3、第三王子、アルフ
その白い、白い、美しいレース編みの衣装を見た時。私は、感嘆の吐息をもらしていた。
細やかな模様と繊細さで高名な、パル族の伝統的なレース編み。あまりの繊細さに、何十頭もの竜を有する商会だけが、その取り扱いを許されたと聞いていた。パル編みのレースはとても高く売れると聞いていたが、こうもふんだんに使った衣装を纏わされるほど、この娘は大切に育てられてきたのだ。そう思うと、自然と背筋が伸びる。
表情は硬いながらも背筋を伸ばした、義父となる現ホスロウ商会会長のガルガド殿。そして、父であり国王たるバルフ陛下が、互いに口上を述べあう。
「ホスロウよりは若き娘を。我が3の娘、キヨラを贈り申す」
「アローヴォスよりは若き男を。我が3の息子、アルフを贈り申す」
その申し出に、私は歩きだす。ほんの、数歩が、遠く感じられる時間ののち、ガルガド殿の前へと赴いた。
ガルガド殿は緩やかに頷き、白いレースの婚礼装束を身にまとった娘を呼ぶ。顔を隠すほどにレースが長いのは、婚礼の儀が終わり、花婿がそのレースを外すという役目を担う為だ。
ただその、呼ぶべき名前だけを、知っている。
傍らでつつましく座る娘は、それはそれは小柄だ。アローヴォスの王家は典型的な男系の一族である。生まれてくる子供も、女より男の方が多い。その理由は分からないが、おそらくこの国に数多住まう竜達を率いるべく、いずれは強かになろうとも、骨格的に強い男の方が望ましいのだろう。
庇護すべき子供たちの様に小さな嫁に、私は実に微笑ましい気持ちになっていた。緊張でガチガチになっているらしい、小さな掌。だがその小さな手が、己の操る飛竜であるヴァーミリオンを叱咤し、さらに鼻先を殴ってたしなめた、類稀なる存在であることを私は知っている。
そしてレースの下に隠されている、幼さの残る顔のことも。
あの日。
あの日、私は、空賊狩りのために部下を率いて外に出ていた。名誉職に近いが、将軍の地位にあるこの王子の身。とはいえ、実戦経験はまだ乏しく、こうして空賊狩りを通して、相棒である火竜のヴァーミリオンとのやりとりを覚える必要があった。ヴァーミリオンは元々野性の火竜であり、私自ら捕え従えた。それゆえ私は、竜と人の戦いは知っていた。だけど、竜と竜の戦いを知らなかった。だからこそ、相棒であるヴァーミリオンの初陣を、あんな悲惨なものにしてしまったのだ。
投げ出された衝撃で一瞬意識が飛びかけたが、すぐに持ち直したのは自分を心配する声と、ヴァーミリオンをたしなめる声を聴いてなんとか意識を保ったのだ。そして、見た。
全身を血で濡らしながら、ヴァーミリオンの尾の傷に、必死に立ち向かう少女の姿を。どんなに血に濡れても、構わないとばかりに立ち向かう、その様を。
そして暴れかけたヴァーミリオンの鼻を殴り、言い聞かせるようにおとなしくさせた、姿を見ていた。
その場にいた竜使いにより、彼女がホスロウ商会の三女キヨラであることはすぐに分かった。彼女がともにいると竜が落ち着く、というわけで、ホスロウ商会の空輸隊と共についていたのだそうだ。落ち着く、という表現が、引っかかった。《竜巫女》となる少女の多くは、傍に近寄るだけで竜を落ち着かせることができるものが大半だ。そして、言い聞かせるような言葉遣い。それを思い返し、もしや、と思った。
礼と着替えの手配のために、と半ば強制的に導竜教会へ連れて行き調べたところ、結果は明らかだった。
キヨラの才能は、ここ数百年でも類を見ないものだと判明した。おそらく、当代の、どの《竜巫女》よりも強い能力を秘めている。
そう分かったときにはもう、私はキヨラを手放すつもりはなかった。
そろそろ婚約者を、などという話も持ち上がっていたから、渡りに船であった。その才能に、父であり、王であるバルフも、二つ返事で了承したのだ。
娘さんを嫁に下さい、というのは、怪我の治ったヴァーミリオンで、ホスロウ商会に乗り付けて許可をとった。あれだけの大元締めだ、王族という地位にも負けず気丈に立ち向かってきたガルガド殿は、三女を召し上げたいという私の言葉に顎を落とさんばかりに驚き、なぜかと聞いてきた。
血にまみれ、それでも竜を気遣った娘。たとえ王とはなれずとも、民のために、そして竜のために動く者でありたいという、己の願い。
鮮烈すぎるこの出会いを、私は終えるつもりはなかった。だからこそ、望み、そしてそれは叶った。
「キヨラ」
そっと名前を呼ぶと、控えめな頷きが返る。彼女は、商人の娘だ。貴族の娘たちとは、育ちが違う。儀式典礼の詳細など、ほとんど知らずに育ってきた。そしていずれは、竜使いと結婚し、家業を手伝っていく予定だった。けれどそれを、私は止めた。
商人の娘と、王族の婚姻。それを叶えさせたのは、私の証言とヴァーミリオンのキヨラへの態度。そして、導竜教会にて行われた確認の儀だった。
「二人の行く末に、我らが国竜、ゲイジュアの恩恵と、空と風、そして大地の恵みあらんことを」
互いに針を持ち、小指を差し出す。キヨラは、私の指を。私は、キヨラの指を。ぷつり、と針で刺し、血の粒を膨らませる。そしてそれを、互いに口に含くませあう。この国で、最も権威ある、王族の婚姻方法。それだけを覚え込まされたのだろうキヨラは、王族の指に針を刺すという作法を聞いた瞬間、意識を飛ばしたらしい。
それを思い出して、思わず笑みをこぼす。
ヴァーミリオンを叱咤するような肝の据わった娘だから、そんなこと平気だと思ったのだ。
「これにて儀式は完了した」
導竜教会の長がそう宣言したとき、それまで陛下の後ろに寝そべっていた、国を守護する国竜のゲイジュアが、頭を上げた。キヨラが、ぴくん、と反応し、そちらを向く。
これだった。商人と王族、身分違いの婚姻を乗り越えさせたのは、キヨラの持っていた《竜巫女》として驚異的なまでの素質。まだ竜の名や、関係性、種族については疎いところもあるが、そんなものはこれから覚えればいい。《竜巫女》の素質があるからといって、ありとあらゆる竜の声を理解できる巫女は、今のアローヴォス諸島国には存在しない。
迷った様子のキヨラに、
「どうした」
と、優しく尋ねる。キヨラは、そっと、ささめくような声で、問いかけた。
「ゲイジュア様からも、祝福を渡したいから、近くに来てほしいと」
「そうか」
何一つ、私は疑っていなかった。キヨラが言うのなら、その通りだろうと。七色に輝く、玉虫色の体を持つ、知能高き竜。ゲイジュアのもとへ、彼女の手を引こうとしたその時だった。
「お待ちください、アルフ様」
それを止めた声に、振り返る。視線の先、白銀の髪に薄い青の目。《筆頭竜巫女》であるエルリア様の姿に、さざめきが広がる。彼女が己の結婚相手として名が挙がっていたことは、私も心得ていた。しかし同時に、《筆頭竜巫女》として、まさかこの場で何か物言いをするとは、思いもよらなかったのだ。
真っ白な肌によく似合う、《竜巫女》の装束。
この国で最も名高い、《筆頭竜巫女》。そして、我がアローヴォス王家に長く仕える公爵、アルメリア卿の愛娘でもある。
「儀式中、無礼をお許しください。ゲイジュア様が本当にそのように申し上げたのか、確証はありません」
「しかし、キヨラがそう言うのだ」
「……キヨラ様は、《竜巫女》として認められて日が浅いと聞きます。一度私が尋ねます故、お待ちを」
一理ある。私はそう思い、頷いた。キヨラは特にそれ以上、己の意を通す意思はないのだろう。ただ不安そうに、ゲイジュアのもとへ向かうエルリア様の背を見つめている。
「ゲイジュア様、お二人に、何を為さりたいのでしょうか。わたくしに、教えてくださいませ」
そう尋ね、エルリア様が何か言葉を発する。しかし、ゲイジュアは、答えない。その玉虫色の目を静かに瞬き、ゆっくりと体を持ち上げた。そして、まるで話にもならない、というように、エルリア様の横を素通りして、私とキヨラの前に来た。キヨラが明らかに困惑し、それは私も同じだった。
《筆頭竜巫女》であるエルリア様の言葉を無視したようにしか、見えなかった。それをどう取り繕うか、頭の中では必死の算段が練られていく。
「ありがとうございます! 大丈夫ということだったんですね!」
その前に、キヨラが声を上げた。花嫁が声を上げるなど、という無作法について言及してる間はない。ゲイジュアが、荘厳な鐘の音色のような音を、全身から立てる。それは、キヨラの発言を後押ししているように、聞こえた。見えた。エルリア様の表情は、硬い。
分かってしまった。
彼女にはきっと、何も、何も聞こえなかった。
「……はい、そうです。大変に、失礼、いたしました」
引き絞るように返した彼女を、すぐに神官がつれていく。ゲイジュアの荘厳な声と、その姿の美しさに見物客は見とれているが、そんな場合ではない。
《筆頭竜巫女》エルリア、その地位が失墜しかねないことが今、目の前で起きた。
その事実におびえるように聖堂を出ていく彼女を、目の端に見ているしか、自分にできることはなかった。彼女は心配だ、心配だが、今はそれを表に出すときではない。幸い、キヨラの声かけで、周囲の意識はこちらにある。エルリア様が出ていくのを見届けて、キヨラに目を移した。レースの奥の目が、確かな意思をもって頷く。
ゲイジュア様の方へ、向き直る。
そして。
七色の美しい光が、私たちを包んで舞い踊った。キヨラの身に着けるレースがはためき、それがかすかに色づいていく。絶句した、と言っても、過言ではない。玉虫色の、六代の王を看取ってきた国竜ゲイジュア様。その祝福を授けられる花嫁が、そして王族が、どれほどいるだろうか。私の手の甲にかすかに痛みが走り、見つめればそこに、王家の紋章。荘厳な鐘の様な声を私に向けるゲイジュア様に、キヨラへと問いかける。
「なんと?」
「……私と、手を繋いでくださいますか?」
言われるがまま、手を取る。その瞬間、鳴り響くゲイジュア様の声が、私にも理解できた。それは、この国の未来の安寧を祈る言葉であり、私たちの結婚を祝福するものであり、民の平和を想う心であり、私へのキヨラを守るよき夫であれという激励だった。キヨラはそれほどに、竜たちにとって認めるべき《竜巫女》なのかと思うと、誇らしくなる。
いくら私が、王家が、ゲイジュア様が認めたとはいえ、貴族社会に作られた身分という偏見は深い。平民から《竜巫女》が誕生したのは、記録によれば今から309年前のことであり、民衆には伝承という形ですら残っていない。おそらく、当時の貴族が情報を断じたのだろう。
しかしここまでのことが起きれば、キヨラをとやかく言える者は、もういないだろう。
「凄いな、キヨラと手を繋げば、こうしてゲイジュア様の声すらわかるのか……」
「……ええと」
さっと手を離され、困惑する。どうした、と尋ねるが、なかなか話そうとはしない。また後で聞けばよいか、と思いながら、ゲイジュア様へと深く首を垂れた。
「祝福を、安寧を、祈りを、ありがとうございます。ゲイジュア様」
一度、深く頷くと、老竜はゆっくり陛下の傍へ戻った。しん、と静まり返っていた聖堂に、ぽつぽつと拍手が巻き起こる。
真っ先に立ち上がり拍手を送ってくれたのは、敬愛する兄であり、次期王に任じられているアドヴェルト兄上だった。満面の笑みを浮かべる彼が、大きく声を上げる。
「国竜の加護を受けし、赤竜将軍、アルフよ! おめでとう!」
「おめでとう! 我が息子よ!」
その意をくむように、陛下がおおらかに笑った。それをきっかけとして、わっ、と歓声が巻き起こる。その歓声にも意を介さぬように、ゲイジュア様はまた、ゆっくりと目を閉じられた。
ややあって、キヨラが言う。
「アルフ様、レースを外してくださいますか?」
「しかし、儀礼では」
「こんなにも祝福されて、顔を出さないわけにはまいりませんもの」
それは、彼女の感覚での話なのだろう。まあ、でも、悪い気はしなかった。
レースに手をかけ、さっと取り払う。婦人方が息をのむ音が聞こえたが、気にはしなかった。貴族の娘方とは違う、平民に多くあるよくある顔立ち。愛嬌がある、と言えばいいのか。それでも、子供の様なあどけなさを残したその顔に、周囲は驚いたのだ。きっと彼らには、国竜様の加護を受ける姿は、遥か高みの存在に見えていたはずだから。だから彼らには、突き付けられた剣のように、思えたのかもしれない。
そこにいる娘は、贅を知るかもしれぬが、税を納めてきた民なのだと。
七色の光を纏っているかのような、パル族のレース。それに包まれた、愛らしいキヨラの姿。
にっこりと微笑んだ彼女にまた、歓声が起きた。あとは退場するだけなのだが、よくもまあ、盛り上がったものだ。
「いきましょう、アルフ様」
そっと取られた腕に腕を絡め、道を往く。聖堂の扉を抜ければ、一度別の部屋に戻り、飾り立てた装束を外すこととなる。パル族のレースは、王族でもおいそれと手が出せない。それを、メイドたちが丁寧に丁寧に扱い、箱へ戻す。ゲイジュア様の加護が宿ったのか、光の加減で七色に輝くそれは、はっとするほど美しくなっていた。
この後は夜の晩餐会まで、時間が空く。着替えのため部屋を移るキヨラを見送り、軽く食事をつまみながら、部下たちの報告を聞くこととなった。
「なかなか盛大なことになっていましたね、アルフ様」
「あの光、外のほうまで届いておりまして。聖堂に入れなかった貴族にも、かなり効果があったようですよ」
「そうか。……エルリア様はどうなった」
私の言葉に、部下たちが姿勢を正す。
「あの後は、神殿でも彼女に近しい者たちがすぐに、神殿へとお連れになられました。体調を崩されたり、という報告はいまだございません。ただ、何と言いますか……もとより、大変にショックを受けた状態ではあったようなのです」
「続けてくれ」
では。
緩やかに目を細め、部下の一人。キルドが、話し始めた。
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