エピローグ
エピローグ
「ナオ、お客さんだよ。ってどうしたの、珍しい」
放課後、先に帰って道場で竹刀を振っていた僕のところに、部活から帰ってきた遥華姉が顔を出す。僕が竹刀を振っているのを見てちょっぴり驚いているみたいだった。
「うん。玲様といるといろいろありそうだから」
「居合刀じゃダメなの?」
「居合刀じゃ斬られた人が死んじゃうよ」
慣れれば振れないことはないとはいえ、重さも相当あるのだ。刃が砥がれていないなんて言い訳にもならない。上手く加減して使えるならいいんだけど、そこまでの練習は時間がかかるし。
「そのお嬢様が謝りに来てるわよ」
「玲様が?」
あれだけ大立ち回りしたんだから本来ならこっちから謝りに行かなきゃいけないところだったんだけどな。昨日は結局玲様のお母さんが倒れちゃったから、干将さんと莫耶さんに任せて家に帰ってきたのだ。大声に驚いただけだから大丈夫とは言っていたけど、あれだけ家で大暴れされて大丈夫ってこともないだろうし。
遥華姉に急かされて道着を着たまま居間に向かうと、玲様と玲様のお母さんがきっちりと着付けられた着物姿で座っていた。玲様のお母さんが着物を着ているのは見たことがあったけど、玲様がまともな格好をしているのは珍しいかもしれない。
お嬢様らしい威圧感と神々しさを包み込むように薄桃色の着物を着心地悪そうにしながらしかめっ面で座っている玲様を見ていると、なんだかかける言葉が見つからなくなってしまって、そのまま目の前に座った。たぶん玲様の顔が渋いのは正座で足が辛いだけだ。
「このたびはご迷惑をおかけしました」
玲様のお母さんが頭を下げると、玲様もそれに倣うように深々と頭を下げる。それを見てうちのお母さんはきょとんとした顔で僕を見た。
「直、何か迷惑かけられたの?」
「なんでわからないの」
昨日の昼間にたくさんの黒服さんがうちに来たはずなんだけど。お母さんにとってはそれでも驚いてもらえるほどのものではなかったみたいだ。確かにじいちゃんと遥華姉が追い返してしまったらしいけど、お母さんだって表が騒がしかったくらいは気付いてくれていると信じたいところだ。
「わしは久しぶりに腕が振るえて楽しかったぞ」
「昔はよくあんな感じで道場破りが来てたわよ」
そんな環境で育たなくてよかったな、と心底思える。いつも道場破りが来るってじいちゃん昔はどんなことやっていたんだろう。
「私いろいろと大変だったんだけど」
「それは、本当に悪かったと思っているわ。ごめんなさい」
「ほら、こうして謝ってるし」
遥華姉は玲様の貴重な謝罪を聞いてもなんだか余計に顔を険しくするばかりだ。何が気に入らないんだろう。
「やっぱりナオはこの娘に甘い気がする」
「そ、そんなことないよ」
やっぱり甘いんだろうか、僕は。いつも一緒にいた遥華姉がそう言うんだからきっと間違っていないんだろう。そうだとすれば、その理由はあまり意識しないようにしている気持ちに他ならない。
「それで玲様のことは」
「とりあえずはあなたの言葉を信じて任せましょう。ただし、この子が高校を卒業するまでに。少なくとも何か結果を残したというのなら考えてあげましょう。私は一切手助けはしませんからそのつもりで」
「もちろんよ。元からそのつもりだわ」
さすがに家には帰るみたいだけど、勉強や家から距離が近いことも考えて玲様は高校はこのまま凪葉に通うことになったらしい。晴れてマンガの練習も家で堂々とできるということもあって、次の休みにいろいろと道具を買いに行くのだと、嬉々として語っている。
「やっほー。この間の写真ができたから持ってきたよ」
「あ、湊さん」
嬉しそうに話す玲様に見惚れていると、表から入ってきたらしい湊さんが居間に顔を出す。田舎の玄関の鍵なんてあってないようなものとはいえ、当然のようにあがってくるのもどうなんだろうか。
湊さんはそんなことを気にもせずにきれいな着物を着て座っている玲様を見た。
「あらあら、今日はご挨拶ですか。私はお邪魔だったようですね」
「仕事口調やめてよ。っていうか玲様に着付けしたの湊さんでしょ」
いくらなんでもこんなにタイミングよくうちに来るなんておかしな話だ。玲様たちをお店で着付けてから急いで着替えてここまで来たに決まっている。
「いやいや偶然だよー。この間言ってたチラシのサンプルができたから店に来ただけだってばー」
わざとらしい口振りで言う湊さんは楽しさを堪えきれないように笑みが口の端からこぼれている。これで嘘じゃないと言われても信用なんてできないよ。
僕が何も言わないでいると湊さんはチラシのサンプルをわざとらしく机の上に落とした。そこにはお化粧をして全く違う顔の僕が写っている。そこに座っている全員の視線が集中した。
「これナオなの? すっごい美人」
「やっぱり直は逸材ね。これからも頼むわよ。モデルとしてたくさん着せたいものがあるんだから」
なんで二人ともそんな自慢げなの? そこは男の僕がこんな格好をしていると嘆いてくれてもいいんだけど。それにさっきから玲様のお母さんが僕とチラシを見比べながら愕然とした顔をしているのが恐ろしい。うちのお母さんが表情一つ変えないのも空恐ろしいんだけどさ。
「でも昨日は友達だって」
「そんなことは言ってないわ」
あ、ごまかした。澄ました顔で答えた玲様は白々しく天井に視線を移ろわせている。まばたきの数が多くなっていて、少しも動揺が隠せていない。
「いや、僕は聞いたよ。昨日」
「聞き間違いでしょう?」
「いや、聞いた」
押し問答になった結果、先に折れたのは玲様だった。
「それは、そのお人形が私の友達なの。よく言うじゃない。そういうこと」
「それって自分で言ってて恥ずかしくない?」
僕の一言に逃げ場をなくしたのか、玲様は真っ赤な顔できっと僕を睨む。
「そこまで言うならお人形としての自覚を取り戻してもらわないといけないわね」
「え?」
「明日、放課後またスタジオに行って練習するから」
これはちょっと玲様をいじり過ぎたかな。どうしようか、と思ったところで玲様の暴走を止めるように机が叩かれて、お茶の水面が揺れる。発生源は遥華姉だった。
「私、前からお嬢様に言いたいことがあったのよ」
重々しく切り出した声に玲様の体が跳ねる。やっぱりまだ遥華姉のことが苦手みたいで、背筋を伸ばして遥華姉を伏し目がちに見上げている。
「ナオに似合うのはフリルとかレースがついた服なの。あなたのセンスはちょっとズレすぎてて似合わないと思うんだけど」
「そこなの!?」
そんなこといちいち言わなくていいから。できることなら秘密のままにしておいてほしいんだけど。
「何を言っているの? こんな可愛い男が他にいる? 現実離れした可愛さにはちょっと現実味がないコスプレくらいがちょうどいいのよ」
玲様がここぞとばかりに反論する。譲れないところがあるみたいなんだけど、他にもっと頑張るところがあるんじゃないかな。
「いや、せっかく和風美人なんだから着物が一番でしょ。まずここに証拠があるわけだし」
湊さんまで急に参加し始めて、僕に似合う女の子の服は何か、という至極どうでもいい議論が白熱し始めている。玲様のお母さんなんて驚いて声も出なくなっている。
何かを言われる前に逃げ出そう。そう思って、
「どこに行くの? 私はもうあなたを手放さないわよ」
そう言って玲様が微笑む。それを見て、なんだか僕はそれもいいかな、と思ってしまうのだ。
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