3-12

 「組織に入ってないと何かと都合が悪いんですよね。ブルーローズ様は最後まで渋ってましたけどね、僕が説得しました。この星のこの国に配置すると決めた以上は、多少信念を曲げて歩み寄るべきだと」


 「それが……」あたしは、自分の封筒の中に入っていた住民票をひらひらと振った。他の三人の封筒の中にも、学校や会社の案内以外に、実は住民票も収められていた。「この紙切れってこと?」


 「そうです」サンフラワーは言った。「能力を維持するために必要な措置と判断しました。あなた方を擬似的に社会に組み込みます」


 「でも、あたしらって死人なんだろ?」あたしは尋ねた。「この社会から抹消されているからあたしらはローズフォースなんだ、違ったっけ?」


 「擬似的、です。あなた方はどこの戸籍にも入っていません。ちょいっと大田区のコンピュータに入ってね、人口を四人ばかり増やしてきただけです。だからあるのは住民票だけで、記載されている本籍は虚偽です。日本の法でいう公文書偽造、あるいは電磁的記録不正作出にあたるので、バレたら僕が逮捕されます。まあバレるようなやり方はしてませんけどね」


 ……あたしは唖然とした。


 「……ちょっと待て。あたしたちって、『地球法に遵うことを義務づけられている』んじゃなかったのか?」


 「そうですよ?」


 「思いっきり法律違反を……」


 サンフラワーは目をぱちくりさせた。


 「遵うというのは、そういう意味じゃありませんよ。誰だって法律通り完璧に暮らせるわけがないでしょう?


 もし法に背いた結果捕まったり訴えられたりしたら、地球法に則った処罰を受ければそれでよいのです。しかし、地球にない技術を用いて処罰や拘留を逃れたり、宇宙法に準じる別の処罰を受けることは許されないのです。つまり、地球法と宇宙法を決して混同しない、それが『地球法に遵う』の意味です。このあたり、ロウシールドの概念と同じですよ。


 そうロウシールド、もし地球に影響を与えるような行為ならば必ずロウシールドに阻まれます。阻まれなければ何やっても自由だって考えた方がいいですよ」


 「……クリスタルの方が善人のような気がしてきた」あたしは頭を抱えた。


 「それはある意味当たっているでしょうね。彼らはブルーローズ様が肉体を取り戻すまでに仕事に一区切りつけたいと思っているはずです。地球で刑罰など受けている余裕はありません」


 「じゃ、あたしらは、生きているときと同じ程度に法律ってものを受け入れて、フツーに暮らせばいいってことか」


 「そうです」


 「じゃ、ゆきの、あたし明日からビールな」ゆきのは自分が警察官か正義の味方だと思っていて、だから法律は守らねばならんと思っていたはずだが、───もちろんあたしだってぼんやりとそう思っていたのだが、そのどちらも否定されたわけだ(余談だが、食卓にビールが上ることは、当分の間なかった。ロウシールドさえ発生しなきゃ微罪は問題ないと言っても、ゆきのは首を縦に振らなかった───彼女が法律遵守の態度を続けたことよりも、酒を飲む経済的余裕の有無が大きな理由であった)。


 ゆきのは話を聞いていなかった。学校案内を、一ページ、また一ページ、丁寧にめくって、目を細めてその内容を追っている。あたしは肩をすくめた。


 「でもね、僕にとってはこれができるかどうかはひとつ賭けだったんですよ。賭けには勝ったようです」


 「どういうことさ?」


 「戸籍はないけど住民票はある、という人間が日本という国に居住できるのかどうか、という点でね。外国人だったら住民票も出ませんから。その状態をロウシールドが認めてくれるかどうか、ちょっと不安だったんです。


 でも現実問題として、日本で社会生活をするだけなら、戸籍情報は必要ないですからね。他の国なら密入国者も同然の状態にしなけりゃならないところが、かなり合法に近いかたちで社会に組み込むことができました。イエに所属せぬ者を人間扱いしない日本の旧態依然な戸籍制度が、意外なところで役立ってくれましたよ」


 「そうなんだ、ふぅん」とか納得してみせたが、あたしゃ戸籍制度のなんたるかもわからない。サンフラワーがうまくいったと喜んでるんだからうまくいったんだろう。ふぅんふぅんとさっきから首を縦に振っているだけなのは、さおりとめぐみも一緒だった。


 が、あたしたちの存在が「擬似的」であるという事実は、次のサンフラワーの言葉が端的に教えてくれた。


 「しかし、本籍が必要な場合もあります。あなた方は本籍を必要とするすべての行動をロウシールドによって阻害されますから、注意してください。わかりやすいところでいうと、結婚できません。パスポートを取得できません。免許の取得もできません」


 この具体例はわかりやすすぎた。三人そろって愕然として顔を見合わせた。


 「結婚できないの?!」と、めぐみ。


 「パスポート作れないの?! じゃ、海外旅行は?!」と、さおり。


 「免許ダメなの?!」これはあたし。「あたしが大型取るのにどれだけ苦労したと……っ」


 「あんまり高望みをしないでください、本来みなさんに権利なんてなにひとつないところをここまで拡充しているんですから」サンフラワーは頭を掻きながら言った。


 はぁっと大きくため息をついた。そらそうだ。いや、うん、わかっちゃいるんだ、自分たちはモノなんだって。言ってみても始まらない、ていうかすでに「終わって」いるんだ、あたしたちは。こうやって住んでいるのが特別で、サンフラワーがそうしてくれたことに素直に感謝するしかないんだ。


 本籍まで偽造してくれりゃいいのにとは思うが、それは宇宙法のポリシーからして不可能なことだろう。死体に権利はないんだ。───いちおう補足しておくと、サンフラワーとブルーローズは日本人として戸籍を持っているそうだ。彼らはモノではないから。


 「そういうことですので、制限が山ほどあるのはご承知ください。それがいやならこの話はなかったことにします」


 サンフラワーは話を戻した。あたしたちが「擬似的な日本人」としてどう生きていくかという話だ。


 「では、めぐみさん」サンフラワーはめぐみに呼びかけた。「あなたに、いちばん厳しい条件を飲んでいただくことになります」


 サンフラワーはめぐみを見据えた。


 「あなた方の体にリセットがかかるということは、永遠に若いのではなく単に成長がないという意味です。めぐみさん、小学生まして小六女子の身長が、一年間全然増えないなんて不自然すぎます。わかりますね。だから、一年過ぎたら、また小六に入り直しです。誰とも同じ中学へは行けませんし、同じ中学を受験することも許しません。卒業したら、どこか遠くの中学へ行くことになって―――あるいは、架空の死を作ることになるかもしれませんが、いずれにせよ、この一年間で作った友達とは二度と永遠に会えなくなります。ロウシールドによって、会っても反応はない存在となり、悲しい思いをすることになります。それでも、よければ」


 めぐみはごくりと唾を飲み込んだが、すぐに気丈に答えた。


 「……少なくとも、一年、行ってみる。小六を繰り返すかどうかは、後から考えるから」痛々しかったが、言葉はしっかりしていた。「もうその辛さは十分味わったもの。死んで切り離されるより、自分の意志で別れる方が、楽だよきっと」


 「そうですね」サンフラワーはにっこりと笑った。「理解しているのなら、けっこうです」


 サンフラワーは、続けてゆきのに呼びかけた。「ゆきのさんは高校生ですから、三年間は大丈夫ですけれど」


 ずっと学校案内に目を落としていたゆきのが、それを聞いてばっと顔を上げ、食ってかかる勢いでサンフラワーに吠え立てた。「行きます! 行きたいんです! 行かせてください!」声にはまだ少し嗚咽が混じっている。


 「やはり、卒業したら誰とも会えなくなりますよ」


 「かまいません!」


 「そんなに楽しいもんじゃないぜ」あたしがちらと愚痴ると、けっこうキツい目でにらまれた。ゆきのにしては怖い表情だったので、あたしは肩をすくめた。……にらんできたのは一瞬だけで、ゆきのはすぐに学校案内に目を戻し、食い入る視線で読みふけった。


 サンフラワーの話はまだ続いている。


 「さて、制限が最も少ないのがおそらくさおりさんです。たぶん、当分はOL生活を堪能できますよ。ただし、制限は少ないですが、立場としては一番重要です。さおりさんには鈴木商事に入っていただきます」


 「あたしがぁ? ショージガイシャ? OL? いましゅーしょくたいへんなのよぉ? ムリよ、あたしバカだもん」さおりは自分を指差して答えた。


 サンフラワーはいけしゃあしゃあと答えた。「根回しは僕がやります。あそこの人事部長はエロ狸ですから楽勝です」


 「あ、そーゆーの得意」


 いいのかそれで!「でもなんで商事会社に? こいつに知能労働できるワケないじゃん」


 言い切ったあたしに、さおりはさすがにむすっとした。「ナニソレ、シッツレーなー。あたしだってねー、やればできんだからねー」


 「いや、僕もさおりさんに労働力を期待しているわけじゃありません」サンフラワーにも言われてしまった。「さおりさんを送り込む最大の理由は、ローズフォースの戦略的な問題です。わかりませんか?」


 「ぜんぜん?」


 「鈴木商事、覚えてませんか───クリスタルが乗っ取った会社ですよ」


 なるほど───とはいっても。「そこにさおりを入れてどーすんの。まさかスパイ活動?」


 「そんなところですね。まぁスパイといっても、クリスタルたちにはバレバレでしょうけどね。それでも地球法上は社員が一人増えるだけですから、彼らは手を出してきたりしませんよ」


 「地球人としてならなおさら、さおりに何をスパイして来いって?」


 「別に産業機密を盗んでこいって言ってるんじゃありませんよ。―――社長に関する噂をね、聞いてきてくれればいいんです。真偽や情報の価値は僕が判定します―――さおりさん、ゴシップ好きでしょ」


 「だぁい好きィ」


 ……まさか給湯室の噂話ってヤツが地球の命運を担うかもしれないなんて、こいつぁお釈迦様でも気がつくめぇて。ってかお釈迦様にこそ気のつきようのない話だ。


 「……てったってこの女に会社勤めはさぁ」


 「いや、もういくつか理由があるんですよ、実は」


 「何が?」


 「ひとつは生活費の問題です。言っておきますけど、現在お渡ししている生活費は僕が地球上で合法的に稼いできたお金なんです。まぁ、僕に地球の金銭はほとんど不要ですし、地球人相応の知的労働だったら苦労などありませんから感謝しろとは言いません。ただ、そう労働にかまけてられないので額には限界があります。僕の渡すお金はあくまで生活費として、小遣いは自分たちで稼いでいただきたいんです。


 それから、もうひとつの理由は───この四人ひとまとまりが、大田区にとっては一世帯であるということです」


 セタイ。それは、あたしの中では家族とイコールの単語だった。


 「それが、さおりのOL生活と何の関係があるのさ」


 「収入のある成人が世帯主にいないと、何かと問題が起きそうな気がするんですよ」


 セタイヌシ。それは、あたしの中では父親とイコールの単語だった。


 「この女が……世帯主」あたしは思わずさおりを指差していた。


 「だからみなさん、この家、水沢さおりが世帯主となります。他の方はその同居人で、親戚のお姉さんのところに居候してるってことですね」


 指差され名を呼ばれたさおりがびっくりしている。「え? ナニ? まだあたしの話だったの?」


 「あんたが世帯主だってさ」


 「セタイヌシって何?」さおりの反応は、まぁこんなもんだろうな。



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(ネット投稿向け脚注・2018年現在では、外国人にも住民票が出るよう法改正されています)

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