エピローグ ~金剛竜は砕けない~
あの戦いから、三日がたった。
あおいの
姫様が目を覚まさないと、安芸津の両親は大騒ぎ。店を休業して、代わる代わるさゆりの看病をしていたらしい。安芸津の両親の気持ちは嬉しかったが、「大げさだなぁ」と、苦笑いが隠せないさゆりであった。
RX-8の
日は傾き、空はあかね色に染まりつつある。木々の陰が大きく伸びて、駐車場に縞模様を刻む。
鍵をあけて、店に入る。
静寂に支配された店内。西日を浴びた窓だけが金色に輝いていた。
入口側のスイッチをつけると、カチカチと音を鳴らして蛍光灯が点灯する。
黄色く変色した壁紙。しかし一ヶ所だけ、真っ白い部分があった。
それは、
あの鏡をかけた時。まだ両親がこの家にいたころ。ちょうど店内の改装をしたということを思い出した。
新品のような壁紙をなぞり、ここの主の事を思った。口うるさい
自分を「お母さん」と呼んでくれたみのりの姿もない。一番輝いていた頃の、自分の分身。あのいつでも笑いを絶やさない綺麗な顔が、すでに懐かしかった。
椅子に腰かけ、いつも傍らに置いておいた羽箒を手にした。
22年前の銀竜戦で力尽き、空っぽになってしまった魔法の杖。そして、稔の形見。それはまるで、魔力を使い果たしたがらんどうな自分の姿に似ていた。
その隣にヴォーパル・ウェポンを並べる。こちらはみのりの形見だ。
あの戦いで、私は何を得たのだろう。
鏡とみのりを失って、私は何を手に入れたのか。
竜がいない世界。それはさゆりも必要とされない世界であった。そんな世界でさゆりは、一人で生きていかなければならないのだろうか。
疲れのせいもあっただろう。虚無感にとらわれたまま、その日は過ごした。
翌日。時計はいつの間にか、正午を過ぎていた。
昼食を食べるために、あきつ家へ向かった。
Now-Manでメッセージを投げたら、あおいが迎えに来てくれた。
「そういえば、
「そう。で、明日は私も東京に帰る」
「そうか」
淋しくなるな、という言葉は飲み込んだ。
RX-8からさゆりが姿を見せると、たつみ通りの人たちは歓声をあげた。
そこかしこから「お嬢」という声が聞こえてくる。
「さゆりちゃ~~ん!」
向こうから駆けてきた早苗が、ぎゅっとさゆりを抱きしめた。
「さゆりちゃん、心配したよぉ、もう大丈夫なの?」
「大丈夫、大丈夫。ほら、どこにも怪我がないでしょ」
「服の下が傷だらけとかないの?」
「ないない。治っちゃったよ」
「ホントかなぁ。確認しなきゃ~」
服の中に手をいれようとする早苗の腕を押さえ込もうとすると、周囲の人たちも遠慮のない笑い声をあげた。
日常が戻りつつある。
とんかつ定食を食べた後、駅前のマスモトヒデキにも顔を出した。店長も、バイト仲間の大学生も、さゆりの無事を喜んでいた。
ちょっと世間話をして、いつものコンビニ寄る。そしてショート缶を買うと、そして駅前広場のお気に入りのベンチに腰かけた。
また今日も、馬瀬川昇の選挙カーが停まっていた。
(ご熱心なことで)
そういえば選挙は明日であった。下馬評では民王党の圧勝となっているらしい。マスコミも民王党を推している。
からっぽなマスコミに、からっぽな政権。自分やみのりが護ったものは、こんなくだらない社会だったのか、とも思う。
しかし。社会や世間に不満があるからといって、竜殺しの使命は捨てられない。それを捨ててしまえば、自分は竜殺しではなくなってしまう。
だが、それももう終わりとなった。
輝銀竜が倒され竜脈が尽きた。今後は竜が出てくることはない。世界中から、竜が消えたのだ。馬瀬川が主張していたように、竜殺しはついに不要の存在となったのだ。
いつか稔が言っていた。竜殺しの子でも、竜殺しとしての力を持つ人間が生まれなくなっていると。竜殺しは竜と相対する存在である。そして竜と同じく竜脈の力を吸い上げて生まれてくる。竜脈が尽き、竜がいなくなれば、竜殺しもまたいなくなるのは道理であった。
そして
さゆりは本当に、最後にして最強の
「竜見さゆりさんは、命を懸けて
馬瀬川のスピーチが聞こえてきた。さゆりは苦笑いを隠せなかった。手のひらを返して、さゆりの功績にあやかろうとしていた。
無関係な人間ほど知った顔をする。何も失わなかったものほど厚顔となる。彼はただ、さゆりの勝利に
「あんた、この前までは竜殺しは殺せって言ってたじゃないか」
からかうような声。
「私はそんな発言をしたことはありません!」
馬瀬川はまけじとがなり声をあげた。
「助けてもらったのに、自作自演と罵ったの、覚えてるぞ!」
馬瀬川の声はブーイングにかき消された。この世の中、どうしようもない人間ばかりではない。だからこそ、さゆりは命をかけたのだ。
「私は竜殺し年金を見直せと言ったのです。年金を削減しろとか、竜殺しを殺せなんて言ってません。増額の可能性も含めて見直せと言ったのです」
そこまで開き直れるのならたいしたものだと、演説台の上の馬瀬川の背中を眺めていた。呆れた人々は、馬瀬川の選挙カーから離れていった。
さゆりもベンチを立った。彼女の手を離れたショート缶は、一直線にゴミ箱へと飛び込んだ。
その後、用もないのにスーパーをまわったり、ふたたびたつみ通りをぶらついたり、たこ焼き屋の前で早苗と世間話をしたり。
日が暮れた。夕食を食べにあきつ家に寄る。
「あら姫様、また来たの」
「あ、うん…」
「家に帰りたくないんでしょ、ねえさん」
さすがにあおいは鋭かった。
「あ、さゆりさん。お久しぶりです」
店の奥から出てきたのは、あおいの夫の達樹だった。
ひょろっとした長身で、かけためがねがいかにもというカンジで似合っている。
「そういえば、さゆりさんにそっくりな
と言った直後、あおいの肘鉄が達樹の脇腹に入った。
うずくまる達樹を見て、さゆりは苦笑いを浮かべた。
同時に、気を遣わせているとも思った。
みのりがいなくなったことを、誰も言わない。それは皆、竜になったみのりの運命を知っているからだ。
そして彼らは、最強の竜の心が、その鱗のように堅いわけではないことも知っていた。
夕食を食べた後、あおいにたつみやまで送ってもらった。
そして昨日と同じように、RX-8のエグゾーストノートが消えるまで、駐車場にたたずんでいた。
夕闇の静寂が訪れる。
「ただいま」
誰の声もしない。鏡のキンキン声も、みのりの明るい声も聞こえてこない。
上がり框に座り込む。
今更ながら、自分は孤独に弱いと実感する。みのりと出会い、家族のぬくもりを知ってしまったから、なおさらだ。
「寂しいよ、みのり…」
膝を抱えて顔を伏せた。辛いときは、いつもこうやっていた。そして鏡が慰めの言葉をかけてくれた。
しかし誰の声もしない。本当に、ひとりぼっちになってしまった。そう思うと、涙が止まらなくなった。
だから、扉が開いたのも気づかなかった。
「うんしょっと。ただいまー」
少女の声。続いて何かを床に置く音がした。
「この鏡、ホント重かったー。ヒッチハイクでここまで運んでくるの、大変だったよ。最後のおじさん、麓で降ろしちゃうんだもん」
そこには、鏡面を失ったデコレーティブな、大きな「鏡だったもの」を携えた、制服姿の少女がいた。
シャンパンゴールドのシュシュでまとめられていたポニーテールは、肩くらいまでに短くなっていた。だけど、そこにいたのは間違いなく…
「今日は暖かいし、汗たくさん出ちゃった。お母さん、タオルあったら貸して」
それより先に、さゆりは、少女…みのりを思いっきり抱きしめていた。
「お、お母さん…?」
「汗だったら、お母さんのシャツでぬぐいなよ。好きなだけ頭こすりつけていいから」
「痛いよ、お母さん。胸ないんだから! 汗拭きたくても拭けないよ」
そんな抗議は聞けない。さゆりは両腕に強く力を込めた。
「どうやって生きてたの?」
「よくわかんない。死んだと思ったけど、生きてたよ」
「わからないって…」
「多分、私が
たはは…とみのりは笑ってごまかす。
「お母さん 、二つお願いがあります」
「なに?」
「この鏡、ボロボロになっちゃったけど、これからも大切にしてね」
「うんうん、大切にする」
「お父さんだと思って、大事にしてね?」
「するする。毎日ピカピカに磨く。こいつが嫌がってもすみずみまで拭いちゃうよ」
鏡の木枠を受け取ると、いつもの場所にかけた。22年前に稔が埋め込んだ、長方形のICチップが剥き出しとなっている。魔法の力を失った今、この集積回路も眠りについたことだろう。
「でね、もう一つ…」
みのりは照れくさそうに、横髪をいじる。
「なんだい、水くさいね。なんでも聞いてあげるから、言ってごらん」
「私、これからもここに住んでもいいかな?」
「当たり前じゃない。私の
「お嫁にいけるかな、私」
「いけるいける。私そっくりの超美人なんだから、男が放っておかないよ」
「でもお母さんは結婚しなかったじゃない」
「仕方ないでしょ。一番好きだった人が死んじゃったんだから」
「でもね、私も大好きだった人、もう死んじゃってるんだ」
「大丈夫だよ。まだまだ18歳なんだから。生きているうちにもっと好きな人が見つかるよ」
「そうかな。でも私とお母さんと一緒だから、そんな簡単にいかない気がするなぁ」
「どういうこと?」
「ううん。お母さんは知らなくていいの」
「だって
(おしまい)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます