一章

探偵はお供にあんぱんと牛乳を連れてⅠ

 中条玲ちゅうじょうれい。この辺りでは知らない人はいない大地主、中条家の一人娘。生まれの良さをそのまま形にしたような白い肌に黒い髪。薄着の制服では隠し切れないたわわに実った二つの果実。見るものを惹きつけてやまないきりりとつりあがった両目と含みを持った微笑み。


 これが僕の『持ち主』。僕のことをお人形だと言ってはばからず、いろんなコスプレをさせて楽しんでいるちょっと困ったお嬢様だ。


「どうしたの、直? そんなに慌てて」


 玲様は優しい口調で僕を慰めるようにそう言った。それだけで玲様を取り囲んでいた女の子たちから黄色い声が上がる。


 この人たちの中では僕は玲様のお付きの執事で、結構どんくさいけど一生懸命なところが玲様に気に入られているという設定になっている。玲様はそれを知っているからこの反応が見たくてこうして芝居じみた声で僕に語りかけているのだ。


「また失敗してしまったの? いいのよ、あなたにはあなたにしかできないことがあるのだから」


 あぁ、もう面倒くさい。事情を全然わかっていない女の子たちはもうテンションがストップ高で勝手に妄想をつけて盛り上がっている。とにかくいったんここを離れないとろくに話もできそうにない。


「玲様。こちらにお願いします」


 一応演技にだけは調子を合わせて、玲様を教室の外へと引っ張り出す。


「きゃあ、大胆なことをしてるわ」

「ついに男らしいところを見せちゃうんだ」


 いったい彼女たちの中では僕はどんなことになっているんだろう。できれば一生聞きたくない。背中で聞こえる声を無視して、僕はとりあえず人気のない階段の踊り場まで玲様の手を引っ張って連れていった。


「もう、そんなに焦ってどうしたのよ?」


「いや、確かに僕に関係ないことではあるんだけど」


「もったいぶらないでいいから早く話しなさい」


 玲様は僕が連れ出したことに怒るでもなく話を促した。最近はアルバイトのおかげでなんでも高圧的にものを進めようということが少なくなった。相変わらず思い込んだら一直線で周囲が見えなくなるところは変わっていないけど。この間も仕込みの量を間違えたらしくて、眞希菜さんが頭を抱えていた。


「さっき遥華姉に会ったんだけど」


「そんなの別に大したことじゃないじゃない。本気で竹刀で叩かれでもしたの?」


 そんなことされたら今頃僕は病院か天国だよ。そんな冗談を言っている場合ではない。


「遥華姉が、男と一緒に帰ってたんだよ」


 それも出かけると言っていた。つまりこれからあの二人は寄り道をして帰るってことなのだ。


「別にそのくらいいいじゃない。私だって直と一緒に帰ってるじゃない」


 確かに玲様と学校の帰りにハンバーガーを食べに行ったこともあるし、一緒にバイト先のレストランまで行くことはある。そうなんだけど、なんとも言い表せないくらい焦ってしまうのだ。あの遥華姉が男と一緒に帰るなんて、と。


「でも、めちゃくちゃイケメンだったよ」


「仲良さそうだったの?」


「か、かなり」


 ふーん、と玲様はそっけなさそうに返事をする。でもその顔は少しも興味がなさそうには見えなかった。


「巨神兵の恋、ね。面白そうじゃない」


「遥華姉に言ったら怒られるよ」


「絶対言わないで。命令よ」


 そんな怖い顔しなくても絶対に言わないよ。僕だって同じ穴のむじななのだ。半分は遥華姉が心配で、もう半分は遥華姉に彼氏なんて、と思っている僕がいる。


「そういうことなら尾行ね。すぐに行くわよ」


「でももう帰っちゃったよ」


「そんなの探せばいいでしょ」


 そう言って玲様はポケットから携帯電話を取り出した。ワンコールが終わる前にすぐに相手が出る。


「えぇ、干将かんしょうは遥華を探して。寄り道って言ってたらしいから街の方でしょ。それから莫耶ばくやはアレを用意してちょうだい。えぇ、これから尾行するのよ」


 短いやりとりですぐに電話を切った。相手は玲様の本物のお付きの人。干将さんと莫耶さんだ。遥華姉に負けず劣らずのハイスペックぶりを発揮する人たちで、玲様のお付きと言いつつ、いつも一番近くで守っているお兄さんとお姉さんみたいな人だ。

 そんなことを考えていると、階段の採光用の窓から誰かが顔を出す。いや、ここ三階なんですけど。


「お待たせいたしました」


 きりりとしたパンツスーツ姿の女性が狭い窓をすり抜けるように学校に入ってくる。どのくらいのセキュリティがあるのか知らないけど、この人にかかればないのと同じだろう。

 まとめあげた髪は少しも乱れることなく、ふわりと着地した莫耶さんは左手に抱えていた包みを玲様に手渡す。


「なかなかね。遥華は?」


「干将が発見しました。ただ車が出せませんので徒歩で追いかけていただきます」


「当然よ。尾行なんだから」


 いったい何が当然なんだか。確かに尾行って言ったら電信柱の陰に隠れながら対象の後をついていって、どこかの建物に入ったら、あんぱんと牛乳を持って張り込むものだけどさ。


「さ、直早く着替えて」


 玲様は受け取った包みをすぐさま僕に差し出す。嫌な予感しかしない。そもそも普段ほとんど表情を変えない莫耶さんがこんな爛々らんらんとした目で僕を見ているんだから、予感というよりももう確信なんだけど。


「一応聞くけど、これは何?」


「なによ。また女装させられると思ったの?」


 思ったよ。むしろ今まで他のものだったことがなかったよ。思い返してみても玲様から渡された服で僕好みだったものなんて一度もなかった気がする。いくつか渡された女性ものの服が少しずつ僕の部屋のタンスの中を侵食していっているからこれ以上は何としても阻止したいところだ。


「大丈夫よ、今回は。なんていったってこれからやるのは尾行なんだから」


 全然前後の文脈が繋がっていないような気がするんだけど。とにかく僕は意を決して包みの中を見る。思ったより地味な色合いだ。中を取り出してみると、着物と袴が出てきた。どちらも地味な紺色の男物だった。

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