終の檻 - SF?

 社会は疲れ切っていた。


 ◇


 分厚く透明なアクリル板が一面、コンクリートのみの壁が二面、出入り用にドアが付けられたコンクリートの壁が一面、この四面に囲まれた一坪の小さな部屋が沢山あるこの場所が、私の職場だ。

 空の部屋も多い。

 誰かが入っている部屋は、アクリル板の面から家族がその中を見ている。


 そんな中、一つの部屋が異様だった。

 中にいるのは高齢の男性。アクリル板から中を見る者はおらず、代わりに扉を背に高校生くらいの少女がうずくまっていた。

 男性は、ここから出してくれとばかりにドアを握った両手で叩いている。

 少女は、耳と背中から伝わる振動で、それを感じているはずだ。

 確か、先週も同じ光景を見たような。


 12番。アクリル板の右上に設置された番号を確認し、手元の資料を見る。

 中にいる男性は痴呆症。ドアのところにいる少女はその孫か。


 男性は諦めたのか、叩くことを止め、反対側に移動して寝転んだ。

 少女は、叩く音が聞こえなくなったのを不思議に思ったのか、上半身をひねり、ちょうど目線の高さに合った新聞受けから中の様子をうかがう。


 おっといけない、時間だ。

「残り三十分しかありません! 本当によろしいのですか?」

 私は、マイクを通して、この場にいる全員に声を掛けた。


 ◇


 ごめんなさい、ごめんなさい。

 私はひたすら、背中の扉を叩く祖父に、心の中で謝った。

 ガラス越しに祖父を見るなんて、そんなことできない。私が殺すのに。

 両手で反対の二の腕をぎゅっとつかめば、左が痛んだ。先週、どうしてもできなくて、祖父を連れて帰ったら、父に殴られた。その痕だ。


 祖父は痴呆症で、私や母のことはもちろん、息子である父のことももう分かっていないようだった。

 体は元気だから、油断するとすぐにどこかに行ってしまう。その度に、家族で探しに行かなければならない。

 祖父の面倒を見る為に、母が仕事を辞めなければならなかった。収入が減ればその分生活が厳しくなる、そんなこと高校生の私にだって分かった。


 ご飯だとテーブルについても、余り食べずにどこかへ行こうとする。かと思えば、全くご飯の時間ではないのに食事を要求する。

 気分が乗らなければ、てこでも動かない。それならばと、少し油断すればいなくなっている。


 生活からどんどんゆとりが消え、イライラが増えていった。

 母が、疲れて体調を崩したことが引き金になった。

 このままでは、祖父の為に他の家族が疲れ切ってしまう。祖父を安楽死させようと。


 安楽死させるには、親族が見届ける必要がある。

 伏せっている母にはさせられない、父は仕事で忙しい。私が連れて行くことになった。


 祖父を小さな部屋に閉じ込めてから、実際に安楽死の為のガスがその部屋に流れ込み始めるまで、一時間以上時間がある。

 本当にそれでいいのか、最後に考える為の時間だ。

 先週はそこで、やっぱり祖父を殺すことができなくて、連れて帰った。

 そして、何を考えているんだと、父に殴られた。


 ごめんなさい、おじいちゃん。

 助けることはできないの。


 不意に、ドアの振動も叩く音も消えた。

 どうしたのだろうと、体をひねってドアを見れば、ちょうど新聞受けが目に入った。

 どうして、こんなものを付けておく必要があるのかわからなかったけれど、ちょうどいい具合にあったものだから、そこから中を覗くことにした。


「残り三十分しかありません! 本当によろしいのですか?」

 残り時間のアナウンスが聞こえてきた。

 まだ三十分もあるんだ。


 ◇


 増え続ける高齢者と、減り続ける現役世代。

 高齢者への社会保障費が増え、現役世代の負担は増えていく。

 それを改善する為、尊厳死と安楽死を認める法律が制定された。


 自分で自分の死を決める尊厳死。

 誰かに迷惑をかける前に、死を選ぶ。

 最期が決まっていれば、人生の計画を立てやすい。やりたいことをやって、充実した生活を送って、おいていく自分を見ずに死を選ぶ。

 そういう生き方も選べるようになった。


 自分自身がきちんとした判断をできなくなった時、親族が苦しまずに死なせる安楽死。

 簡単に人を殺す選択ができないよう、直前に一時間以上の考える時間を過ごさねばならず、死んでいく様子を見届けなければならない。

 いったんは安楽死を求めたものの、直前の一時間でやはりやめておくという家族は多い。


 安楽死は、政府が追うべき社会保障を、家族へなすりつける為のもの。そういう批判も多い。

 楽になる方法を用意したというのに、自分たちで一緒に生きていくと決めたのだから、自分たちでどうにかしろと。

 家族を殺すような決断をするか、全ての負担を家族で受け入れるか、その様な二者択一はあまりにもひどすぎると。


 ◇


 時間だ。

 残った各部屋を回り、ドアの隙間と新聞受けをふさぐ作業を行う。


 残り三十分の時にはドアの前でうずくまっていたあの少女は、老人が諦めたように寝たこともあるのか、アクリル板から老人を見ていた。

 この時間、せめて祖父との良かった思い出を考えていてくれたらと、願う。


 何組もの家族がここを訪れた。

 一度は連れて帰ったものの、やはりしんどくて再び訪れる家族。

 何度も何度も訪れては連れて帰るを繰り返す家族。


 どのような選択が一番いいのかは分からない。

 けれども、どうか家族を犠牲にしたとずっと後悔するのではなく、その分を心に留めより良く生きて欲しいと思う。


 ◇


 その時まで、まだ三十分も時間があるのに、祖父はさっさと寝てしまった。

 寝てしまった祖父を新聞受けから見ているのは、なんだか余りいい心地がせず、私はガラス面の方へ移動した。


 最近は、イライラするばっかりで、はっきり言っていい思い出はない。

 けれど、こうやって穏やかに寝ている祖父を見ていると、小さな頃遊んで貰ったことが思い出される。

 動物園に連れて行って貰ったとか、自転車の練習を一緒にして貰ったとか。

 お風呂で一緒に歌った、わがまま言っておもちゃを買って貰った。

 忙しい両親の代わりに、習い事の送り迎えもして貰った。


 いっぱい貰ったけど、ごめんね、おじいちゃん。

 いっぱいいっぱいになっちゃって、このままだと家族がバラバラになっちゃいそうなの。

 ごめんね。


 結局祖父は、そのまま目覚めることなく、息を引き取った。

 ずっと見ていても、何も変わらなかったから、寝ているままだと思ってた。

 苦しくなかった? 苦しんでじゃなければ、それだけでも良かったかな。


 ごめんね。お父さんとお母さんと、ちゃんと生きていくから。


 ◇


 社会は疲れ切っていた。

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