夏の砂浜は水着で視線を独り占めしてⅢ

「メェェァァアィア!」


 相変わらず何を言っているのかさっぱりわからない。遥華姉の気迫に押されながら必死に守りの準備を整える。いつ折れてもおかしくないくらいの衝撃が僕に襲いかかってくるのを両手に力を込めてふんばった。


 もう目標は達成した。少しも当たる気はしなかったけど、一度だけ面打ちに転じることはできた。それでも九割九分はこうして遥華姉の気合を耳から受けながら防戦一方に徹している。超攻撃型の八相の構えから振り下ろされる竹刀は防具があっても腫れるくらいに痛い。それだけで守りに徹する理由としては十分だった。


 剣道においては有効打突が打ちにくく、意味が薄いと言われる八相の構えだけど、遥華姉くらいになってくると並みの人間じゃ気迫と威圧感にあてられて攻撃どころじゃないから関係ない。むしろ真剣を持つときの構えだから、恐怖と威圧感が増して斬られた瞬間に血が噴き出るような錯覚さえする。


 それが未だに健在どころかさらに進化しているんだから、いつまで経っても巨神兵伝説は消えることがない。僕はまた剣道の練習をし始めたことで、それが余計に強く感じられるようになってしまった。


 結局なんとか五分間守りきることはできたけど、打ち込みにいけたのは一回だけそれもあっさりかわされてしまった。竹刀で受けてすらもらえなかった。


「なんか、最近のナオって強くなったね」


「それ、今の試合で思うところあった?」


 必死に抵抗して守りきっただけで、とても剣道と呼べるものじゃなかった。遥華姉を知っている僕でもあれなんだから、大会の対戦相手の人たちはさぞ恐怖を覚えたに違いない。そんなこと言うと遥華姉はまた泣いちゃうかもしれないから絶対に言わないけど。


「そもそも私と五分も試合する人なんてまずいないし」


「それはそうかもしれないけどさ」


 大人相手に遥華姉があっさり勝ってしまうところなんて見飽きるほどだ。段位が高い人でも関係ない。これでちゃんとルールの中で戦っていて、さらにじいちゃんから剣術や無手での戦い方も習っているんだから恐ろしい。居合だけなら僕の方がきれいな自信があるけど、遥華姉が始めるって言ったらすぐに追い抜かれそうだ。


「ナオはもうちょっと自信もっていいと思うよ」


 それはつまり、道場の練習に出た方がいいってことなんだろうか。遥華姉が練習に出ないのは強いって言われるのが嫌だからってはっきりとした理由があるけど、僕はそれにつられてなんとなくいかなくなっただけだ。


 こうして一人で練習しているよりもみんなと一緒の方がいい。遥華姉はそう言っているんだろう。


「考えておくよ」


 いつものように結論は先送りにして、僕は答えた。


「じゃあ今日の試合は引き分けってことで、いつ海に行くの?」


「玲様と、あと湊さんも家の手伝いの予定を聞かないと。レストランの夏休みの辺りになると思う」


「そっか。じゃあ決まったら教えてね」


「うん。早めに決めるようにするよ」


 遥華姉は汗を拭いて道着のまま道場を出ていった。うちでまたシャワーを浴びてから帰るんだろう。その間に僕は道場の掃除をしておこう。

 それにしても意外なほどあっさり一緒に行くことになってしまった。遥華姉が宮古先輩と仲がいいなら、先輩の最後の合宿に行きたがらないわけがない。本当に僕にはどんなことになっているのかわからなくなってきた。恋愛のあれこれなんて僕に理解できるわけがないんだから当然と言えば当然なんだけどさ。


「もう。なんでこんなことばっかり考えてるんだろう」


 これなら夏休みの宿題をやっていた方がいくらかいい頭の使い方になるよ。妙に力が入った掃除は結構時間がかかってしまって、終わった頃にはもう夜もいい時間だった。


 まだ高校生、それも夏休み。遅いなんてことはないんだけど、むやみに夜更かししてもいいことはない。部屋に戻ると、普段まったく生かされない携帯電話がメールの到着を告げていた。


 クラスではどんどんとスマートフォンへの移行が進んでいるけど、今のところ僕にはこれで充分だ。別に機能が増えたからといっても僕に使いこなせそうな気がしないし。

 開いてみると、珍しく玲様からだった。こっちから連絡しても全然反応ないのにこうして急に送ってきたりするんだから。

 また何か着せられるんだろう。そのくらいの気持ちで中を見る。


『遥華の予定聞いておいて。海はバイトがない八月一日から七日までに行くことにしましょう』


 まともだ。すごくまともなことが書いてあって、干将さんか莫耶さんが代筆したのかと思ってしまった。いや、莫耶さんは無理か。こんな普通の内容のメールが玲様から来るようになるなんて。いつの間にか距離感も変わってきている。


 それにしてもタイミングが悪い。もうちょっと早く言っておいてくれたらさっき聞いておいたのに。それでも聞くのは早い方がいい。僕は手に持った携帯電話でそのまま遥華姉の名前を探す。

 ほとんど登録のない名前の中から遥華姉の名前を見つけてボタンを押す。これだけで電話がかかるんだからこれ以上便利なものっていったいどんなものなんだろう。


『もしもし。どうしたの?』


「玲様が海に行く予定たてるから予定聞きたいって」


 指定された日を遥華姉に伝えると、ちょっと難しそうな声をあげている。


『その辺りで大会があるんだよね』


「三年生の引退試合?」


『インハイ出る人はまだだけどね』


 その出る人の中にはたぶん宮古先輩も含まれているんだろう。それならもうすぐ剣道部から去っていくということもなさそうだ。

 遥華姉の話だと試合が八月一日から三日まで。そしてお別れを兼ねた合宿兼部員旅行が五日から七日まで。見事に僕たちのお休みとかぶってしまっている。いくらマネージャーとはいえ空いている四日に遥華姉を引っ張り出すのはかわいそうだ。


「予定ってなかなか合わないね」


『無理しなくても私抜きで行ってきてもいいんだよ』


「それじゃダメだよ」


 この計画には宮古先輩から遥華姉を離しておくという意味もあるのだ。僕の中では。それを合宿に行っている遥華姉をおいて海に行っていたら何にもならない。


「とりあえず玲様と相談してみるよ」


「うん。わかった」


 そう言って電話を切った。なんだかちょっと寂しそうだったな。せっかく仲良くなったんだから玲様や湊さんとも一緒に遊びたいだろうし。どうにかいい方法があればいいんだけど。

 こういうとき、決まって出てくるアイデアは突拍子のないものになる。それを恐れつつも僕は玲様に今聞いたことをそのままメールに書いて送っておいた。

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