第57話 開けるなよ、絶対開けるなよ

 仕事を終えて自宅に戻り、スーパーの半額惣菜を駆使した半自家製の天ぷらうどんをすすっていると、テーブルの上に置いたスマホが長く振動した。

 この時間に会社からだとダルいな――そう思いつつ確認した画面には『スマイルハート 国崎』と表示されている。


 スマイルハートは去年まで勤めていた清掃会社で、国崎というのはそこの先輩社員だ。

 それなりに仲良くやってはいたが、退職後には付き合いもなくなってるし、今更どんな用件があるのか。

 とはいえ無視するのもどうかと思い、とりあえず電話に出ることにした。


「はい?」

『ああ、ハルか? 詳しく説明してる時間はないけど、とにかく聞いてくれ!』

「……はい?」

『いいから聞けって! いいか、マジなやつだぞ! これマジなやつだからな!』


 焦っているのか酔っ払っているのか、国崎はやたらと早口で声がデカい。

 半年以上ぶりの相手にいきなりこのテンションは、ちょっとどころではなくオカシいだろう。

 ぶっちゃけメンドくさいな、と感じつつも返事はしておく。


「はぁ……何なんです?」

『これからな、お前んとこにやべぇのが行くから!』

「え? ヤバいって、どんな――」

『すぐに、一発でわかるから! そんで、それが来ても絶対、絶対にドア開けるな!』

「いや、何の話を――」

『いいか、開けるなよ! 絶対開けるなよ! ダチョウっぽいネタ振りとかじゃなくて、これ完全マジだから!』


 国崎はこちらの質問にまともに答えず、食い気味に大声を発してくる。

 正直だいぶイライラしてきたが、雰囲気的に悪ノリや冗談の類ではなさそうだ。

 となると、何が起きているのか把握しておかないのもマズい気がする。

 ネットで変なのとケンカして、キレてる相手にフザケてここの住所を教えた、みたいな流れだとかなりシャレにならないんだが。


「えぇと、ヤバいのが来るから相手にするな、ってことですか? マジで来たら通報していいですかね?」

『いや、いやいやいや! 警察とか、そんなんアレだ、アレだよ! だってそれ、意味ないから! だからもうガチで、ドアは開けんな! いいな!』

「落ち着いてくださいよ。ちょっともう、ワケわかんねぇんですけど」

『こっちだってなぁ、あんなのわかんねぇんだよ! とにかくドア開けんな! あと、何を言ってきても全部否定しろよ! 認めたり、許したりすんなよ!』

「認めるって、どんな――」

『そうやって訊き返すのもナシだ! 全部「いや」「違う」「わからん」「ダメだ」「そうじゃない」とかで返せ! 絶対だぞ!』


 そうくし立てると、国崎はこっちの返事を待たずに通話を切ってしまった。

 何が何だか、サッパリわからない。

 確実なのは、自分が何らかのトラブルに巻き込まれた、ということだけ。

 あとは、トラブルの相手がかなりの危険人物らしい、くらいだろうか。


 そういえば、警察に通報しても意味がないって言ってた気がするが、あれはどういうことなんだ。

 絶対にドアを開けるなとか、何を言われても否定しろとか、国崎の言ってることはワケがわからなすぎる。


 深い溜息を吐いてスマホを置き、食いかけのうどんを眺める。

 汁を吸って変色したカボチャ天とキス天が、丼の表面に油膜を広げていた。

 ただでさえ微妙な味が更に二段階くらい落ちているのを予想しながら、麺の中に箸を突っ込んだ瞬間。



 だらららららららららららららららっ



 と、異様な音が鳴り響いて動きを止める。

 TV番組の結果発表なんかで流れる、ドラムロールに似ていた。

 だが、もっと硬いものを連打している印象だ。

 たとえば――ウチのアパートの、金属製のドアみたいな。



 だらららららららららららららららっ



 同じテンポで、もう一度鳴った。

 まさかな、と思いながら腰を上げる。

 ヒザがフワフワして尻餅をきかけたが、体勢を立て直して起き上がり、玄関の方へと向かう。



 だらららららららららららららららっ


 だらららららららららららららららっ



 二拍くらいの間を置いて、連続して音が鳴った。

 明らかに、ウチのドアが叩かれている。

 これは確かに、だいぶヤバいのが来ちゃったな――そんな感情が湧き上がると同時に、胃の辺りがキュッと締まった。


「マジでか……」


 半ば無意識に、しわがれた呟きが漏れる。

 それに反応したかのように、ドアの向こうで何かの気配が膨らんだ。

 スコープを覗いてみたかったが、嫌な予感もするのでやめておく。

 ロックが二重に掛かっているのを目視し、次に起こることを待った。

 

 待っている間に緊張感はつのり、呼吸がどんどん速くなる。

 心音も喧しいくらい跳ねているはずだが、意識がドアの先に集中しているせいか殆ど気にならない。

 そのまま数十秒が過ぎて、無言に耐えられなくなる寸前。

 ドアを挟んだ廊下から、不意に声が届いた。


『くにぃさーきーだよぅ……あーけてーよぉお』


 どう考えても嘘だった。

 風邪気味な状態でヘリウムガスを吸ったような、耳障りな濁り方をした甲高い声。

 あまりの異物感に、全身に鳥肌が立ったのがわかる。

 この場から離れたいのだが、放っておくと何をするかわからない、という不安が払拭できずに動けない。


『おーかぁあーさんでーすよぅ……あけーなさぁーい、たぁーかはるぅうー』


 今度は、お袋のフリをしてきた。

 イントネーションが全体的におかしい。

 それはそうとドアの向こうにいる奴は、俺の名前が貴晴たかはるってことも知っているのか。

 国崎が教えたのか、それとも――



 だらららららららららららららららっ

 


 またドラムロールみたいな音が響いて、思考が寸断される。

 ドアが震えていたってことはやっぱり、外にいる奴が叩いているのか。

 何を使うと、どうするとこんな音が。

 とにかくもう、無視を続けて帰ってもらうしかない。

 そう決めたつもり、だったのだが。


『だまぁあーてるぅーと……やーきまぁああああっすよーおぉ』


 やーきまーすよーお、って何だ。

 もしかして「焼きますよ」なのか?

 俺の不吉な予感を裏付けるように、『カチッ、カチッ』と不吉な音が聞こえてきた。


「おいおいおい、ちょっと待てよ! 何してんだっ!」

『んくふっ』


 反射的に怒鳴りつけると、含み笑いを噛み殺したような声が返ってきた。

 治まりかけた鳥肌が、再び全身に拡散していく。

 何だか今さっき、取り返しのつかないミスをしたような――


『だったーらまーつぅーね……あーっがってまーつぅーね』

「は? うぇっ?」


 大量のペットボトルと魚のアラを放り込んだ焚き火の煙。

 そう表現したくなるケムくてクサくて生温かい空気の塊が、俺を通り抜けて奥の部屋へと進んでいった。

 上がって待つ、って言わなかったか。

 屋内に上がりこまれたのか、今ので。


『べっへ、ぶほっ! ぶっふ……うっ、うんっ! んんっ、んっ! んっ、ぅんっ! んっ! んっ、んぅん!』


 何度か咳き込んでせるような音がして、その後はずっと咳払いの音が続く。

 どうにもわざとらしい雰囲気があるので、そんなフリをしているだけかもしれない。 

 そんなことより、ウチに何が入り込んできたのだろう。

 リビングとキッチンを隔てる引き戸、そこにはめ込まれた曇りガラスは、濃い桃色の塊を透けさせている。


 一秒でも早く、この場から離れたい。

 しかし、あんなものを自宅に置き去りにするのは、不安にも限度がある。

 アレが何なのか国崎を問い詰めたいが、スマホはリビングだ。

 とにかく、ニオイも酷いから一度外に出よう、と玄関に向かってドアノブに手をかけると同時に



 だらららららららららららららららっ



 と、あの音がドアの外から鳴り響いた。

 まさか、と固まっていると



 ばたたたたたたたたたたたたたたたっ



 と、背後から少し軽い調子の似たような音が鳴った。

 その瞬間、目線が一気に下がって、足に結構な衝撃が来た。

 数秒の混乱を経て、自分が腰を抜かしたことに思い至る。


 いっそ、気絶してしまえればよかったのかも。

 そんな考えが浮かんだ直後、引き戸の動く音がした。

 そちらを振り向く間もなく、けむたい悪臭が咽喉に詰まって――

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