深夜のカチコミは着慣れた普段着でⅥ

 お店に戻って浴衣を着替えて、お化粧を落としてもらうと、ようやく見慣れた自分の顔が帰ってきた。やっぱり僕と言えばこの顔だ、とよくわからない感想が頭の中に浮かんできた。粉っぽかった顔を撫でてみるとまだ少し落ちきっていないのかべたついているような気がした。


「あれ、名残惜しくなっちゃった?」


「逆だよ。やっとこの顔に戻ったなって」


「可愛かったのに」


 湊さんはまたそんなことを言って僕を困らせる。お化粧道具を片付けてからまた一つ浴衣を持って帰ってきた。


「あと、これなんだけど」


「まだ撮る予定があったの? お化粧落としちゃったのに」


「うん、でも大丈夫」


 そう言って微笑んだ湊さんは一点の濃紺の浴衣を僕に差し出した。


「これって、もしかして」


「男物のモデルもやってもらえば一石二鳥だしね」


「ありがとう!」


 本来ならそれが普通なんだけど、やっと男扱いしてもらえたみたいで僕は全力で感謝を伝える。それが湊さんには面白かったみたいで、堪えることなく大笑いしてしまった。


 無地のシンプルなデザインだけど、だからこそきれいな染め色がはっきりと目立って素敵だった。居合の刀を腰に提げても似合いそうで、すぐにでも着たいと思ってしまう。もちろん練習中には着られないんけど。


「それじゃ、最後の撮影いってみよう」


 湊さんに受け取ったばかりの浴衣を着付けてもらう。手際のいいはずの湊さんがちょっと不安そうな顔で作業を続けているのが気になった。


「何か変なところがあるの?」


「うーん。着付けは問題ないんだけどね。やっぱり女物の方が似合うかなぁ、って」


「そんなことないよっ」


 着付けが終わって、また姿見に自分の浴衣姿を映してみる。


「うーん。確かに」


 さっきはお化粧までして完璧に別人だったからきれいな女性が浴衣を着ているって感じだったけど、今は僕が普通に浴衣を着ているだけで平凡と言えば平凡だ。女の子に間違われるような僕が男らしいものを着たところで似合わないと言われると反論のしようがない。


「じゃ、疲れてるだろうし短めにね」


 あんまり興味がないだけでしょ、とは言えない。僕自身この姿ならチラシの片隅に小さく載っているくらいでちょうどいいと思ってしまった。一番大きく載るのはきっと神社で撮ったものだろうし。


 あんまりやる気がなさそうだったのとは裏腹に、カメラに向かった湊さんは十数枚の写真を撮って、ようやく撮影は終わりということになった。着替えを済ませるとどっと疲れが体中にのしかかってくる。慣れないことをするとどうしても疲れてしまう。


「その浴衣はあげるよ。夏になったらちゃんと着てね」


「え、そんなの悪いよ」


「いいって。玲と仲良くしてもらってるお礼みたいなものだから」


 仲良くしていると言っていいのかはわからないけど、確かにお世話をしたりわがままには付き合っているとは言える。湊さんにとっても玲様は大切な友達なのだ。


「お疲れさま。無理なお願い聞いてもらってありがとう」


「ううん。ちょっと楽しかったし」


 できれば間違った方向に進まないようにもっと心を鍛えないとと思ったけど。お茶をもらって疲れがちょっと癒えたところで帰ることにする。帰りはバスを使った方がいいかもしれない。


「あ、バイト代」


「浴衣ももらっちゃったのにいいの?」


「もちろん。それはプレゼントだし、玲に付き合う分なくなられると私も困るし」


 僕が玲様のお誘いを断ると、必然的にその対象は湊さんに移っていくんだろう。もちろん僕にはそんな勇気なんてないし、玲様だってそれを許してくれるほど寛容じゃないと思うけどね。


「ありがとう」


「次は七五三か、お正月か、成人式か」


「それは、考えたくないから近づいてきてからね」


 浴衣でも結構なところだけど、小さな子どものための七五三も豪華な振袖のお正月や成人式も僕にはちょっと厳しいような気がする。そもそも想定じゃ女物ってところだけで、十分おかしいと言えばその通りなんだけど。


 お店を出ると、もう太陽は真南を越して夕方に向かってゆっくりと進んできている。休みの日をこんなに充実して過ごしているのなんていつ振りだろう。しかも手には人生初のバイト代までもらってしまった。


 帰る前にどこかに寄り道して帰ろうか。といっても近くで買い物できるところなんてアーケードか大型スーパーくらいしかない。次の休みに市街の方に出ていった方がいいかな。そんなことを考えながら今の温かい懐でも頼りない高級店の並ぶ通りを抜けて角を曲がろうとした時だった。


 急に伸びてきた手に僕の右腕がつかまれる。とっさに居合の動きで体を捻って振り払う。居合の動きはそのまま柔術の体術に繋がっているから実は無刀でも役に立ったりする。僕の実力だとあんまり信頼はできないんだけど。


「きゃあ」


 想像していたより可愛らしい声で悲鳴が上がる。思ったより投げた感覚も軽くて、いったい誰かそんなこと、と倒した相手を見ると、そこには意外な人が地面に転がっていた。


「え、玲様のお母さん?」


 結構高そうな洋服が土ぼこりに汚れている。向こうから腕をつかんできたんだから不可抗力なんだけど、すごく悪いことをした気分になる。でも玲様のお母さんは倒れたまま僕を見上げるように睨みつけた。その顔は玲様にやっぱり似ている。


「やっぱり、あなた直さん。男だったのね」


「あ」


 そこまで言われてようやく気がつく。すっかり忘れていたけど、僕は玲様の家では彼女ということになっているのだ。男の服を着ていてもごまかすことはできたかもしれないけど、もう玲様のお母さんを知っていると白状してしまったからそれも叶わない。


「玲をたぶらかしているのはあなただったのね」


「いや、それは」


 むしろたぶらかしているというか、いいように使っているのは玲様の方なんだけど。そんなことを訴えたところで聞いてもらえるような状態じゃない。それに玲様にも干将さんと莫耶さんがついているように当然のようについていたお付きの黒服さんがわらわらとどこからともなく現れて僕の周りを囲んでいた。


 これは、もしかしなくても大ピンチかもしれない。

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