ウェイトレスはフリルのエプロンで包み込んでⅡ

「おはよう、ナオ。今日は早いね。練習してたの?」


「おはよう、遥華姉。玲様に起こされたんだよ」


 食器を片付けて二度寝をしようと部屋に戻ろうと思ったところに遥華姉が居間に入ってきた。姉と呼んでいるけど、僕の本当のお姉さんじゃなくて、隣に住んでいる一つ上の先輩だ。うちの剣道場で無類の強さを誇った『夕陽ヶ丘の巨神兵きょしんへい』。半分生ける伝説みたいな人なんだけど、本人はそう呼ばれるのが大嫌いで、それを理由に剣道もやめてしまった。


 大きな瞳に真っ直ぐに伸びる長い手足、今日も長い髪を背中緩く束ねて揺らしている。僕にとっては遥華姉のすべてが大きく感じてしまうんだけど。自称身長一六九センチっていうのは絶対嘘で、たぶん一〇センチはサバを読んでいる。きっと指摘したら泣き出してしまうから本人には決して誰も言わないけど。


「あの娘が来てるの?」


 遥華姉は居間の中からぐるりと首を回して辺りを見る。もちろん逃げるように帰っていった玲様の姿はどこにもない。もしかして玲様はこうなることを予想して逃げていったのかな。そうだとすると抜け目がない。


「もう帰ったよ。なんかバイトを始めるらしくって」


「それで直も一緒に行くことになったのね」


 理解が早くて助かるよ。遥華姉も僕と同じようにすっかり玲様の行動に慣れてしまっている。遥華姉の場合は慣れたというよりもいちいち相手にしていたら身が持たないと思ったみたいだけど。実際玲様を叱る役割はほとんど遥華姉が持っているわけだし。


「どんなバイトなの?」


「ウェイターみたいなんだけど、あんまり詳しくは教えてくれなくて」


「ウェイトレス?」


 遥華姉の顔が一気に明るくなる。目の中に電球でも埋め込まれてるのかと思うほどこんなに人の目はキラキラと光るものだったっけ?


 遥華姉はその長身と剣道の実力で周囲から畏怖いふと尊敬の対象としてこの辺りでは有名なんだけど、一つだけ困った趣味を持っている。それが僕に女の子の服を着せて連れまわそうとするっていうことだ。輝く瞳の向こう側ではきっと僕がウェイトレスの格好で仕事をしている幻想が見えてるんだろう。


「うん、とってもいいよ。私も許可するから一生懸命働いてきて。あと制服はちゃんと持って帰ってきてね」


「どうやったらそう聞き間違えられるの?」


 そもそも男の僕に制服が渡されたとしても、それは遥華姉の期待するものじゃないと思うよ。


「でもちょっと変だね?」


「どうして?」


「だってこの辺りでアルバイトが欲しいほど大きなお店なんてあったっけ?」


 見渡す限り田んぼが広がる田舎の夕陽ヶ丘ではコンビニが一つぽつんとある以外はほとんどが個人商店だ。高級店が並ぶ通りが一本あるだけで、あとは家族経営でなんとかなっていそうなところばかりだ。


「でも市内に行けばチェーン店もあるし」


「あんな世間知らずのお嬢様を雇う店なんてないに決まってるよ」


「それは、確かに」


 そうだとするといったいどんなお店なんだろう? でも僕も連れていくっていうくらいだからそれなりにお客さんが入っているんだろうし。元々うちはお母さんが料理をするから外食なんてめったにしない。じいちゃんが出かけるのを嫌がるっていうのもあるけど。だから地元でもあまり飲食店は詳しくないのだ。


 遥華姉も見当がつかないみたいでご飯とお味噌汁を持ってきたはいいものの、箸が止まったまま考え込んでいる。


「変な場所だったらちゃんと逃げなきゃダメだよ」


「そんな怪しいところじゃないとは思うけど」


 玲様にはあの干将さんと莫耶さんがついているから怪しいところにバイトに行きそうなら止めてくれるはずだ。


「じゃあお店がわかったら一回冷やかしに行くからね」


「遊びじゃないんだから」


 ついでに言えば、絶対にウェイトレスにはなってないからね。


 少し膨れた遥華姉はさっと朝ご飯を食べてしまって、食べた食器を洗ってから自分の家に戻っていった。僕が二度寝するのをわかってるみたいだ。やっぱり付き合いが長いとそう言うのも感じ取ってしまうのかもしれない。単純に遥華姉も疲れているからもう一度寝なおしたいだけなのかも。


 最近は玲様の名前を聞くだけでなにかあるんじゃないかと思ってるみたいだし。玲様は玲様で遥華姉の名前を聞くと怒られると思うみたいで二人の相性はますます悪くなっているように感じる。仲良くやってほしいんだけどなぁ。


 部屋に戻って、ふと何か持っていけそうなものはないかと考えた。初日から出来ることは少ないだろうけど、迷惑をかけないに越したことはない。ただでさえ玲様を連れていくということが相手に迷惑をかけることになるかもしれないのだ。その分は僕がカバーしてあげないと。


 手のかかる玲様のお世話も最近は少し楽しくなってきた。湊さんが何かと世話を焼いていたり、干将さんや莫耶さんが楽しそうなのも理解できる。玲様はどこか世話を焼きたくなる魅力があるのだ。それがどこから来るのかはまだわからないけど。



「エプロンくらいならあるよね?」


 中学のときに家庭科で使っていたものを引っ張り出す。紺色の無地で選べる中でも一番シンプルなものを選んだはずだ。まだ丈が短くなってくれていないことが恨めしい。このときも遥華姉が女の子のを買わせようと必死に訴えてきたんだっけ。


 玲様の服だけじゃなくてタンスを漁るともしかしたら遥華姉が置いていった服が紛れ込んだりしてないかな。僕の部屋が周りの願望に侵されていないか心配になてくる。


「あとはバンダナも入れてっと」


 すぐに思いつくのはこのくらいかな。エプロンとバンダナを小さめのバッグに詰めて、僕は一度は畳んだ布団をまた広げ直す。もう少しすると梅雨になってお布団がじめじめしてしまう。そうなるとこのふかふかの布団に入れるようになるまで期間が空いてしまう。その前にこの感覚をしっかりと楽しんでおくことにするのだ。

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