剣道着はいつも心に着せてⅧ

「ねぇ、直くんのお弁当って自分で作ってるの?」


「ううん。お母さんだよ。うちのお母さんは料理上手だから」


 へぇ、っと湊さんが僕のお弁当を覗き込む。俵型の梅干しとおかかのおにぎりに甘くない玉子焼き、それからししとうの甘辛炒め。ちょっと渋い気もするけど普通のお弁当のはずだ。


「レストランでバイトするならやっぱりお弁当くらい作れるのかなって」


「僕はウェイターだけだよ」


 あとはちょっとお皿を洗うくらいのものだ。朱鷺子さんがオーナーだって言ってたけど、実際の料理はほとんど眞希菜さんが作っている。修業中というよりも料理番って感じだった。ホールに出られないっていうのもあるんだろうけど、朱鷺子さんも信頼してるみたいだったし。


「でも見てたら勉強になるし、ちょっとやってみようって思うじゃん」


「それはわかるけど」


 実際問題として僕は家での手伝いでもそれほど料理は得意じゃない。お母さんが上手なんだから少しくらい遺伝してくれればいいのに。眞希菜さんには厨房に入るなって言われるし、僕が料理上手になるにはなかなか険しい道のりが待っている。


「せっかくの機会だから練習させてもらえばいいのに」


「確かに料理ができて損はないかな」


「花嫁修業にもなるしね」


「花嫁になる予定がないよ」


 ちょっと油断するとそんなこと言い出すんだから。玲様や遥華姉と一緒で湊さんも隙を見せるとすぐに女装させようとしてくるのだ。差し詰めこの後ウェディングドレスとか白無垢に話を持っていこうとしているに違いない。


「うーん。ひっかからなかったか」


 湊さんは悔しそうな顔をして箸で弁当箱の縁をなぞる。いつも似たようなことをしているのに僕が引っかかると思ったのかな。いや、思ってるかもしれない。毎度引っかかっている気がするし。


 当然のように食べている湊さんのお弁当を僕もなんとなく覗きこんでしまう。よくある普通のプラスティックのお弁当箱だ。僕のものよりも一回りは小さくて女の子らしいものだ。中身は焼いた白身魚にほうれんそうのおひたし、それからぶどうがデザートに入っている。おにぎりはふりかけがかかってて彩りがいい。見ただけじゃわからないけど、なんとなく僕のよりもいい食材を使っていそうな気がするのは、湊さんの家柄のせいかな。


「そういう湊さんは料理はできるの?」


「ん? 一応人並みにはね」


「なんか得意そうな気もする。着付けもできるのにすごいなぁ」


 湊さんは老舗の呉服屋の娘だけあって、着物の着付けもお手の物だ。僕も前に浴衣の広告のモデルをすることになって着せてもらったことがある。そのときはお化粧も完璧にこなしていた。


「そんなにすごいもの作れたりしないよ? 適当にぱぱってやるだけだし」


 適当にやって料理が作れるなら十分すごいと思うんだけどな。僕がそんなことしたら食べられるものができないかもしれないし。できる人の言う適当ほど当てにならないものはない、と僕は遥華姉から嫌というほど学んでいる。


「でも私の実力じゃレストランで働けないよ、きっと」


「それは僕も同じなんだけど」


 厨房に入ってくれと言われたら、その日は休業間違いなしだ。


「うちだってそうだけど簡単な仕事なんてないよね」


「そうだよね」


 湊さんは家の手伝いでよく店頭に座っている。そのときは今みたいな明るい栗色の髪じゃなくて真っ黒な長いかつらを被っている。店のイメージを壊さないためだ。言葉づかいもとっても丁寧になって、何度か会って僕はやっと慣れてきたくらい一変してしまう。


「働くって大変だよねぇ」


「そんなこと言わないでよ。今日も帰って手伝いなの忘れたいんだから」


「僕だって今日もバイトだよ」


 学校にいるのになんだか変な話になってきて、僕と湊さんは同時に笑い出す。きっと本当に毎日一生懸命働いている人からしたら僕らのアルバイトなんて気楽なものなんだろう。それでも初めての経験は誰かと話したくなってしまうものなのだ。


「なんかサラリーマンのお昼休みみたい」


「ちょっと大人になった気分がする」


 僕が宿題を面倒がったり授業についていけなくて眠くなったりするように、大人たちも仕事が嫌になって投げ出したくなってしまうときがあるのかな? そうだとしたら勉強よりもずっと大変で周りにも影響が出てしまうだろう。


 それをしっかりと我慢できることが大人になるってことなのかな? 僕がそのレベルに到達するのはまだまだ遠そうだ。


「あ、そうだ。今日一日、私と直くんの仕事交換するっていうのはどう?」


「そんなのできないでしょ」


 名案を思いついたと湊さんが箸で太陽を指差す。


「私ウェイターくらいならできるよ」


「僕ができないって」


 レストランでも手いっぱいなのに高級呉服屋なんて絶対に無理。周りにある着物の値段を考えただけで立ちくらみを起こしそうだ。万が一傷つけたりしたらと思うと、正座したまま一歩も動けなさそうだ。


「大丈夫だって。相当運が悪くなければお客さんなんて来ないから」


 やっぱりお客さんもそういう人が多いから店頭まで来るよりも店側から出向いていくことの方が多いという話は前にも聞いた。だからお店が空にならないように湊さんが店番をやっているわけで、それほど大変というわけではないらしい。


「でも、僕って運がいいと思う?」


「ううん。全然思わない」


 そんなはっきりと言われるとちょっと傷つくんだけど。自分でもそう思ってるからいいんだけどさ。


「あーあ、今日も大変だなぁ」


 僕たちは少しずつお弁当を食べながらどちらともなく笑いながらそう呟いた。

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