17:黄昏時と彼女のヒミツ(後)
「おまけにお姉ちゃん、
俺が驚き呻いていると、織枝は付け加えるように話す。
「普段は、『あや乃』っていう
……マジかよ。
そのHN、俺もネットで何度か見掛けたことがあるぞ。
国内最大の漫画イラスト投稿系SNSでも、一時期は総合ランキングで日間上位の常連だったユーザーのはずだ。最近じゃ、
そのあや乃さんが、まさか織枝の姉・彩花さんと同一人物だとは。
でも、地元の有名美大出身者だってのなら、その実力も納得だな。
――あれ?
だけど、あや乃さんって……
「な、なあ織枝。ひょっとして、彩花さんって、商業活動もしてるんじゃないか……?」
そうだ、たしかそんな記憶がある。
まさに漫画イラスト投稿系SNSで、あや乃さんが日間ランキング上位に入ったイラストの中には、ソーシャルゲーム会社から転載許諾を得て公開した作品があったはずだ。
つまり「あや乃=彩花」さんは、少なくとも過去に商業イラストの執筆依頼を請け負ったことがあったんじゃないのか。
そんな憶測を、織枝はあっさりと認めた。
「そうね。一枚描くたびに、月々のバイト代より高い原稿料を貰ってるみたい」
「待てよ。それじゃ、すっかりプロのイラストレイターじゃねーか」
「そうなのかも。――ただ、本人は人前ではフリーターだって言い張ってて、絵の仕事だけで将来も生活していくつもりはないみたいね。高校の美術教員免許も持ってるし、本職になると好きな物だけ描いて居られなくなりそうだから、って……」
さすがに少々、呆気に取られずには居られない話だった。
(――彩花ちゃ、じゃなくて私の姉は、ちょっと変わってるから)
かつて織枝が打ち合わせの場所を、図書館にしたいと主張した日のことを思い出す。
(大学は数年前に卒業したのに、就職も結婚もせず、いまだに親戚の店を高校生の私と同じように手伝っている人なの。世間的にはフリーターかな)
あのとき、織枝が告げた言葉に概ね嘘はない。
しかし真相を知らされ、彩花さんに対する印象は大きく変化した。
物腰穏やかで、知的な美人なのに、なぜ就職も結婚もしていないのか。
その理由も、何となく推察できる。
たしかにちょっと変わっている――
というよりも、普通じゃない。
彩花さんは、きっと特別な種類の人なのだ。
……ところで、そうした事実を踏まえると。
我が「同好の士」たる織枝静葉は、その姉に対し、いかなる心情を抱えているのだろうか。
オタク同士で、いまや同人作家同士でもあり、実際上一番身近な肉親。
自分と姉を、否応なく比較してしまうこともあったはずだ。
俺は、自然と口を閉ざし、沈思せざるを得なかった。
いまや人影少ない浜辺では、海水浴客をもてなしていたスピーカーも黙り込んでいる。
ただ、寄せては返す波音だけが、耳元まで届くばかりだった。
「……そろそろ、私たちも帰りましょうか」
ほどなく、織枝が話題を打ち切るように、砂の上から腰を上げた。
半ば没した陽を一瞥し、おもむろに踵を返す。
「ちょっと待ってくれ、織枝」
俺も倣って立ち上がると、織枝の背中に声を掛けた。
「なあ、訊かせてくれ。――どうして、俺に家族のことを話してくれたんだ」
更衣室へ向かう足を止めて、織枝はこちらを振り返る。
その華奢な身体は、夕陽に照らされて、浜辺の景色と溶け合い、白く儚げに見えた。
「さあ……。どうしてかな。はっきりした動機は、よく自分でもわからない」
織枝は、かすかに微笑んだみたいだった。
「ただ強いて言えば、今日は朝から地元を離れて……周りに私のことを知ってる人が、冴城くんの他に誰も居なかったから。だから、君に知っておいて欲しかったのかも」
「……どういうことだよ、意味がわからん」
「ふふ、そうだね。――だから言ったでしょう、自分でもよくわからないって」
なぜか自嘲気味に言って、我が「同好の士」は軽く肩を竦めてみせる。
そうして、陸の側へ向き直ると、今度こそ海辺を離れ、引き返そうとはしなかった。
――俺と織枝が糸乃崎海岸で過ごした時間は、こうして終わりを迎えた。
○ ○ ○
俺と織枝は、海の家の有料シャワーで身体を洗い、更衣室で身形を整えた。
JR糸乃崎駅へ急ぎ、午後六時二四分の電車へ飛び乗る。
笠霧駅で乗り換え、翠ヶ丘まで到着した頃には、もう午後九時を回っていた。
さすがに遅い時間帯なので、織枝のことは家の前まで送ってやる。
織枝と別れたあとは、美咲二条二丁目からバスに乗った。
車窓の外を流れていく街並みは、深い夜闇に包まれている。
俺は、それを座席でぼんやり眺めながら、夕刻に交わした会話を思い返していた。
つまり、織枝の家庭事情……
取り分け、姉の彩花さんのことに関して。
――きっと、織枝がオタクになった要因は、実の姉の存在による部分が大きいのだろう。
親が不在がちで、彩花さんはまだ小学生だった妹の遊び相手をせねばならなかった。
おそらく、その際に自らの趣味を、姉妹で共有しようとしたのではないか。
だから織枝は、昔からアニメや漫画に親しんだに違いない。
同人誌制作が初めてなのに、やたらと知識が豊富なのも、姉の影響と察せられた。
そして、今では漫画やイラストを描き、同人誌を作ろうとしている。
あたかも、彩花さんがたどった同じ道を、あの子自身もなぞるように。
……だが、いざ追い掛けてみると、待ち受けていたものは何だったのか?
(――凄いんだ、お姉ちゃんは。私なんかと全然違う……)
そうだ、たぶん織枝は正確に把握してしまった。
自分と姉のあいだに横たわる、圧倒的な実力の隔たりに。
いや、何となく離れた場所から眺めているだけでも、同人作家としての彩花さんが優れた能力の持ち主だという事実は、あの子も気付いていただろう。
けれど、実際に同じことに挑んでみて、それがいっそう明らかになったのではないか。
そんな背景が織枝にとって、いまや一種の劣等感と結び付いているのだとしたら――?
バスが翠ヶ丘一条三丁目に到着した。
帰宅してみると、当然家族はみんな夕飯を済ませている。
俺は、台所にあった買い置きのカップ麺で、空腹を満たした。
風呂に入って一息ついてから、自室で机の前に座る。
どうにも気になって、PCに電源を入れると、ブラウザを立ち上げた。
検索サイトで「 あや乃 」と打ち込んで、リターンキーを押す。
……あった。
あや乃さん――
織枝の姉・彩花さんの
* * *
【 あや乃 】 @ayaaya_wanwan
わんことココアがだいすきです。
PICSNS-ID→109732
場所:おふとんのなか
* * *
やたらとシンプルなプロフィールだった。
同人作家であることを物語る記述は、漫画イラスト投稿SNSのユーザーIDのみ。
とはいえ、ユーザーページの背景やアイコンには、ハンパなく美麗なイラスト画像が設定されている。自ら描いた作品を、装飾に使用しているのだろう。
ええと、フォロワーのユーザー数は……
――四万八〇〇〇人!?
一瞬、我が目を疑った。
しかし、見間違いではない。
俺は、画面を下方へスクロールさせ、過去の発言を遡ってみた。
――――――――――――――――――――――
【 あや乃 】@ayaaya_wanwan 1日前
おやすみですー
返信:7 RT:0 いいね:4
――――――――――――――――――――――
これが最新のツイートだ。
昨晩、就寝前に投稿されたものだろうか。
それにしても、こんな一言のつぶやきになぜか「いいね」を押したユーザーが居るらしい。
膨大な数のフォロワーを抱えると、よくわからない現象があり得るもんなんだな。
とりあえず、もう少し古い発言も探ってみる。
――――――――――――――――――――――
【 あや乃 】@ayaaya_wanwan 3日前
ねむいのですー
返信:0 RT:0 いいね:3
【 あや乃 】@ayaaya_wanwan 3日前
ココアをのみます。ココアだいすき
返信:0 RT:1 いいね:2
【 あや乃 】@ayaaya_wanwan 2日前
きのうの絵のつづきを描きます
返信:2 RT:0 いいね:9
――――――――――――――――――――――
……妹と比べると、彩花さんのツイートは本当に一言の短文ばかりだな。
発言の投稿頻度自体も、あまり多くない。
大抵一日に二、三件といった感じだ。
そのわりにちょくちょく「いいね」が押されてたりするが……。
首を捻りつつ、さらに過去のツイートを閲覧する。
と、思わず途中で、画面をスクロールさせる手が止まった。
――――――――――――――――――――――
【 あや乃 】@ayaaya_wanwan 5日前
こないだの絵が描けましたー
返信:27 RT:9886 いいね:2万
――――――――――――――――――――――
「……とんでもねぇな、あいつの姉さん……」
独り言が口を衝いてしまう。
「いいね」約二万件という、異次元のツイート。
そこには、投稿された発言と共に、一枚のイラスト画像が載っていた。
西洋風の武具で身を包んだ
凝った意匠の剣を構え、紺碧の外套を翻している。細緻な描き込みは、背景箇所まで及び、幻想的な雰囲気を醸し出していた。さながら、長方形の画像の内側には、空気の温度や匂いすら閉じ込められているかに見える。
隙のない作画には、一目見ただけで溜め息が漏れそうだ。
妹の織枝とは、根本的に画風が違う。
でも、そんな方向性の差異を超越して、その絵には何者にも「上手い」と言わしめるだけの完成度が備わっていた。
ふと、ツイートの
「@ayaaya_wanwan きたあああ! あや乃さんのエクス様最高!」
「@ayaaya_wanwan さすが『けんぶと』に定評のあるあや乃さん」
「@ayaaya_wanwan 次の新刊、やっぱりエクス×レヴァですか?」
「@ayaaya_wanwan コミロケ『けんぶと』新刊楽しみにしてます」
はっとして、俺は再度検索サイトへアクセスした。
「 あや乃 けんぶと 同人誌 」
と打ち込み、リターンキー。
……検索結果が出た。
「子猫ブックス」の特設サイトが表示される。
大手サークルの新刊を紹介しているページだ。
リンク先へ飛ぶと、見覚えのある記述が目に飛び込んできた。
―――――――――――――――――
ジャンル:『聖剣舞踏』
執筆者 : あや乃
サークル:【田園地域南駅】
―――――――――――――――――
俺は、すっかり脱力して、椅子の背もたれに上体を委ねる。
やはり、思った通りだった。
笠霧駅前の「ねこブ」で、先月一番人気だった女性向け同人誌――
その執筆者こそ、我が「同好の士」の他ならぬ実姉だったのである!
織枝静葉は、奇しくも創作の世界へ足を踏み入れてしまった。
あの子が今、何を思って、同じ道の先を行く姉を見ているか……
そして、なぜ俺を彩花さんと会わせるのに、消極的な態度だったのか。
微妙な心中が、おぼろげながら察せられてきた。
――自分が描いているものを、彩花さんには見られたくなかったんだ。
無論、いずれ同人誌が完成し、即売会で頒布されれば、それは不特定多数の誰かの目には触れてしまう。
それは織枝も承知している(実際そう言っていた)し、だから俺が「ネームを見せて欲しい」と頼んだときにも、素直に従ってくれたのだと思う。
ましてWeb上に投稿していれば、検索一つで互いの作品までたどり着ける。
なので相手の目を避けているつもりでも、実質的には何の効果も意味もない。
けれど、とにかく彩花さんはあの子にとって、唯一無二の姉であり、血縁であるがゆえに特別意識せざるを得ない人物なのだ。
その本人を現実に目の前にして、もし稚拙な作品と判定されてしまったら。
他にはない劣等感で、織枝は心を苛まれるのかもしれない。
おそらく我が「同好の士」は、そんな状況を想像して、怯えているのではなかろうか?
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