エピローグ
エピローグ
今日はアルバイトが休みだった僕は、久しぶりに居合刀を手に道場にいた。最近持っていなかったからかずしりと重みを感じる。じいちゃんはよく抜いていないと刀が拗ねるって言っていたけどこれがそういうことなのかな。抜き放った刀も輝きが鈍い気がするし、抜きも引っかかる気がする。
「今日はちょっと振ってみようかな」
いつもなら居合しかやらないんだけど、たまには竹刀と同じように振ってみよう。きちんと
中段に構えてゆっくりと振り上げる。それだけでバランスを崩しそうになる。両手でしっかりと持って一気に前に振り下ろす。今度は行き過ぎて足元まで落ちてきた刀をぐっと力を込めて止めた。
「きついなぁ、これ」
一回で腕が重くなってきている。一度刀を鞘に戻して自分の腕を擦ってみる。かなり熱くなっているように感じて僕は居合刀の素振りを断念した。昔の人は本当にこんな重い刀を振り回して斬りあっていたのかな? 今の僕みたいに力じゃなくて技術で支えていたんだろうけど、それにしたって重すぎるよ。
「そう思わない?」
と自分で言ってから今日は一人なんだと気がついた。最近は誰かといることが多くて忘れてしまうことがある。独り言もなんだか増えたような気がしていたけど、原因はこれだったんだ。
「道場なんてずっと一人で使ってるのにな」
この間は遥華姉と試合をしたけど、それ以外は一人で練習しているんだからここに誰かがいるはずなんてない。そもそも誰とも一緒に練習したくないからわざわざ道場生の来ない時間を見計らっているんだから。
急に寂しいなんて思ってしまうのは、やっぱりだんだんと僕が周りに恵まれてきているからなのかな。そういう気持ちも練習していれば集中して薄れていくだろう。そう思って僕はまた竹刀に持ち変える。居合刀を振るなら本格的に練習しないと無理そうだ。そうなるとじいちゃんの指導も受けなくちゃいけないし、それにはまだちょっと覚悟が決まらないかな。
さっきまで持っていた居合刀のおかげで竹刀が軽く感じられる。これならしっかりと振ることが出来そうだ。道場の壁にある引き戸を引いて、後ろにかけられた大きな鏡に自分の姿を映す。僕の体なんてすぐにこの鏡に映らなくなってしまうだろう、なんて昔は考えていたけど、現実はそんなに甘くない。
それに少しくらい勉強している今なら、鏡に全身が映らなくなるために必要な身長は鏡の倍の高さだってことも知っている。これなら身長三メートル以上ないといけないから元から無理な目標だったのだ。
中段に構えて、竹刀を振り上げる。それと同時に道場の入り口の方で音がした。
「遥華姉?」
「私よ」
「え、玲様!?」
もう遥華姉が帰ってきたのかと思って振り向くと、そこには玲様が立っていた。さっきまで寂しいだなんて考えていたから妙に照れくさい。それにしても道場に来るなんて珍しいな。なんとなく一人だけで練習しているって恥ずかしい。自主練ならまだしも道場生と練習するわけでも試合するわけでもないのに。
「遥華じゃなくてがっかりした?」
「そんなことないよ」
むしろ遥華姉が来たらまた試合をしようと言い出しかねない。さすがに打ち込まれた痛みは引いたけど、格の違いを見せつけられた僕としては再戦はもう少し先にしたいところだ。
ちょっと汗をかいているけど臭ったりしないかな。ちょっと不安に思いながら汗を拭いて入り口で座っている玲様の方へと向かっていく。
「あら、練習しててもいいのに」
「でも見ててもつまらないでしょ」
「そんなことないわ。直って可愛いだけかと思ってたけど、そうやってると男らしくてかっこいいじゃない」
そもそも男なんだってば。そう思うけど、やっぱりかっこいいと言われて嫌な気はしない。普段からまったく言われ慣れていないからなんて答えていいかわからなくて、僕は話題を逸らしてしまった。
「そういえば玲様はどうしてここに?」
「お買い物に行ってきた帰りに少し寄ったのよ」
「買い物って、お給料貯めておくんじゃなかったの?」
今月貰ったお給料じゃ目標には足りないって言っていたはずだ。使ったお金は手元からなくなってしまう。そんなのは当然のことだけど、玲様ならそこには補填がされるのが当たり前だと思っていてもおかしくない。
「それがね、お母様がバイトがちゃんと続いてるからって、足りない分は出してくれたのよ。これで後は練習あるのみね」
「そ、そうなんだ」
やっぱり玲様のお母さんは甘い。甘すぎる。玲様ってお金持ちだからこういう性格になったんだと思ってたけど、もしかして玲様のお母さんが甘いからわがままに育っちゃったんじゃないのかな? それでケンカしていろいろな問題を起こしているんだとしたら、なんてはた迷惑な親子なんだろう。それでいてバイトの送迎はきっちり干将さんと莫耶さんにさせているし、漫画のことも協力しないって言っておきながら、結局いろいろ手伝っているし。愛情表現が下手なだけなのかな。
でも今の玲様を見ているとそれでよかったのだと思う。こうしてわがままだけど、ちゃんと周りを見て行動できる玲様はとっても魅力的だ。ときどき周りが見えなくなるほど暴走してしまうこともあるけど、それも含めて玲様なのだ。
「それで、いろいろ迷惑かけたから謝りに来たのよ」
「なんかいつも謝りに来てない?」
そんな律儀に謝りに来るなら最初からしなければいいのに。そんなことを思っても口には出さない。だってそれがなんだか楽しくなってきているんだから。もう僕は玲様の迷惑がない生活なんて物足りなくなってしまっている。この練習だって元はと言えば玲様についていけるようにするための練習なんだから。
「そういうわけだから、これあげるわ」
高級そうな紫の風呂敷に包まれたものが手渡される。その大きさと重さに何故だか僕は見覚えがあった。
「あの、玲様。これは?」
おそるおそる僕は玲様に聞いてみる。もうなんとなく中身の予想はついてるんだけど、もしかしたらってこともあるし一応可能性を捨てちゃいけない。
「オムライスよ」
「やっぱり……」
「本当はハンバーグにしようと思ったのよ。でもまだ練習中で自信があるのはこれだけだったのよ」
玲様のオムライスはすごくおいしくなった。それは嘘じゃない。嘘じゃないんだけど、どうしてか僕の口から漏れてくるのは乾いた笑いばかりだった。たぶん今回は三人前、つまり僕とお母さんとじいちゃんの分しか入ってないし、喜んでもらっておこう。
玲様が嬉しそうに笑っているんだから、それが僕にとって一番のお礼なのだ。
「でもたくさん作ってくれて大変だったでしょ?」
「そんなことないわ。湊と直と遥華の分くらい余裕よ」
あ、もしかして。
僕がそう思った答えはすぐに隣の塀越しに正解だったと告げられる。
「もうオムライスは嫌ぁー!」
そんなこと言わないであげてよ、と僕が思っている目の前で、玲様は不思議そうな顔で首を傾げていた。
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