第61話 けむりだな

「ケイちゃんケイちゃん、あれ」


 近所のコンビニで買い物を済ませ、俺の家まで戻っている最中。

 左隣を歩いていたハナが、俺のシャツの裾を引っ張りながら言った。


 足を止め、手元のスマホからハナが指差している方へ視線を移動させる。

 色の薄い青空に、濃い灰色の煙が立ち上っていた。

 住宅街のどこかから生じている煙は、真っ直ぐに空へと向かっている。


「煙、だな……火事か」

「火事だったら、あんな煙になんなくない?」


 ハナに反論され、それもそうかと納得する。

 火事でも焚き火でも、もっと勢いよく煙が広がっていくだろう。

 細い煙がスーッと伸びていく様子は、線香のそれを連想させた。

 しばらく眺めていると、またハナが裾をクイクイと引っ張ってくる。


「ねぇねぇ、どうなってんのか確かめよ。折角せっかくだし」

「あぁ……ん、行ってみるか」


 何がどう折角なのかサッパリだったが、ハナの提案に乗っておく。

 買い物の中に溶けるモノも冷めるモノもないし、別に構わないだろう。

 日差しと風が心地良くて、散歩には丁度いい気候だ。

 たぶんこっちだな、と当たりをつけて煙の出所でどころを目指す。


「こっちって何があんの?」

「知らね。ここらは用ないから、初めて通るわ」


 自宅の近くではあるが、最寄駅までのルートから外れているし、車で通る道でもない。

 考えてみたら本当に、これまで一度も通ったことのない道だった。


 安っぽい建売住宅が並んだ中に、落書きだらけのシャッターが下りたパン屋や、閉店を知らせる貼り紙の文字が色褪いろあせているフルーツ屋といった、見ていて切なくなるような物件がチラホラと混ざっている。

 それにしても――


「日曜の昼って、こんなに静かなモンか?」

「えーと、むしろ休みだからみんな家にいない、とか」


 俺の疑問に、ハナはそれっぽい答えを返してくる。

 一理あるような気がしなくもないが、にしてもこの人気ひとけのなさはちょっと変じゃないか。


 さっきから結構な距離を歩いてるのに、通行人と会わないどころか車も通らない。

 強まる違和感に、スマホで付近の情報を調べようとしていると、背中をポテポテとゆるく叩かれた。


「どうした?」

「あっちっぽいよ、ケイちゃん」

「んー、もう近いな」


 最初に見た時よりも、煙は随分と濃くなっている。

 何かが焼けたり焦げたりの臭いもしないし、やはり火事ではないようだ。

 いや、それにしても十分以上は燃え続けているのだから、何かしらの異変を感じ取れるのが普通って気もするのだが。


 手入れのされてない生垣に囲まれた家を通り過ぎると、その隣には戸建て二軒分くらいの更地さらちが広がっていた。

 雑草がまばらに生え、細かい木片や瓦礫がれきが散っている。


 等間隔に打ち込まれた杭で囲まれているが、バラ線などは使われていない。

 ゴミか建材か判別できないものが固まって置かれている中に、濛々もうもうと煙を吐いている陶製の何かが見えた。

 

「アレか」

「何だろ……つぼ? かめ?」

「ちょっと、見てくる。ハナはここにいて」


 コンビニの袋を渡しながら言うと、ハナは小さく頷いた。

 柔らかい地面にサンダルを沈ませながら、俺は煙の元へと近寄っていく。

 問題の古びたツボだかカメだかは、下の方が地面に埋もれていて思ったよりデカい。

 青地に、緑っぽい釉薬うわぐすりがかけられている。


 水瓶みずがめとか火鉢ひばちとか、そういうのだろうか。

 そんなことより、こんなに近寄っても煙たさを感じないのはどういうことだ。

 疑問を感じながらも、煙を顔に浴びないように少し距離を置いて覗き込む姿勢をとる。

 もう少しで中が見えるかな、となったところで前触れもナシに煙が掻き消えた。

 

「んぁ?」

「ふぇ?」


 予想外の状況に妙な声を漏らすと、そこに被せるようにハナの声がした。

 振り返ると、険しい表情のハナが空を見上げたり俺を見つめたりと、忙しくアチコチに視線を動かしている。


 色々とおかしいが、ここまで来て『よくわからなかった』で引き返すのもな。

 そんな判断を下した俺は、湧き上がってくる嫌な予感を捻じ伏せ、丸く口をあけたかめの中を覗き込んだ。


「これは……」

 

 中には吸殻の入ったまま水を入れた灰皿みたいな、透明感のある茶色い液体が溜まっていた。

 それから、見覚えはあるがタイトルはわからない、子供番組のキャラがプリントされたコットンのシャツやパンツが、茶色く変色した状態で乱雑に積み重なっている。


 男児用と女児用が混ざっているようで、番組は最近のものではない雰囲気だ。

 その他に、画用紙っぽいサイズと質感の紙を固くねじって棒状にしたものが、下着の山に何本か突っ込まれている。


「何なんだ、こりゃ」


 口の中で小さく呟きながら、捻れた紙を拾い上げて湿った下着を掻き分ける。

 すると、これまで何のニオイもなかったのに、不意に牛小屋に似た悪臭が鼻につく。

 顔をしかめながら下着をどかしていくと、黒く変色した屋根のようなものが浮き出てきた。


 こいつは家の模型、だろうか。

 鳥小屋にしては作りが細かいし、ドールハウスにしては和風だ。

 どこかで見たことはある感じなんだが。

 お城のプラモ、神社――いや、違う。


「……神棚」


 正体を言葉にしてみると、自分の見ているものの異様さが再確認される。

 意味や意図はわからないが、『よくないことが行われている』のはわかる。

 更にもう一つ、疑問点が浮かんできた。


 あの煙は、どこから出ていたのか。


 そこに気付いてしまった途端、柔らかい風に棘が混ざったような気分に陥った。

 風――そうだ、今日は風が吹いている。

 なのにどうして、俺たちの見た煙は真っ直ぐに空へ上っていたのか。

 

 これは絶対に、確実に、関わったらダメなやつだ。

 俺はその場を離れると、早足でハナのところへ戻った。

 そして何を見たのかと訊かれる前に、咄嗟とっさに思いついた嘘を口にする。


「あー、アレだ。あの、煙玉。あるだろ、一個が十円とか二十円で売ってる、花火の」

「うん、知ってる」

「アレの残骸がな、これでもかってくらい大量に入ってた。どっかのアホなガキが、フザケて一気に火を点けたんだろ」


 俺の話を聞いたハナは、曖昧な表情を浮かべて首を傾げ、かめに目を向けている。

 あたしもそれ見てみたい、と主張したら止めた方がいいだろうか。

 そんなことを考えていると、ハナがこちらにコンビニの袋を渡しながら言う。


「なるほどー、煙玉かぁ。めっちゃ黄色い煙だし、何かキラキラしてるしで、ちょーっと変だと思ったんだよねぇ」

「えっ?」

「……えっ?」

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