ゴシックロリータはフリルで可愛く彩ってⅧ

「見た? っていうかどこから持ってきたの?」


「いや、そこの本棚の下に」


 僕は百科事典の方を指差す。勝手に見たのは悪かったけど、ここまで泣かれるとは思っていなかった。玲様は遥華姉と比べても小さいせいか、余計に罪悪感がある。


「あぁ、どこかになくしたと思ってたのに。見つかっただけマシだけど」


 玲様はほっとした表情で自分の子どもみたいにノートを見て微笑んだ。


「で、どうだった?」


「え?」


 質問の意味がわからないまま聞き返す。でもその内容を詳しく聞くことはできない。だって玲様が今にも僕を殺してしまいそうなくらいに熱のこもった視線を向けているから。


「えっと、上手だなって」


 なんとも無難な回答。そんなことを言われても僕はマンガのプロでもなんでもないから、なんて答えていいかなんてわからない。でも玲様にはそれで十分だったらしい。ノートを抱えたまま前にうずくまるように体を倒すと、片手でこれでもかというくらいに気合のこもったガッツポーズを作る。


「やったぁ!」


 顔を上げると涙を浮かべたまま頬を上気させて、満面の笑顔で僕を見る。


「褒められたのは初めてよ! 誰かに見せたのも初めてだけど」


 狂乱という言葉が似合うくらいに玲様は喜びのまま部屋の畳をバンバンと叩く。それは人間というより野生動物に近い感じで、どんどん玲様のお嬢様っぽさとか神秘さとかがぼろぼろと崩れていくような錯覚に襲われる。


「何事ですか!?」


「なんでもないわ! 戻りなさい!」


 あまりの騒音に部屋に飛び込んだ黒服さんを見て、ようやく玲様は元の冷静さを取り戻した。目の前を嵐が通り過ぎたような気がして、僕の目がくらむ。


「はぁ、でも直は別にプロでもないのよね」


「そりゃ、まぁ」


 マンガどころか学校の美術すら全然ダメなんだけどね。


「あ、でも男のキャラしかいなかったよね?」


「なん!?」


 玲様の体が跳ねる。適当に言った感想が急所に当たったようだ。玲様はノートをぐっと抱きしめたまま、ちゃぶ台に頭を乗せて体を預けた。


「やっぱりそうよね。いろんなキャラクターが描けなきゃダメよね」


 えっと、どう慰めたらいいんだろう。遥華姉なら頭を撫でてあげれば落ち着くんだけど、玲様の頭を触ったら、本人か黒服さんにこの場で打ち首にされてしまいそうな気がする。所在をなくした右手でふわふわと空気を触っていると、玲様がぼそりとつぶやいた。


「私はね、この家を出て漫画家になるのよ」


 小さな声だったけど、はっきりとした強い意志表明だった。


「親から譲り受けたもので生きていくなんて嫌なの。富と名誉は自分の手でつかむものよ」


「それは、そうかもしれないけどさ」


 正直僕はそうは思わない。生まれた瞬間から持っていたものだって間違いなく自分のものだ。何も自分の手でつかんだものだけがすべてじゃなくていいと思う。それに最初から近くにあったからといって、必ず生かせるとも限らないのだから。


 たとえば剣道の師範の孫に生まれても、背も低ければ実力も追いつかないかもしれない。


「そうでしょ? なかなか話がわかるじゃない」


 玲様は僕の考えていることなど気がつかないようで、また興奮気味に机を叩く。さっきより控えめな音だから、黒服さんは部屋に入ってこないみたいだ。


「そうだ、いいことを思いついたわ」


 僕の顔を見ながら、玲様はぱっと笑顔を見せた。とっても可愛くてずっと見ていたくなるくらいいい表情なんだけど、誰かがこういうことを言うときは決まって僕にとって都合が悪いことを思いついているのだ、経験上。


「直が女装して、それをモデルに私が描けばいいのよ」


 ほら、こんな風に。別に僕じゃなくても鏡とか写真に写った玲様自身を描けばいいじゃない。玲様はれっきとした女の子なんだから。それにスタイルだっていいし。玲様は僕の答えも聞かないで、腕に抱いていたノートを広げると僕のことを真剣な目で見ながらペンを走らせていく。なんかスイッチが入っちゃったみたいで、僕は口出しできそうもない。


「うーん。やっぱり適当に選んだ服じゃダメね」


 描いていた手を止めて玲様が唸る。


「どういうこと?」


「なんだかもっと似合いそうな服があると思うのよ」


 玲様はノートを広げたまま自分のタンスの方へと歩いていくと引き出しを上から順番に開いて中を探り始めた。


「うーん、これもイマイチね」


「いや、練習なんだから今日はこれでいいんじゃ」


「口出ししない。私のお人形なんだから着替えさせるのは私の自由でしょ」


「そんな自由はないよ」


 そうは言ってみたけど、僕が遥華姉に言われるがまま毎回着替えさせられているのは事実だし、玲様もそれを知っている。これじゃ全然反論にならない。


 それとは別にさっきからごちゃごちゃにかき回されたタンスから服や下着がこぼれ落ちていてもう目のやり場がなくなっているから早くこの場から逃げ出したいんだけど。


「よし、決めたわ」


「決まっちゃったんだ」


 もう諦めはついている。どうせ着替えることに変わりないのなら早く終わらせた方がいいということを僕はよく身に染みてわかっていた。


 でも玲様はやっぱりお嬢様で、ちょっと考え方が遥か彼方かなたへとんでいくところがある。


「今から買いに行けばいいのよね」


「はい?」


 玲様が両手を打ち合わせて、乾いた音が部屋に響く。それが合図だったように二人の黒服さんが部屋に姿を現した。


干将かんしょう莫耶ばくや。出かける準備を始めて」


「かしこまりました」


 干将、莫耶と呼ばれた黒服さんはちいさくお辞儀をすると、男性の干将さんが車の準備に玄関へ、女性の莫耶さんが座ったまま固まっている僕を引き上げる。


「結局こうなるのかぁ」


 僕が呆れたように溜息をつく隣で玲様は今にもスキップを始めそうなくらい目を輝かせていた。

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