初イベントはワクワクとドキドキとトラブルが渦巻いてⅢ

 開場から一時間半。ホールの端にばかりいた一般参加者もだんだん中央の方まで歩いてくるようになった。スペースの前も人が通るようになってきている。


「あの、中を拝見してもよろしいですか?」


「あ、はい。ご自由にどうぞ」


 ぐっと口を閉ざして湊さんにくっついている玲様の代わりに、売り子は僕と遥華姉になっている。その遥華姉もコスプレで緊張しているみたいで置き物状態だ。


「あの、こちら一部いただけますか?」


「え? あ、はい。二〇〇円です」


 一瞬何を言ったのかわからなくて反応が遅れてしまった。積んである同人誌の下の方を抜き出して渡すと、銀色の硬貨が二枚返ってきた。たったの二百円。でもこの二百円には今まで見たことのない価値があるのだ。


「あ、ありがとうございました!」


 離れていく背中に玲様が叫ぶ。隣のスペースに座っていた参加者さんは怒るどころか拍手してくれた。


「やったわ。はじめて、はじめて買ってもらえた」


 僕から百円玉を二枚受け取ると、玲様は大切そうにぎゅっと握りしめる。やっと認められたってことなんだから嬉しいに決まっている。僕だって同じくらい嬉しいつもりだけど、きっと届かないだろう。


「よし、きっとこれからもっと人が来てくれるわ。五〇部なんてすぐになくなるわ」


「そうだね。きっとすぐ売れちゃうよ」


 一気に顔に輝きが戻ってきた玲様にイスを譲る。調子が戻ってきてくれてよかった。ずっと暗い顔されてちゃみんな困っちゃうもんね。


 その後はまた全然人が来なくなったけど、ゼロと一じゃ気分が違う。玲様は売り子として僕の隣でイスに座って、一生懸命作品の説明をしている。


 そして僕はというと、想像をはるかに超えて大人気だった。もう握手は何回こなしたかわからない。コスプレ広場以外では撮影禁止らしくて、いつ行くのか、って何度も聞かれている。後でちょっと行ってみたいような怖いような。


「はぁ、やっぱりそう簡単にはいかないわね」


「大丈夫だよ。立ち読みしてくれる人は増えてるし」


「そうそう。まだ時間もあるんだから」


 イベントは夕方の五時まで。あと四時間半もある。初めて売れたときよりさらにスペース前の人通りは増えている。チャンスはまだまだあるはずだ。


「でもずっとここにいるのも大変でしょ。そろそろイベントを見て回ってきたら?」


「え、でも玲様は?」


「私だって売り子くらいできるわよ」


 そりゃバイトしてるから知ってるけど、今の玲様を一人にするのはちょっと心配だ。


「私がついてるからナオと湊ちゃんは行っておいでよ」


「遥華姉はいいの?」


「こんな格好でふらふら歩き回れないもん。ナオは気にしないんだろうけど」


 一般参加者にもコスプレの人がときどきいるし、全然気にならないよ。普段は自分一人だけコスプレしてるようなものなんだから。


「じゃあ私はちょっと見て回ってくるよ。帰りに飲み物でも買ってくるね」


「僕もこういうのは初めてだからなぁ」


「じゃあ直くんと一緒に行ってくるね」


「変なところに連れ込まないのよ」


 連れ込まれるとしたらコスプレ広場かな? しっかりカメラを持ってきた湊さんに恐怖を覚えながら、僕は初めての同人イベントに繰り出した。


 だんだんと増えてきた参加者。どこもきれいに同じように並べられた机の列。よそ見している間に人波に流されて、僕はあっという間に湊さんとはぐれてしまった。


 コスプレしてるから目立つかと思ったけど、古いキャラなのに人気があるのか、探しているときに同じコスプレの人を何人か見た。そのせいもあってすっかり見失ってしまった。


「うーん、どこ行っちゃったんだろう?」


 別に子どもじゃないんだし、放っておいても大丈夫なことは間違いない。最終的にはスペースに帰ってくるだろうし。


「あ、携帯。ってそっか服と一緒にスペースに置きっぱなしか」


 どうも僕はこういうときに間が悪い。欲しいものはいつも手元にない。


「しょうがない。コスプレ広場に行ってみようかな」


 あんなカメラを持っていくくらいだからたぶん目的地はそこだろう。会場に張ってあった地図を確認して、指定されている駐車場へ向かった。


「うわぁ、すごいなぁ」


 まるでゲームの世界に迷い込んだみたいだった。いろんな格好でポーズを決めるコスプレイヤーさんがたくさん。それに群がるようにカメラを構えている人がいる。なんか別世界って感じ。


「でも玲様と僕も外から見たらこんな感じなのかな?」


 コスプレした僕を写真や動画に撮ってはせっせと溜め込んでいる。ちゃんとマンガの資料として使っているからこっちも強く言えないのだ。


「あの、一枚写真よろしいですか?」


「えっ、ああ、はい」


 向けられたカメラに思わずポーズを決める。いつの間にか条件反射で得意なポーズが出てくるようになってしまった。


「こっちにも目線ください」


「こっちにもー!」


 あっという間にカメラマンたちに囲まれる。その中に湊さんの姿はない。それにしてももう僕をぐるりと取り囲んだカメラの輪はもう三重になっている。これは簡単に逃げられそうもない。


「あの、僕、用事が」


「すみませーん。こっち向いてくださーい」


 ダメだ。全然話を聞いてもらえなさそうだ。ぱっと見ても背は高くても僕より強そうな人はいない。強引に突破しようと思えばできるんだけど、初参加のイベントで問題を起こすわけにもいかないしなぁ。


 どうしよう、と考えながらポーズだけ決めていると、急にカメラの輪を引き裂いて、スーツの女の人が割り込んできた。


「こんなところにいた! ほら、早くこっちにきて!」


「え?」


 全然知らない女の人に引っ張られて、僕はコスプレ広場から誘拐される。あぁ、なんだかこんなこと前にもあった。こういうときは決まって大変なことに巻き込まれると、僕の経験が告げている。

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