剣道着はいつも心に着せてⅨ

 月曜日のレストランはさすがに週末と比べるとお客さんの入りは少なかった。最初に朱鷺子さんがピーク時にあと一人いてくれればいいと説明した意味もようやくわかってくる。人手が多ければ楽になるのは間違いないんだけど、手が余るとなんだか申し訳ない気分になってきてしきりに仕事を探しているんだけど、僕でもできる仕事はなかなか簡単には見つけられない。


 それもそのはずだ。あと一人で足りるところにまだ僕と玲様の二人が入っている。想定より人の数が多いんだから余って当然なのだ。


「ずいぶん余裕が出てきましたね」


「そうね。思っていたよりお仕事の覚えも早いし、そろそろ一人ずつ入ってもらおうかしら」


 一人となるとまた不安になるかもしれないけど、こうして朱鷺子さんが大丈夫と言ってくれているんだ。頑張っていけばいい。それと同時に玲様が一人になるのも不安だけど。別に仕事はできるだろうけど、眞希菜さんとうまくやっていけるのかなぁ。


「玲様、来週からシフトは一人ずつ、って何やってるの?」


 今日は厨房で皿洗い担当になっている玲様に声をかけると、シンクの前に玲様の姿はない。こっちもかなり慣れてきたみたいで、お皿は全部洗いきっているみたいだ。その代わり眞希菜さんの隣で涙を浮かべながらなぜかたまねぎを刻んでいる。


「キッチンもやるの?」


「そこまでは難しいかもしれないけど、せっかく働いてるんだから少しくらい料理ができるようになればと思って」


 お昼にそんな話を湊さんとしたばかりだ。やっぱりみんな考えることは同じなんだろう。人の手は今のところ余っているし、一週間だけでも玲様が手伝いに入るなら、眞希菜さんも仕事が楽になるはずだ。そう思って眞希菜さんの方を見ると、今にも怒鳴りそうなことが瞬時にわかるほどいらついている顔が目に入った。これは全然楽になりそうにない。


「どうせ客には出せないんだから店が終わってからにしろよ」


 少しも容赦のない言葉が浴びせられている。それでも眞希菜さんの表情から察するに控えめな言葉を選んでいるつもりなんだろう。怒りが吐き出しきれていないように見える。きっと朱鷺子さんからそう言いつけられているんだろう。玲様が眞希菜さんのことをそっちのけでたまねぎを刻んでいるのも気に入らないのかな。


「刻んだたまねぎは出せるでしょ!? オムライスが無理なことはわかったけど」


 だんだんと声のトーンが下がる玲様の視線を追っていくと、厨房の端に置かれたお皿に辿り着いた。その上にはうまく包めなくてところどころからチキンライスの赤色が見えるオムライスがある。玉子もちょっぴり焦げちゃってるみたいだ。一目見ただけで玲様が失敗したんだと見当がついた。当然僕が作ったものじゃないし、眞希菜さんと朱鷺子さんが失敗するとも思えない。


「あぁ、なるほど」


 オムライスはこの店の一番人気である日替わりディナーに次ぐ看板メニューだ。一度まかないで食べさせてもらったけど、本当においしかった。たっぷりの野菜が入ったチキンライスが特徴で特製のデミグラスソースとよく合う。しっかりと焼いた玉子でくるむように包まれている昔ながらのオムライスだ。


 このお店にいるならこのオムライスが作れるようになりたいっていう気持ちは僕にもわかる気がする。


「玲ちゃんも女の子だものね。いいじゃない、好きなだけ練習するといいわ。直くんはホール一人でも大丈夫よね?」


「はい。任せてください」


 玲様がやりたいっていうのなら協力してあげるのが僕の役目だ。それに今まで料理をしていなかった玲様なんだから挑戦すればきっといい経験になる。それはさらに巡って漫画を描くときの力になってくれるはずだ。


「おいおい、その面倒は誰が見るんだ?」


「もちろん眞希菜ちゃんよ」


「勘弁してくれよ……」


 本当に嫌そうな声でそう言われると、ちょっと申し訳なくなってくるなぁ。まぁ玲様が料理できないのはたぶん眞希菜さんもわかったことだろうし、無理は言わないと思うけど。険しそうな顔の眞希菜さんを見ていると、ドアのベルが鳴った。


「すみませーん」


「はーい、今行きます。いらっしゃいませー!」


 ちょっと不安なまま、僕は玲様と眞希菜さんを置いてホールへと向かった。




「二人とも、調子はどう?」


 一段落したホールの片付けもまだ半端なところで僕は気になって厨房を覗き込んだ。とはいっても料理を運ぶ間に何度も見ていたし、玲様が少しも役に立っていなかったのはわかっているんだけど。


「だからもうちょっと大きさを揃えろっての」


「そんなこと言われても機械じゃないんだから無理なものは無理よ」


「別に完璧に同じにしろとは言ってないだろ、火の通りが変わらないようにだな」


 予想通りまったく進展していないし、仲もさらに悪くなっている。玲様が誰かと言い合いをするのはいつものことだからこれは眞希菜さんが付き合いがいいって感じかな。


「あ、直。この女が私の仕事にケチつけるのよ。どうなってるの?」


「だからそれが仕事になってねぇって言ってんだよ」


 うーん、どうしたものか。玲様がそれほど料理が上手じゃないのはわかるんだけど、僕には刻んだたまねぎがどうダメなのかよくわからない。どうすればいいのかわからなくて、僕は助けを求めるように朱鷺子さんの方へと目を向ける。


「厨房では眞希菜ちゃんが絶対だから、玲ちゃんの負け」


 にっこりと笑ったまま朱鷺子さんは大岡裁きも真っ青の判決を言い渡す。朱鷺子さんの眞希菜さんへの信頼は本当に厚い。こう言われるとただのアルバイトの僕にはどうしようもない。オーナーの朱鷺子さんがそう言ってるんだから玲様も従うしかない。


「だって。練習すればきっとうまくなるよ」


「そうね。わかったわ」


 なんとか玲様は不満を飲み込んでくれたけど、代わりに飲み込んだ分が表情に出ている。本当にわかりやすいなぁ。それがわかるから僕にはちょっと面白く感じてしまってこみあげてくる笑いを堪えるのが大変だ。


「私、オムライスを作れるようになるわ」


「待て待て、どうしてそうなったんだ」


「私はね、努力もしないまま負けを認めるのは嫌いなのよ」


 玲様は包丁を天に掲げて宣言する。危ないから早く腕を下してほしい。眞希菜さんもさっと身を引いて玲様から距離をとった。


「いや、別に勝ち負けの問題じゃないだろ」


 玲様の手に持った包丁を見たまま、少し震える声で眞希菜さんは言うけど、玲様には少しも届いていない。こうなると手が付けられないのだ。やると決めたら徹底的にやる。それが玲様の流儀なのだ。


「絶対においしいって言わせてやるんだから」


「もうこうなると止まらないから諦めてよ」


 何が何だかわからないまま開いた口が塞がらない眞希菜さんは玲様を見たまま固まっている。玲様を焚きつけたんだから眞希菜さんもちょっとは責任があるんだし、最後まで付き合ってもらうことにしよう。


「まぁまぁ、楽しそうでいいじゃない」


「何も楽しくねぇよ!」


 朱鷺子さんもやっちゃいなさい、と賛成してくれる。勝負あり。眞希菜さんが絶対なのは厨房の中だけ。お店のことは朱鷺子さんが絶対なのだ。


「じゃあルール決めないと」


「二週間後に玲ちゃんの作ったオムライスを作って眞希菜ちゃんがおいしいって言ったら玲ちゃんの勝ちね」


「勝手に進めるなよ」


 まだ困惑している眞希菜さんを置いて朱鷺子さんが簡単にルールを決めてしまう。絶対一番楽しんでいるのはこの人だ。


「わかったわ、覚悟しなさい。おいしいって泣きながら言わせてやるわ」


「いや泣かねぇよ」


「あの、変に断ると話がこじれるからとりあえず受けてよ。もっと面倒なことになるから」


 玲様の目を盗んで僕は眞希菜さんに耳打ちした。この場を穏便に収めるのはそれが一番いいのだ。実際に僕は玲様がお母さんとケンカした結果、巻き込まれることになったのだ。玲様のやる気が変な方向に向かって飛んでいくくらいなら目の届く場所にいてくれた方がいい。


「わかったよ。ただしここで練習は禁止だ。自分の家でやれよ」


「もちろんよ。わざわざ敵に手の内を明かしたりしないわ」


「いや、敵じゃねぇし」


 もう訂正する元気もなくなってきて、眞希菜さんは弱々しい声で吐き出すように言った。大丈夫、そのうち慣れるよ。そう言いたいところだけど眞希菜さんにはまだ難しいみたいだ。


「ふふふ、吠え面かかせてやるんだから」


 ちょっと邪悪な笑みを浮かべた玲様が怖い。ただ玲様の前に大量にある玉ねぎのみじん切りからはちっとも成長の軌跡を感じることはできなかった。


「おいおい、あれ大丈夫か?」


「根は真面目だから食べられないものは持ってこないと思うけど」


「いや、そうじゃなくて頭の問題だよ」


 大丈夫だよ、たぶん。捉えどころはないしときどき暴走するけれど、玲様はしっかりと計画して実行できる人なのだ。その計画がちょっと変わっているだけで。


「楽しそうね。眞希菜ちゃんもいいお友達ができたじゃない」


「いや、よくはないだろ」


 がっくりと肩を落とした眞希菜さんと対照的に朱鷺子さんがのんきに笑っていた。

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