あなたに、もう一度あいたくて(1)

「お母さん!」

 失いかけた意識が、みのりの声で踏みとどまった。

 見回すが、当然みのりの姿はない。

 みのりの声は、HMDから聞こえていたようだ。スマートフォンからNow-Manを通して届いたらしい。

 歌唱の竜息ソングブレスは続いている。さゆりの背後に広がる街が、紫菫竜ヴァイオレット・ドラゴンが奏でる美しい旋律を受けてバキバキと砕けていく。

 紫菫竜が、前脚を天に向けた。

 隕石の第三波がくる。

 見下ろせば、竜胆湖の周囲は小型のクレーターだらけになっている。沿岸の街は、断熱圧縮で加熱した隕石雨を浴びて炎上している。

「これ以上、街を破壊させたらいけない」

「わかってるよ!」

 みのりの声が聞こえる。そう思っただけで、心が強くなれた。

 再度、空に鏡を向ける。

「死ぬ気で結界張れよっ!」

「ははっ。オレは永遠に死なないけどな! なにせ、魔方生物ってヤツだからさ!」

 軽口を叩く鏡。青空に銀色の光線が走り、魔方陣を描いていく。

『隕石落とす以外に芸がないのか、お前は!』

 紫菫竜を挑発する。

 後ろ脚で立ち上がった紫菫竜の頭は、周囲の山々を圧倒している。その巨体は湖から汲み上げられた竜気でますます輝きを増している。

『隕石じゃ私を殺せないと言っただろう!』

『なるほどね。これが、何度も、あなたに彩色竜クロマチックドラゴンが負けた理由かぁ。竜王キングドラゴンは伊達じゃないってことなのね』

『なにを言ってる?』

『あなたに負ける運命を、この私が覆すって話よ。人間あなたたちの言葉で、時の輪廻タイムループと言うんだっけ? 勝つまで同じ時間を繰り返すのって』

『だから、なにを…』

 答える代わりに、紫菫竜はクスクスと笑いだす。

『そういえば、あなたのニセモノもそうだったわね?』

 くっ、と、みのりが小さくうめくのがきこえた。

「どういうことなの、みのり?」

「帰ったら話するよ。お母さん。それより目の前の戦いに集中して!」

 紫菫竜は翼を広げた。翼長1kmにも及ぶ長大な翼だ。

『もう十分竜気も吸ったし。そろそろ殺しちゃおうね?』

 翼が羽ばたき、その巨体が、ゆっくりと浮き上がる。翼が生む衝撃波で山が削れ、竜巻が街を焼き尽くした炎を巻き上げる。

 災害の事象を具現化したのが彩色竜クロマティックドラゴンであるなら、紫菫竜は、天変地異という言葉を体現する。

 全ての竜災ディザスターを集めた存在とでも言うのだろうか。まさに災厄そのものだ。

『もう、こんな格好している必要もないわ。そろそろ、本当の姿、見せるわね』

 十分に浮き上がったところで、紫菫竜は山のような肉体を丸めた。体表がさざなみだち、蒸気をまき散らしながら、竜から丸いなにかの姿に変わっていった。

 そう。蕾だ。空に浮かぶ、巨大な蕾。竜と名状しがたきその姿こそ、紫菫竜の本当の姿だというのか。

『ちがうわ。これは、星の空を渡るときの姿フォームよ』

『星の海だと』

『そう、あの方にちきゅうを奪えと命じられ、私はこのほしに来たの』

『どういうことだ』

『この星を私たちのものにするってこと。簡単に言えば、侵略よ』

『侵略…?』

『私はこの星を、あの方に献上するためにきたの。可愛い子供クロマチックドラゴンたちは、そのために動いていたのよ』

 紫色のつぼみは、鳴動を続けている。

『だけど、それを邪魔する存在が現れた。それがあなたたち。人間と交わり、竜であることを捨てた宝石竜ジュエルドラゴン。だけどね人間の味方をしているあなただって、竜である以上、侵略者であることに変わりはないのよ。ふふ、良い子ぶってるけど、あなたたちはドラゴンと本質は変わらないの』

『なに…』

「紫菫竜はお母さんを動揺させようとしてる。聞かないで」

みのりの声だ。さゆりは光の翼をはばたかせ、小さくうなずいた。

『なにが侵略だ。あんたは六千万年も寝ていただけだろう!』

『あははは。なに言ってるの。竜には寿命がないのよ。何万年、何億年かかっても、この星が私たちのものになれば、私たちはそれで良いの。子供達はこの星に散らばった竜気を集めて、来たるべき竜の最終戦争ドラゴニック・アポカリプスのために、私に力を捧げてくれたわ』

竜脈が枯れた理由は、こういうことなのか。

ドラゴンは出なくなったのではない。出る必要がなくなったということなのだ。

『あの方は、今でも私のことを待っている。銀河の中心にあって、何層にも編まれた重力子グラビトンで作られた王座に座って、今でも私の帰りを待っていてくれているの』

 紫菫竜はひとり呟く。

『私は全力を持ってあなたを殺すわ。それがあの方からの、愛のお返し』

 蕾が開いて、五つの花弁を備えた花となった。その姿は、まさしくスミレ

 だが、紫菫竜の変身トランスフォームはそれで終わらない。花弁は紫色の光の蒸気を噴きあげる。

 蒸気が晴れた。

 見れば開いた花の上に、女が一人立っていた。

 カチューシャで留めた長い髪を、風がもてあそぶのに任せている。

 目鼻立ちは、どこかさゆりに似ていた。紫菫竜はおそらく、さゆりを真似て人の姿をとったのであろう。流線型の、起伏の美しい、スミレ色の鱗に覆われた裸体を惜しげも無く晒している。

 だが、その美しい姿から放たれる殺気は、尋常ではなかった。

『あなた、小さすぎて戦いづらいんだもの。だから、そちらの土俵に降りてあげる。あなたも、降りてらっしゃい』

 光の翼を収納し、広大な紫色の花の上に降りる。

 花の中心にいる女…おそらく紫菫竜そのものであろう、紫色の裸体から離れたところに降りた。その距離、およそ500メートルといったところか。

 思わず足がすくむ。22年前、輝銀竜プラチナ・ドラゴンと戦った時ですら、これほどのプレッシャーを浴びたことはなかった。

『見せてよ。劣等なこの星の生物と交わり、独自に進化した竜王キングドラゴンの力を』

 紫菫竜は美しい顔を、凶悪に歪めた。

 さゆりはヴォーパル・ウェポンを握りなおし、大鏡を構えた。


(つづく)

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