第35話 おかずリサイクル
気がつけば、吐く息が
今年初めてか――いや、一月や二月は当然ながら白かったわけだし、言うならばこの冬で初めて、という表現が正しいのか。
それより、十月の末というのは冬にカテゴライズしていいのだろうか。
そんなとりとめのないことを考えつつ、俺は疲れた脚で自転車をのたのたと
乾いた冷たい夜気が、誰かが作ってしまったチキンラーメンの匂いを運んでくる。
日付が変わる前後の半端な時間って、やたらと腹が減るんだよなぁ。
そこはかとない共感と空腹感を覚えながら、ペダルを回すスピードを上げた。
帰ったら俺もラーメン作るか――などと思っている内に、家まですぐの地点まで戻ってきていた。
バイト先が近いのはいいが、人手の足りない時にバカスカとシフトに入れられるのは困りものだ。
仕事内容と時給が釣り合ってない気がするし、そろそろオサラバするべきかな。
やっぱり大学生の本分は学業、って気がしなくもないって説もないことないし。
「……おっ?」
視界を
ギキュィィィッ、と油の切れたブレーキが近所迷惑な高音を盛大に散らした。
寝静まった住宅街にあるまじきノイズを響かせてしまったが、幸いなことに周囲からの反応は特にない。
どこかで犬が吠え始めたが、きっと俺のせいではないはずだ。
それでも申し訳なさは多少あったので、静かに自転車のスタンドを立て、数秒前に通り過ぎたゴミ捨て場へと小走りに戻る。
明日は可燃ゴミの日でも不燃ゴミの日でも資源ゴミの日でもない。
なのにポツンと手提げの紙袋が置かれている、ということは――
「やっぱり、か」
予想は見事に的中していた。
袋の一番上に載せてあった週刊マンガ誌をどかすと、その下にはエロDVDのパッケージが潜んでいた。
持ち上げてみた重量からして、結構な量が入っていそうな気配がある。
近所の誰かが、所有するお宝をまとめて廃棄したのだろうか。
コピー品じゃないみたいだし、売れば多少の小遣いにはなりそうだ。
ここに放置して処分されてしまうのは、ちょっと勿体ない。
そんな誰にも届かない言い訳を思い浮かべつつ、俺は紙袋を拾い上げると自転車のカゴに積み、ややスピードアップしてその場を離れた。
そしてアパートの一階にある自室に戻り、早速中身のチェックを――しかけたところで、何か厭な感じのイタズラが仕込んである可能性に思い至ってしまった。
虫とか汚物とか、そういうのを部屋の中にバラ撒かれたら大惨事だし、引っかかったマヌケな自分を許せなくなりそうだ。
ちょっと対策を検討した末に、俺は紙袋をバスルームに運び込んで、軍手を装着した状態で袋の内容物を確かめることにした。
「さて、と」
じっくりと
十枚ほどのセルDVDに新作はなく、新しくても二年くらいは前のもので、古いのになると十年以上前のが混ざっている様子。
しかし、出ている女優の趣味やネタのチョイスは悪くない。
おっと、俺が買ったことあるのと同じヤツも含まれている。
その下には、透明のプラケースに入った白いDVDが二十枚前後。
中身はコピーか、それともネットでDLした怪しげなシロモノか。
高校時代、バイト先の先輩からこんな感じの無修正ものを束で貰ったことがある。
その下には、紙のエロ本やエロマンガが詰まっている。
どれもこれも、自分が小中学生の頃に発売された
「ここらは、値段つかなそうだな……」
懐かしさを感じつつ表紙を眺めている内に、フと違和感が生じた。
世代的な懐かしさだけじゃなく、もっと具体的な懐かしさがある――ような。
出てきたマンガをパラパラと
これ全部、持ってた――全部、ウチにあったヤツだ。
「いや、いやいやいや……まさか、そんな」
大きめの独り言が、勝手に漏れ出す。
改めてDVDのパッケージを見返してみると、自分が持っていたのが混ざってたんじゃなく、やはり全てに見覚えがある。
大学に合格した二年前、一人暮らしを始めるタイミングでまとめて処分した、かつての
だが、何故に千葉の実家で処分したものが、東京のゴミ捨て場に。
エロマンガとかは、もっと前に捨てたハズなのに。
地元のツレが周到に計画したイタズラ、だろうか。
その可能性を考えて友人知人の面子を思い浮かべてみても、ここまでやる暇人は思い当たらないし、イタズラで片付けるには気味が悪すぎる。
理由も意味も、サッパリわからない。
そのわからなさ故に、季節外れの汗が全身を湿らせる。
細かく震える手で、残り少なくなった紙袋の中身を取り出す。
エロ本の下からは、小汚いノートが出てきた。
表紙に書かれた名前とクラスと『数学』の文字は、間違いなく俺のものだった。
冷や汗は一瞬にして、倍量の脂汗へと転じる。
紙袋の中身が過去の俺の持ち物だと、完全に確定してしまった。
ノートを適当に捲ってみようとするが、所々くっついて開かないページがある。
何らかの液体を
ノートだけでなく教科書もあって、それにもやはり俺の名前が書いてあり、見覚えのある落描きも残されている。
「うぉ、う……」
思考が麻痺するタイプの嫌悪感に、呻き声が無意識に漏れる。
このノートと教科書は、卒業前に教室のゴミ箱に叩き込んで始末したはず。
となると、中学時代の同級生か後輩の仕業ってことになるのか。
しかし、これはどういう意図によるものなんだ。
この紙袋を俺に拾わせるのは予定通りだとして、それでどうしたいのか。
混乱しながら犯人というか仕掛け人の目的を想像してみるが、どうやってもキモすぎる状況にしか辿り着かない。
警察に相談するべき、なのだろうか。
相談するにしても、どんな風に切り出せばいいのか。
俺が警官だったとして、男子大学生から『ゴミ捨て場にあったエロアイテム詰め合わせを拾ったら、中身の全部が前に自分が捨てたヤツでした』という通報があったら。
とりあえず、「何言ってんだテメェは」以外の返しが思いつかない。
ストーカーとも違う気がするし、この危機感をどう説明したらいいのだろう。
解決策は何も浮かばず、心拍数は上がったまま元に戻らないし、エグみのある唾は際限なく湧いてくる。
とりあえず出したものを紙袋に詰め直していると、どこからか妙な音が。
子供がハシャいで水溜りで跳ね回るような、パシャパシャという感じの湿った音だ。
隣室から聴こえてくるのか、と思ったがもっと近いような気もする。
厭な予感しかしないが、放置するのもよからぬ結果を招きそうだった。
俺はデカい長い溜息を吐くと、そっとバスルームのガラス戸を開けて、水音の出所を探し始める。
洗面台、トイレ、キッチンと、水に関係ありそうな場所をチェックするが、蛇口は締まっているし水漏れもない。
じゃあどこから、と耳を澄ましてみれば、出所が玄関の方だと気付いた。
キッチンと玄関を
ドアに
「ぅなっ、なななななななななななっ」
ありえない光景に、
それと同時に、傷みかけの魚類が発するような生臭い空気が流れ込んでくる。
臭いの元も気になるが、まずは水をどうにかしなければ。
そう考えてドアに引っかかっていたサンダルを履き、外に回ってホースを掴んで郵便受けから引っ張り出そうとするが、変な感じに固定されていて上手くいかない。
しばらく色々と試してみるがビクともせず、反動をつけて力任せに引いてみたら右肩に鈍い痛みが走った。
「んぁだっ――クソッ、ダメだこりゃ」
ゴリ押しを諦めた俺は、水の元栓を締める方向での解決を選ぶ。
確かアパートの裏手に水道があったな、と思いながらホースを辿っていくと、記憶通りの場所にある蛇口につながっていた。
問題は、ホースの口が針金でギチギチに縛られた状態で連結されていて、あるべき場所にハンドルがない、ということだったが。
「くぁ、マジかよ……」
どこまでも手の込んだイヤガラセぶりにキレかけながら、俺は軍手を外してチマチマと軸の部分を
数分間の地味な作業の末、やっとのことで水は止まった。
だいぶバタバタしてしまったが、他の住人が様子を見に出て来る気配はない。
このタイミングで「どうしたんですか?」と訊かれてまともに説明できる自信もないので、この無関心さはある意味で有難いとも言えるが。
心身共に
さっきは気付かなかったが、ビニールテープか何かかな――と思いつつ歩いていくと、程なくして正体が判明する。
液体のたっぷり入った使用済みコンドームが五個、縛られていない状態で引き伸ばされ、透明のテープで横向きに貼り付けられていた。
「もうマジで、勘弁してくれ……」
反射的にその場で崩れ落ちそうになるが、どうにか気を取り直して処理方法を考える。
素手では触りたくないし、湿った軍手をもう一度着用するか――と思ったところで、これを証拠品として警察に持ち込めば相談に乗ってもらえるのでは、と
犯人の行動から性的な執着が透けて見えてしまうのが、ちょっとシャレになってない。
自分の安全のためにも、大袈裟なくらい騒いだ方が賢明だろう。
そう判断した俺は、保存用に適当なビニール袋を室内から取ってくることにする。
周辺に散らばった靴を拾い集めて玄関に投げ込み、サンダルを脱いで自宅へと戻る。
すぐまた戻るが、逃げ場のないところで頭の変な犯人に乗り込まれる、という最悪な事態もありえなくはない。
そんな危機感からとりあえずドアの鍵をかけるが、相手のオカシさからするとここの合鍵くらい作っていても不思議じゃない、とも思えたので一応チェーンもかけておく。
「諸々を警察署に持ち込む……いや、突然部屋に水を流し込まれたって通報して警察を呼んで、そのついでにエロ本やコンドームのことを話した方がいい、のか?」
ここからどう展開させるのがベストかを考えながら寝室兼居間に戻り、どこかにあるはずのチャックつきビニール袋を探す。
視線を雑然とした部屋のアチコチに
どうも、いつもに輪をかけて雑然としている、ような――
違和感を念頭に置いて見回せば、答えはすぐに弾き出された。
クローゼットの中身が、半分ほど外に出されている。
出番にはまだ早いコートやジャンパーが、床で無造作にトグロを巻いている。
当然のことながら、俺はそんな作業をしていない。
呼吸するのを忘れ、ついクローゼットの鎧戸を凝視してしまう。
ヤバい――と半秒ほどで視線を外したが、こちらが気付いたことに気付かれたかも。
何にせよ、こんな場所にいられない。
不可解な挙動をする心臓と、
「えぅうっ、ふ」
緊張の余り、苦いゲップが込み上げた。
焦りが募り、歩調は自然と大股になる。
早く逃げないと、早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く。
玄関に通じる引き戸に手をかけたところで、『ガンッ』という音が背後から届いた。
勢い良く開けたクローゼットの扉が、壁にぶつかったような衝撃音だ。
ドアに取り付き、まずは鍵を外す。
簡単なことだ、大丈夫、大丈夫だ。
自分に言い聞かせながら、続いてチェーンを解除しようとする。
でも、どうしても、あとちょっとなのに、指先が震えて上手く行かない。
何者かが、床を蹴って近付いてくる。
後ろを振り向く余裕はない。
誰が。
どうして俺が。
何で。
いつの間に。
渦巻く疑問に答えが出ないまま、焦燥だけが膨張していく。
チェーンを外すのに三回目に失敗した瞬間、視界が歪んで全てが白っぽくなり、下半身に温かい感触が広がった。
直後、湿っていて甘ったるいニオイのする、タオルらしきものが俺を目隠しする。
叫ぼうとするが、口に柔らかいものをギュウギュウに詰め込まれた。
「――――! ――――っ!」
息苦しくなり、頭に血が上り、全身の力が抜けていく。
耳元で何事か囁かれた気がしたが、意味を把握できないままに俺の意識は――
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