。うちの学校、武道場が広くて種類も多いんですよ。体育で柔道が正課ですし」


 「じゃあ、剣道とか弓道とか?」めぐみが言った「テッポウ撃つのは、ないよね?」


 「射的部とかあったりして。お祭り研究会」さおりがけらけらと笑った。「金魚すくい技能レベルアーップとかいってー! うちゅーじんと戦うときも破けちゃダメー、なーんてあははは」


 「あー、そういう変なのにもあこがれちゃうんですけど、私。……みずきさんはどう思います?」


 ……何でこんなタイミングであたしに振るかな。


 「あたしゃ中高一貫帰宅部だ」あたしには興味がなかったし、とうてい答えられる状態ではなかった。助言する資格もない、と思った。「高校に入ったらバイク屋でバイト三昧だったからなおさらだ」ゆきのには強くなってもらいたいと思ったが、あたしがどうしろと言って、ゆきのがその助言に従ってしまうことが怖かった。「好きにすればいいだろ」


 最後のひとことは、ずいぶん突き放したトーンになってしまったようだった。ゆきのだけでなく、めぐみとさおりも引いてしまい、みながふっと押し黙った。


 賑やかだったちゃぶ台に、いやな沈黙が流れた。

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