1-09

 「ちょっと意外だわ。あたしのコピーが、あっさりなんて……」


 オレンジ色は言った。


 「自律駆動なんだ? すごいすごい、おもしろいもの造ったのね、サンフラワー?」……知り合いか? 「ねぇサンフラワー、出てらっしゃいよ?」


 「呼び捨てにしないでくださいよ。この子らに何か勘違いされたらどうするんです」


 声が聞こえて、はっと振り返ると、はるか後方で床に黒い穴が空いて、まるでエレベーターがそこにあるかのように、白衣を着た男───サンフラワーが迫り上がってくるところだった。上がりきると、床は再び、継ぎ目も何もない真っ平らに戻る。


 地球を背にしてサンフラワー、月を背にしてオレンジ色。さっきのブルーローズ&クリスタルと、位置的には同じ構図。ただ、今度は、間にあたしたちが入っている。


 「別に僕と君とは仲良しさんでも何でもなくて───本来ああなるべき関係だ」サンフラワーは言って、上方を指差した。ブルーローズとクリスタルのすさまじい剣戟、飛び散る火花が目に見える。「どうせ僕を倒すとか言い出すんでしょう、シトリン」シトリン……このオレンジ色の名前のようだ。


 「そうよ? そのために来たんだもの」シトリンと呼ばれた女は楽しそうに答えた。「むしろクリスタル様はあなたを消したいのよ、ブルーローズよりもね。こういうおもしろいものを作る技術は、敵に回しとくとろくなことがないもの。……でもあなた、おもしろいことはおもしろいけど、こんなのでわたしたちに勝つつもり? まともに行動できるのが一体だけみたいだけど?」


 「さぁ、まだテスト段階ですから」


 ということは、あたしらを造ったのはサンフラワーということか。……あの覗き野郎が? サンフラワーはわずかにうつむき加減で、前髪が影になって表情がよく見えないが、どこかうれしそうにしているように見えた。───そして言うには、


 「でもまぁ、あなたごときに負けるものを造ったつもりはありません」


 おいおい、挑発してるよ!


 「へぇ、そう」


 それを聞いてシトリンは、いきなり突進してきた。同じようにスラスタの出力を上げ、まとめている長い髪を尻尾のように後方へなびかせて、床を滑るようなダッシュ。あたしより速い!


 あたしは身構えた。迎え撃とうとした。が、自分のリーチに入ったと思った瞬間に、シトリンの姿はあたしの視界から消えた。オレンジの髪が下へとなびく光の筋だけがちらりと見えた。高く跳ねたのだ! 気づいて視線を上げたときには、空中を一回転したシトリンのかかとがあたしの脳天をとらえていた。とても防げなかった。


 「がッ……」


 すました顔のままで、着地と同時に体を折り曲げ、脚を高く上げて鋭い回し蹴りを繰り出してくる。こめかみにもろに食らって、吹っ飛ばされた。あたしは床にすっ転がって―――激しい痛みを、感じた。クリスタルの攻撃がかすったときより、ロボットを殴ってぶち抜いたときよりも、激しい衝撃と、痛み。……でも何か違う、この痛み、なんだ? 痛いんだけど、まるで幻に与えられたような、肝心な神経が一本すっぽ抜けている激痛は何なんだ?


 「たいしたことないじゃない、なんなの、この程度?」


 クレープ屋を比較するような口振りで、言う。


 「く……」


 あたしは、打った腕を押さえ、眉間にしわを寄せながらどうにか立ち上がった。───幸いだ、ゴーグルの奥でも眉間にしわは寄る。金属板を張り合わせた体のはずなのに、顔を作る物質だけが柔らかいのは、表情を出すためなのだと、あたしはあらためて気づいた。


 「なに、その顔?」シトリンはあたしの苦悶の表情を見て、不思議そうに言った。


 「痛ェんだよ!」あたしは怒鳴った。


 「そんな感覚、戦闘時に残されているなんて、変な仕様ね」


 仕様って、おい。……だが後から落ち着いて考えてみるともっともな話だった。なぜ、機械の体に痛みが存在しうるのか? なぜ表情があるのか? 考えている余裕は、とてもなかったけれど。


 「これで勝てるだなんて、甘く見られたものだわね。仕様設計のレベルで練り込みが足りてないんじゃないの?」


 その練り込みってなぁなんだ、生クリームの話か? 戦うとか、殴り合うとか、今繰り広げている行為は、あたしにとって、痛くて、醜悪で、自分にすら制御できない、本来禁じられた負の行為のはずだ。その禁をあえて犯すというなら、同じ波長、同じ精神性を共有することが最低限のルールだと思っていた。それがいったい、なんなんだ、この女は?


 「ザケンナヨこらァ!」怒りにまかせてもういっちょ繰り出した右ストレートは、真っ正直すぎた。完全に読まれ、かわされた。前にのめるあたしの体とクロスさせるように、シトリンは膝蹴りを腹にぶち込んできた。体が沈むところへ、さらに延髄に肘鉄が入った。強烈だった。異質な鈍い痛みが脳天を貫き、あたしは目を見開いたまま床に崩れ落ちた。


 「話にならないわ。ねぇ、四体まとめてかかってきてくれないかしら?」シトリンは、あたし以外の三人の方を見た。……すぐに、肩をすくめた。「ダメみたいね」


 小野田めぐみはまだうつむいて震えている、高岡ゆきのはその肩を抱きながら、彼女自身おそらくは見聞きしたことのなかった、殴り合いの張りつめた空気に触れて、恐怖と戦っているようだ。水沢さおりは相変わらずほうけた顔をしている。目の前で起きていることに、自分が関わるべきかわかりかねて、おたおたしているようだ。関わらなくていいなら、関わりたくないもんな。そりゃ当然だ。


 動けないでいる三人を責めることなどできない。グーのパンチとカカトおとしで戦う女はあまりいない。


 シトリンは、三人の向こうにいるサンフラワーへと視線を移した。


 「サンフラワー! ずいぶんな出来じゃないのよ! 次はあなたの番よ!」


 叫ぶと、あたしにスラスタの蒼炎を叩きつけ、サンフラワーに向かって突進した。……その進路に、動けないでいる三人がいる。


 いつまでも痛がってはおれなかった。どうにか立ち上がって、「待ちやがれ!」叫んで、その後を追った。やはり、思っただけで、痛かろうがなんだろうが床を高速で滑っていける。思うとおりの動きを確実にトレースしてくれるのだ、この機械の体は。……だが、シトリンの方が速い。追いつけない!


 シトリンの勢いは、そこにいる三人をまったく無視していた。障害物は撥ね飛ばすか轢き倒すかって勢いだった。危険を感じたのか、ゆきのがめぐみを抱き留めて体を横に倒し、その突進を避けた。さおりは突っ立っているままだ。シトリンはそのふたりとひとりの間をすっ飛んでいく。「待てっつってんだろコラァ!」あたしはその背中に怒号を重ねた。


 すると、だ。何していいのかよくわからない表情でいたさおりが、急に動いた。「あのさ、待てって言ってるみたいなんだけどォ?」手をひらひらとやって、呼び止めようとする。「待ちなってば」追いかけるように、軽くステップを踏んだ。……もとより速度差がありすぎて、ステップなんてもので追いつけるはずはなかった。つまり、彼女がしたのは、二三歩追って、それきり止まって、後から『何もしなかった』と非難されるのを回避するためだけのお義理の行動、っぽかった。


 だが、驚くべきことが起こった。さおりの体はすこぶる高速なシロモノだったのだ。まるで瞬間移動したかと思うほどの速さで彼女は床の上を滑った。そしてわずか数歩のステップで───彼女の手はシトリンの肩にかかったじゃないか! その手が急ブレーキをかけるかたちになり、オレンジ色は引き倒されるようにピンク色と絡まって転倒した。


 「……あれェ?」


 止められたシトリンより、止めたさおりの方がびっくりして、あたふたしている。そこへあたしは追いついた。


 「こんのヤロウ!」


 起き上がりかけたシトリンの首根っこをウェスタンラリアットの要領でひっかけて、床に引き倒した。勢いのままに、つるつるの床を滑りながら押さえ込む。……キキキという、ガラスをひっかくいやな音とともに体にブレーキがかかり、止まった場所は、……ちょうど、サンフラワーの足下だった。


 サンフラワーはしゃがみ込んで、「何が話にならないんですって?」仰向けに倒れているシトリンの頬をつついた。


 小馬鹿にしたしぐさにかっとなったのか、シトリンは、押さえ込んでいるあたしの腕を力で振り払って跳ね起きると、サンフラワーに殴りかかろうとした。その寸前あたしは、起き上がりざまで不安定なところへ足払いをくれてやった。別にサンフラワーを助けたいなんて微塵も思っていなかったけれど、結果的にはそうなった。シトリンは、つんのめって顔面から床に落ちる。


 「できそこないのくせに……!」


 シトリンは立ち上がった。むきになったようだ。サンフラワーは後回しとばかりにあたしに飛びかかってくる。身構えたが、やはりシトリンの動きが速かった。彼女の手があたしの首根っこをひっつかんだかと思うや、あたしはまるで紙人形のようにオーバースローで投げ飛ばされ、頭から床に叩きつけられた。それは、事故ったときの、首の折れる嫌な記憶の時よりも強く激しい衝撃だったが、鈍い痛みが走るだけで、やはり体には傷ひとつつかなかった。


 投げ飛ばされたことでかなり間合いを離された。どうにか立ち上がって身構えると、シトリンは銃を持っていた。両手でグリップをしっかりつかみ、あたしに狙いを定めていた。ひとりめのベニヤ板が持っていたのと同じ形のものだ。……あんなものいつの間に、どこに隠してた?


 ───場所の問題かよ! あたしはとっさに横っ飛びに避けた。次の瞬間、今まで立っていた空間を光弾が突き抜けていく。


 だんだん、戦いという感覚が刷り込まれていくのがわかる。殴り合いのケンカは何度もやったことがある、だけどそれとは違うもっとぎりぎりの緊迫感が、自分の隙間を埋めてちりちりと音を立てている。撃たれそうになったら、避けなくちゃいけない。そういうこと。


 「あんた、ナマイキ!」


 続けざまに撃たれた。この空間に、身を隠す場所などない。弾を見てから避けるようなマトリックスなマネはできそうにない。シトリンが銃口を向けてきたら弾より速くその射線から逃げるしかない。いつまでそんなことができる? かといって、こちらから攻めようとして間合いを詰めたら巨大な的になるだけだ。


 ───甲高い声が聞こえてきた。


 「綾瀬みずきさん! 肩の飾りに、触れてください!」


 ゆきのだ。言われるままにはっと肩の赤い薔薇飾りに右手を当てた。


 すると花弁が大きく開いた。花弁に包まれた部分、本物の薔薇ならおしべめしべが収まっている場所は空洞になっており、そこから光があふれ始めた。同時に、触れた手が光に包まれながら空洞に吸い込まれていく。


 驚いて慌てて引き抜くと、手がいつの間にか光の塊を握っていた。光はすぐに薄れて白い細い筒状の固形物に変わり、自然にくびれて、折れ曲がり、形状を変え、トリガが根っこのように生え出し───銃になった。これは、……シトリンが持っているのと同じものだ。


 スラスタを緩めることなく移動を続けながら、シトリンと同じように両手でグリップを握りしめ、トリガに指をかけた。銃口を、シトリンに、向けた。


 ───これは、危険な道具だ。指一本を動かすだけで、容易に他人を傷つける。そのための道具だ。傷を受ける恐怖に自分はたった今おびえたし、実際に傷を受けて悲鳴を挙げた少女がすぐ近くにいる。危険な道具なんだ。それを自分は使おうとしている。


 撃てるのか? あたしに?


 ナイフでも、ゴム鉄砲でも、ハンダゴテでも、危険だから人に向けるなと言われてきた!


 駆けめぐるイメージ。小学生の頃、カッターナイフの刃を出したまま、その切っ先を向けて渡そうとして、じいちゃんに怒鳴られた。ハンダゴテをホルダーではなく作業台に直接置いて、床に転がして落としてしまって、技術の教師に怒鳴られた。ただ叱られただけとなんとなく聞き流していたようでいて、あたしは確かに、人を傷つける危険性を教わっている。


 バイク仲間がガソリンスタンドでタバコを吸ったとき、貴様死ぬ気かと、スタンドの親父がものすごい形相ですっ飛んできたのを覚えている。なんだよあの親父気色悪ぃと、その仲間は悪びれることなく、けれど憤慨の矛先は親父じゃなくあたしに向けられた。あたしはそのとき何してた? ただ含み笑いをしていただけじゃなかったか?


 今こうして銃を握って、人に突きつけて、キケンというものを思い出す。それを思い出せることに心の片隅でちょっとだけ安心して、でも今は、含み笑いの領域を蹴散らさなくちゃならない。


 撃てるのか? あたしに?


 あたしの脳みそをよぎったその思考は、重要な是非の判断だった。ほんのわずかな時間だったけれど、なぜだかその一瞬、とてつもなく冷静になっていた。道具を扱うがゆえの温度のない触感が、シトリンに殴りかかって激しく高ぶった脳幹をすっかり冷ましていた。感情的に殴れるもんなら、そうしていたかったさ! 殴ることより、スイッチを入れることの方が、ときとして難しい。


 ……生きることすらよく理解していなかったあたしが、生死を分かつ、あるいは自分の尊厳を試される、そういう場面にいる。あたしはこれから、他人を傷つける。いいかい、あたしはこれから、危険な道具でひとさまを傷つけるんだよ?


 人差し指の筋肉が、鉄のように固まっている。でも本当は、もうそこに筋肉などないのだ。


 あたしは。


 トリガを、引いた。


 涙がこぼれそうだった。


 でもこの体からは一滴も涙が流れなかった。

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