探偵はお供にあんぱんと牛乳を連れてⅩ
「あ、あの何か」
「いえ、なんでもありません。おけがはありませんか?」
妙に丁寧な言葉遣いだと思って、そういえば今の僕は誠心女子の制服を着ていたんだと思い出す。そりゃそうか、あのお嬢様学校が相手なら慣れない丁寧語をフル活用して対応するに違いない。玲様ほど強引じゃなければだけど。
「はい、大丈夫です」
ってこれじゃ、話が終わってしまう。なにか話題を作らないと。
「あの、どこかでお会いしたことがありましたか?」
「え?」
あ、これは失敗したかも。いったい何年もの間ナンパで使われる手口だろう。もし会っていたとしたらそれは僕が男の状態のときだろう。できれば会っていないでほしい。
「いえ、ただ私は剣道をやっていまして、もしかしたらどこかの会場でお会いしたかもしれませんね」
「そうでしたか。私も友人が剣道をやっていたので何度か試合を見たことがありますの」
「では、そこで見ていてくださったのかもしれませんね。私は凪葉高校の宮古というんですが」
「宮古、さん?」
あれ、聞いたことあるよ、その名前。うちの剣道部のエースじゃないの? どこかの個人戦で優勝したって話を遥華姉から聞いた気がする。遥華姉が強すぎてなかなか目立てないっていうちょっと不遇な人だ。こんなイケメンなんて全然聞かされてないんだけど。
「ご存知でしたか?」
考え込んだ僕に期待の目を寄せる。なるほど、ちょっと気持ちはわかる。遥華姉の近くにいると圧倒的な存在感の前に自分が
「そうですね。お名前をお見かけしたことはあるような」
「そうですか。ありがとうございます」
ちょっとぼやかした答えに嬉しそうな顔で頭を下げられる。そんな感謝してもらえるようなことは言ってないんだけど。なんか、悪い人じゃないみたいだ。いや、元々悪い人だったわけじゃない。遥華姉が仲良くしていたから気になっただけなのだ。
「今日も剣道の修行に来ていまして」
予定とは違うけど、とりあえず名前が知れただけ成果はあったかな。
あとはどうやって話を終わらせようかと思っていたところに驚きと焦りの声が届いた。
「ちょ、ちょっと何やってるの!」
あ、ヤバい。ちょっと時間をかけ過ぎた。振り返ると遥華姉がすごい形相でこっちに近づいてきている。本人にはそんな気はさらさらないのはわかってるんだけど、ちょっと命の危険を感じる。
隣で座っている宮古先輩はもう体が震えている。たぶん今の何やってるの、は僕に向けられた言葉なんだけど、事情が分からない宮古先輩にはそんなことわかるはずもない。知らない女の子に声をかけていると思われたと勘違いしているはずだ。
遥華姉は特に急ぐわけでもなくゆっくりと近づいてくる。本当に僕なのかを確認しているんだ。でも真綿で首を絞められているこっちとしては気が気じゃない。いっそのこと一思いにやってくれと思っている。
「いや、これは」
宮古先輩が震えた声のまま立ち上がる。それと同時に僕と遥華姉の目が合った。
「い、いきなり知らない女の子に声かけたの?」
それだけで遥華姉には十分伝わった。宮古先輩は僕の正体を知らない。だから僕とは知らないふりをして。それを理解した遥華姉はとっさに矛先を宮古先輩に移す。
「いや、違う。これには
すくみあがった宮古先輩の言葉がたどたどしく途切れながら漏れてくる。さっきまでのイケメンぶりはどこへやら。慌てて両手で空気を拭きながら宮古先輩は言い訳を並べ始める。
「すみません。私が目の前で倒れてしまいまして。女性と一緒だったなんて。申し訳ないことをしました」
丁寧に頭を下げて顔をあげると、ちょっと嬉しそうに遥華姉の顔がほころんでいる。その顔やめて。これは演技だからね。もうやらないからね。
逃げるように自分の席に戻る。その先ではさっと玲様が仕切りの陰に身を隠すのが見えた。絶対遥華姉にはバレてるな。
「バカね。遥華が帰ってくる前に戻ってこないと意味ないでしょ」
「そんなこと言われたって」
僕にそんなそつのない立ち回りができるように見える? これでもかなり傷は浅く済んだはずだ。もっと褒めてくれてもいいのに。
「しかし素晴らしい話し方でした。玲様よりその制服がお似合いですよ」
「まさに。中条家の令嬢でもやっていけそうですね」
全然褒められた気がしない。玲様もそこでその手があったか、みたいな顔しないで。なんで僕が玲様の代わりにお嬢様をやってあげなくちゃいけないのさ。
「あ、ほら。もう帰るみたいよ」
「そりゃ空気悪くしちゃったからね」
遥華姉がもう出よう、と言ったら男からはとても食い下がれる気がしない。おごる、という宮古先輩の言葉も聞かず、割り勘をして店を出ていった。僕なら絶対心が折れる。間違いない。
「大丈夫かな」
二つの意味で。一つは宮古先輩の精神の話。そしてもう一つはこれから起きるであろう遥華姉の糾弾に玲様が耐えられるかどうかって話だ。
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