第69話 昔はヤンチャしてたから

 繰り返し夢の中へと侵入してくる電子音で、強制的に目覚めさせられた。

 重いまぶたを半開きにするが、視界は暗く閉ざされている。

 手探りで枕元のスマホを拾い上げ、画面に触れると深夜の三時前だとわかった。

 こんな時間にどこの馬鹿だ、と玄関の方をたっぷりの殺意を込めてにらむが、チャイムは何度も何度もしつこく鳴らされている。


 どうせ酔っ払いの悪ふざけ、と断定して無視したいところだが、もし火事や事件の報せだったりしたらシャレにならない。

 寝てから二時間ちょいで叩き起こされる倦怠感にさいなまれながらベッドを出て、欠伸あくびを噛み殺しつつインターホンで対応する。


「……ふぁい?」

「はい、じゃねえんだよ。サッサと出ろや」

「は? ……何だぁ? 誰?」


 不躾ぶしつけな言い草にイラッときて、不機嫌さを丸出しに対応する。

 その直後、「ドンドンドンッ」とドアが強めにノックされる音が連続して響いた。

 どうやら外には常識とは縁のない、ヤバい奴が待ち構えているようだ。


「ちょっ――いい加減にしないと、警察呼ぶけど」

「あぁ? ……チッ、いいからちょっと出て来いって」

「だから、あんたは誰で、用件は?」

「わかんだろ! 俺ぁ金城きんじょうだよ、金城!」


 ようやく名乗った相手の声を聞きながら、このアパートの二階に住むガラの悪い一家の存在を思い出す。

 正体がわかっても面倒さは変わらんな、と思いながらご近所さんを相手にするモードに切り替えて話を続ける。


「それで、どうしたんです、こんな時間に」

「ハァ? どんな時間でも関係ねぇだろが! とにかく、ツラ貸せってんだよ!」


 ドアを叩くのではなく、結構なパワーで殴るか蹴るかしたらしい「ドガッ」という音が振動と共に届く。

 気分的には、この馬鹿を可及的速かきゅてきすみやかにポリスに回収してもらいたい。

 しかしそのコースを選んでしまうと、逆恨みした金城ファミリーから今後どんな嫌がらせをされるやら、わかったモンじゃない。


「ふはぁあああああぁ……」


 インターホンを切った後、特大の溜息を一つ吐いてからドアを開ける。

 サンダル履きでドアの外に踏み出そうとした瞬間、延びてきた手がこちらのスウェットの襟首えりくびを掴んできた。


「うぉおおっ?」


 無理に引っ張られてバランスを崩し、そのまま廊下に転がってしまう。

 荒々しい出迎えがあるとは覚悟していたが、予想の斜め上を行くチンパンジー加減だ。


「う、いって……」

「呼んでんだから、すぐに出て来いってんだよ。何様だボケが」


 テメーが何様だクソが――と反射的に応じかけるが、面倒な状況のランクが上がるだけだろうから何も言わず、立ち上がって手足の汚れを払う。

 コチラを睨んでいる金城は、もう四十前後になるだろうに薄くなりかけた短髪をガッツリとブリーチし、落ち着きが絶望的に足りない装いをしている。

 ファッションセンスが高校時代からアップデートされていないというか、まともな服装を必要としない元ヤン人生を邁進まいしんしているというか。


「……それで、何なんですか一体」

「何なんだ、はコッチのセリフだってぇの。あっこのアレ、お前のだろ」

「は? どこの?」

「だーかーらぁ! ウチの駐車スペースによ、お前がダサ車停めてんだろ! 早くどかせよ、クソボケが!」


 金城がアパート手前の駐車場を指差すが、俺はその金城を「お前は何を言ってるんだ」というメッセージを込めたシラケ面で見返す。

 半秒ほど戸惑いの表情を閃かせた金城だったが、「とにかくキレた方が勝ち」という経験則に従っているのか、声を荒げて繰り返してくる。


「ボサッとしてねぇで、サッサとどかせや! ウチの車が入れらんねぇだろ!」

「いや……停めてないから」

「あぁ? ナメたこと言ってんじゃねぇぞ、クォラ? 現に今、あっこに車が停まってんだろうがよぉ、オイ!」

「だから、俺の車じゃないから、動かしようがないんだけど」


 そう聞いて今度は数秒固まった金城だが、煙草に火をつけて少し間を置いてからゆっくり煙を吐き、「ついてこい」というジェスチャーを見せて歩き出した。

 無視して帰って寝たいという感情しかないのだが、そうするとまたチャイムを連打されそうなので、仕方なく金城の後をついていく。


「じゃあ、こりゃあ何だよ」

「何、って……何です」


 何歩か先で止まった金城が、手にした煙草で足元を指し示す。

 そこには、駐車場から続いている泥靴の痕跡があった。


「車からおめぇの部屋まで、ガッツリ靴跡が続いてるじゃねえか。お前か、お前のツレが乗ってきたんだろ? ああ?」

「何度も言うけど、そんな車は全然知らないんですけど」


 確かに、靴跡はこちらに向かっているように見えなくもない。

 だがそれはそれとして、心当たりのない話でキレられてもリアクションがとれない。

 とりあえず警察呼んで撤去すれば――と提案しかけるが、金城の息に誤魔化しの効かないアルコール臭が混じっていたのを思い出してヤメておく。


「チッ、何だってんだよ……ホントに知らねぇのか? ちゃんと見てみろよ」

「はぁ」


 逆らうと現状に輪をかけて厄介なことになりそうなので、言われるままに問題の車を確認しに行く。

 駐車場の入り口付近では、黒のミニバンが時間帯を無視した重低音を鳴らしている。

 助手席には小太りでプリン頭の三十女が座っていて、後部座席からはその女にそっくりな可愛げのない子供が顔を出している――あれは確か、金城の嫁と娘だ。

 いくら明日が土曜とはいえ、こんな時間まで小学生の子供を連れて遊び回って、しかも飲酒運転とは。


 疲れが倍増した気分を抱えつつ、金城の駐車スペースを占領した車を背後から眺める。

 明るさの足りない街灯に照らされた無人の軽ワゴンは、随分と古い型に見えた。

 あまり年式などに詳しくはないが、俺が子供の頃にCMでバンバン宣伝されてた記憶があるんで、二十年くらい前の車じゃなかろうか。


「……これは」


 古いというか、ボロい――あちこちに大小の傷があり、数箇所で塗装が剥げている。

 その上、車体が全体的にほこりを被っているというか、薄っすらと泥に塗れたような感がある。

 オマケに、生臭さと焦げ臭さが混ざったような、表現の難しい悪臭も漂っている。

 どういう車の乗り方をしていると、こんな具合にガタガタになるのだろうか。


 プレートの文字は、緑っぽい何かでコーティングされていて読み取れない。

 サンダルの底で汚れをこそぎ落とすと、神戸だったか大阪だったかの地名が出てきた。

 一応は二十三区のこの辺りでは、滅多に見かけることのないナンバーだ。

 これは長距離を走れる状態なのか、と思いつつ巡らせた視線が、デカめの違和感に触れてしまった。


「……ん? えっ?」

「あぁ? やっぱり知ってる車かよ?」

「いや、そういうんじゃなくて、タイヤが」

「んぁ? タイヤがどうしたって――んっ」


 言葉に詰まった金城が真顔になる。

 自分もきっと、強張こわばった表情を浮かべている。

 目の前に停まった車からは、後輪が右も左も脱落していた。

 どう考えても、この場まで自走できる状態ではない。

 となると、誰かがワザワザこれをここに運んできた、ってことになるのだが。


 どうやって、どういうつもりで――首を捻りながら、軽を今度は前から眺める。

 フロントの右部分がベッコリとヘコんで、フロントガラスには蜘蛛の巣に似た修復不能なヒビが走っている。

 右のサイドミラーも欠落していて、車体右側には酷い擦り傷が長々と残っていた。

 こんなの確実に廃車だろう、っていうかこれは――


「事故車、じゃないのか」

「……事故」


 こちらの独り言に金城が反応し、平坦なアクセントで繰り返す。

 様子を伺ってみれば、薄暗い中でも顔が真っ白になっているのがわかった。

 金城は「フザケんな」とか「そんなワケねぇ」などとブツブツ言いながら、何かで汚れたリアウィンドウを右手で荒っぽくぬぐう。


「ぁぐっ」


 二度、三度とガラスの上を往復していた手が、呻き声と共に止まった。

 どうしたのかと背後に回ると、金城の視線は窓に貼られたシールに向けられている。

 ピクトグラムっぽい子供が踊っているイラストと、「赤ちゃんがノリにノッています」という文字。

 昔ちょっとだけ流行った『赤ちゃんが乗っています』のパロディものだろうか。


「もしかして、このシールに見覚え――」

「ねぇよ! 知らねぇよバカ! 何だよ、何だってんだよ! クソがっ! ほぁあああああっ!」


 俺の質問を大声でさえぎった金城は、テールランプの辺りをガンガン蹴って吠える。

 色々とイワクがありそうな気配が漂い始めたが、好奇心よりも係わり合いになりたくない感情の方が大きかった。

 サッサとここから立ち去りたいのだが、どこかに電話し始めた金城に話しかけることもできず、壊れた車をボンヤリ眺めるしかなかった。


『ビッ』


「うぬおっ!」

「つぁはぁ!」

 

 不意に短いクラクションの音が鳴り、俺と金城は同時に奇声を発する。

 金城は一直線に自分のミニバンへと駆け戻ると、スマホに向かって何事かを怒鳴りながら運転席に乗り込み、猛スピードでどこへともなく走り去った。

 金城の逃亡を呆然と見送った俺は、音の出所であるボロ車を見ないようにしながら、自室まで戻ることにした。


「えぇえええぇ……」


 ドアの手前でそれに気付いてしまった瞬間、震えた声が喉の奥から勝手に漏れ出した。

 さっきは途切れていた足跡が、新たな続きを作っている。

 泥のスタンプは俺の部屋の前を通過し、その隣の部屋も二つ隣の部屋も無視して、二階への階段を上っていた。

 現在、二階に住んでいるのは一家族しかいない。

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