二度目のさよなら

 二匹の竜は、いまだ乙ヶ宮上空にあった。

 さゆりとみのりは何度となく輝銀竜プラチナ・ドラゴンを街から引きはがそうとしたが、地の利を手放したくない輝銀竜は軽々しく挑発に乗ってはこなかった。

 蒼い空の中で二つの閃光が交わり、雷鳴に似た轟音が地上にまで響く。

 輝銀竜が操るプラチナス・ビットは巧みに金剛竜ダイヤモンド・ドラゴンたちを包囲し、その機動力と火力を奪っている。

 しかし輝銀竜の攻撃も致命傷にはならない。みのりの背に乗るさゆりが、強固な障壁を展開しているためだ。


 まるで千日手である。お互い決め手を持たず、ただ身を削りつづけるチキンレースだ。


 輝銀竜との戦いはいつもこうだ。22年前の戦いも、そして「みのり」を失ったあの戦いも。

 実力は伯仲している、とも言える。

(だけど、輝銀竜は私たち二人を相手に戦っている)

 ヴァイオレット・ドラゴンに捨てられ、これまで一人で生き抜いてきた、その生存能力が輝銀竜を狡猾な戦上手に育てたのだろう。

 金剛竜は最強だ。だが、戦いの経験値では輝銀竜に大きく劣る。その差が力量差を埋めている。

 みのりもさゆりも、40のだ。5000万年生きている輝銀竜にとって、その年月は一瞬と言ってもいい。


 輝銀竜の下に潜りこみ、光の竜息ライトニングブレス

 だがみのりの口から放たれた光は輝銀竜をかすめ、むなしく天空へと吸い込まれた。

 そして、その位置取りはまずかった。

 上空を飛ぶ輝銀竜が大きく息を吸い込んだ。

「よけろ! みのり!」

「ダメ!私たちが避けたら街が...」

 これが、経験の差だった。輝銀竜はこのポジショニングが完成するようにみのりを誘導していたのだ。

「ちっ!」

 舌を鳴らしたさゆりが最堅の障壁を展開するのと同時に、輝銀竜の竜息が放たれた。 

 視界が青い光に支配される。

 直撃は免れた。しかし、障壁で反れた光線がみのりの左足をとらえた。

 後脚は粉々になり、無数のきらめきとなる。

「みのり!」

「私は大丈夫」

 たかが足を一本失っただけだ。

 二度と大地に立てないかもしれない。ならば、足の一本くらい。

 しかし。

(目が…)

 みのりは牙に覆われた下顎を強く噛んだ。足を失った時、一瞬、視界がブラックアウトしたのだ。

(もう、竜気がないんだ)

 蒼竜ブルードラゴンとの戦いから、無理をし続けてきた。竜化リ・バースしなければ、竜気などとっくに失っていた。

 竜気を失えば竜の形を保てなくなる。

 それは言うまでもなく、死を意味する。


 竜化した時から、死は覚悟している。怖くはない。

 だが、まだ死ぬわけにはいかない。

 未熟なさゆりを残して死ねない。


 仮にみのりが敗れれば、今度はさゆりが竜化する。それだけは、避けなければならない。なんのために転世したのか、その意味さえ無に帰す。


 決着を急がねばならない。


 輝銀竜が引き起こした核爆発によって生み出されたキノコ雲は、北風に乗って乙ヶ宮上空にまで伸びてきた。

 蒼い空が暗鬱な煤煙に覆われていく。

 輝銀竜はその泥濘のような雲を背負って翼を広げ、青い熱線を吐き出す。

 閃光をかいくぐり、追いかけてくるビットを振り切り、みのりは疾風のように空を駆ける。

 その間も、みのりの背に乗るさゆりは輝銀竜への射撃を試みる。しかし距離がありすぎる。長射程を誇る閃光弾ライトニングブリットだが、威力が弱すぎて輝銀竜の白金の鱗は貫けない。

(接近するしかない)

 翼を大きく羽ばたかせると方向を転換し、輝銀竜へと突撃する。

「いける!」

 さゆりはヴォーパル・ウェポンの先から光球ボールライトニングを10個生み出し、輝銀竜に向けて投げつけた。

 そして輝銀竜も、同じく”その時”を待っていた。広げた翼から、同じく10個の蒼い光球が飛び出してきた。

 さゆりが魔法をキャストすると同時に障壁バリア展開。金剛竜の強さは堅さだ。竜気を失い続けるみのりにも、輝銀竜の魔法を弾くくらいの障壁は張れる。

 視点誘導されるさゆりの光球は輝銀竜を追いかけ爆発を引き起こす。

 輝銀竜が怯んだ。追いかけてくるビットが輝銀竜の前へ集まった。

 だが。ビットの群れを貫いてみのりの右手が輝銀竜に迫る。

 体勢を崩したままの輝銀竜ののど元にみのりの爪が食い込んだ。

「お母さん!」

「もらったっ!」

 ヴォーパル・ウェポンが剣となり、輝銀竜の巨体を切り裂いた。

 輝銀竜の下半身が切り離され、無数の泡となって消えた。

『ええい、くそっ! はなせ! 金剛竜!』

 輝銀竜の腕がみのりの背の上を凪いだ。

「キャッ!」

 その直撃を受けたさゆりが、みのりの背からこぼれ落ちた。

『お母さん!!』

 竜語で呼びかけた。返事はない。打擲ちょうちゃくの衝撃で気を失ったか。

 落ちていくさゆりの身体から竜気を感じる。死んではいない。

 さゆりは竜だ。どんな高さから落ちても死にはしない。そして竜気があるなら、どんな怪我でも、それこそ半身を失っても治るのだ。


 そしてこの状況は、みのりがのぞんだ形だった。


(私だけならっ!)

 翼を大きく羽ばたかせると、上半身だけになった輝銀竜を使ったまま北へ、キノコ雲へと飛んだ。

『何をする気だ!』

『決まっている。あんたを殺すんだよ!』

『ふざけるな!』

 輝銀竜はもがく。だが、全ての力を右腕に込めたみのりの手からは逃れられない。

 再度、視界がブラックアウトする。

 残された足がダイヤのかけらとなって消えた。竜気を失った箇所が、竜の形を保てずに砕けているのだ。

 今度は腰から下が砕けた。みのりの身体は、輝銀竜と同じく上半身だけとなった。

 腕だ。輝銀竜をつかむこの腕だけがあればいい。

 だが。

 輝銀竜がもがいた反動でみのりの右腕が砕けた。ダイヤの欠片が、風に乗って消えていく。

 レプリカならこんなものか。「みのり」が残した言葉だ。

 戒めを振り払った輝銀竜が上空に逃れようとする。

「まだっ! 絶対に逃がさないんだからっ!」

 金剛竜は顎を広げ、輝く銀竜ののど笛に噛みついた。

 その体勢のまま、みのりはプリズムの翼を広げて加速していく。

『くそっ! はなせ! 金剛竜!』

 輝銀竜は翼や腕を使ってみのりのホールドから逃れようとする。しかし、みのりはそれを許さなかった。

 ダイヤモンドの牙は深く輝銀竜ののど元に食い込む。

『あんたは私と一緒に死ぬんだよ!』

 全ての力、竜気をつかい、北に立ち上るキノコ雲へと飛ぶ。

 レプリカの身体は、もう限界だった。両腕を失った胴体も次々と砕けていく。

 だが、砕けないものはある。自分の命と引き替えに大切なものを守ると決意した、みのりの心だ。


 早苗や草太、安芸津の両親の顔が脳裏をよぎった。マスヒデの店長やバイト仲間の大学生、たつみ通りのみんな。これまでみのり...いや、さゆりの人生に関わった人々の顔が浮かんでは消える。

 青い出で立ち。あれはあおいだ。あおいには感謝しかない。あおいがいなければ、さゆりはみのりとしてこの世界に転生できなかったし、さゆりが「みのり」と出会うこともできなかった。

 そして、この世界のさゆり。娘として振る舞うのは、恥ずかしかった。自分と向き合うことに抵抗もあった。だが振り返れば、楽しい思い出もたくさんできた。

 そして最後に現れたのは、稔とみのりだった。それはさゆりが希求してやまなかった、まばゆい時代の二人の姿だった。

「さゆり、遅かったじゃないか」

「おかあさん。待ってたよ」

 二人がそう言ったような気がした。


《さゆり》は心の中でほほえんだ。大好きな二人に会えるなら、死ぬのもそう悪くはないと思えたのだ。


 私はニセモノのムスメ。もとよりこの世界の存在じゃない。

 どのみち死ぬのなら、せめてこの世界から全て杞憂を消したい。

 母が、友人達が、大切な人たちが生きるこの世界から、竜という危険な存在をなくしたい。


 それがみのりの、この世での最後の願いだった。

 竜胆湖上空のキノコ雲の中に入った。

『俺の負けだ。金剛竜』

 うめくように、輝銀竜は言った。しかしその声は、どこかさわやかな響きがあった。

ヴァイオレット・ドラゴンに捨てられ、俺は孤独の中で生き続けてきた。それがこの世を、同属を憎む気持ちを生んでいたのだろう』

 輝銀竜の体から、力が抜けた。

『だが最後に、お前が道連れになるのなら、それもいいかと思った』

『そうさ、私たちは、一緒に死ぬんだ。この世界から、竜という存在をなくすために』

 だが、輝銀竜は言葉を返さなかった。

 みのりは輝銀竜の喉を嚙んだまま、心の中で叫んだ。

『さようなら! お母さん!』

 刹那、光がぜた。

 二頭の竜王は閃光の中でその形を失う。二頭の体を支持していた竜気は融合し、高熱をはらんだ爆発と共に散った。



 その光を、さゆりは呆然と見上げていた。

「みのり…」

 膝から崩れる。戦いが終わったという安堵と、みのりを失った絶望が、さゆりの足から力を奪っていた。

 頬に熱いものを感じた。泣いているのだと気づくのに時間はかからなかった。

 みのり。死んでほしくなかった。

 竜化したみのりを見たとき、さゆりは絶望した。

 これがみのりとの別れになると分かったからだ。

 死んでほしくなかった。

 死なないでほしかった。

 生きていてほしかった。

 不意に意識を失いそうになった。戦いの疲れがどっと出たのだろうか。

 力が抜けていく。

 何かに吸い込まれるように、体を支える力が抜けていく。

 遠のく意識の中で、さゆりは誰かの声を聞いたような気がした。

 だが、それが誰の声なのか。考える前にさゆりの思考は闇の中で停止した。


(つづく)

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