哀の水中花

 傍らには、ヴォーパル・ウェポンを握った少女が立っていた。破れた制服が、潮水で乙女の身体にはりついていた。

 その娘がみのりだと分からなかったのは、なぜだろう。

 そうか。

 腰まで伸びた、艶やかな、まるで夜空を流し込んだかのようなポニーテールがなくなっていたのだ。

 その先には、へしゃげたファン・フレディ。彼は二度と、飛ぶことはできまい。

「よくも…のなか…ったなっ!!」

 みのりの絶叫は、ヴォーパル・ウェポンが生み出す雷鳴に混ざってかき消された。

『ニセモノのくせに!』

「ニセモノでなにが悪い!」

 戦況はみのりの優勢であった。上空にあがって逃れようとする紫菫竜ヴァイオレット・ドラゴン。だがヴォーパル・ウェポンがそれを許さない。

 絶対的な防御を誇っていた泡の障壁も、みのりの剣の前には無意味だった。剣は泡を弾き、紫菫竜の左腕をはねとばした。

 花弁は海に落ちる前に泡となって消えた。

「みの…でわた…ころ…して!」

 ヴォーパル・ウェポンが吼えた。溢れる魔力が稲妻となって夜空に飛び散る。

 みのりの瞳は真っ赤に光っていた。開いた口には牙がのぞいている。

(竜化!?)

 ヴォーパル・ウェポンは紫菫竜の腹部を貫いた。

 決着がついた。

『私はただ…星の世界に…あのひとのところに帰りたかっただけなのに…』

 鱗の雨を降らしながら、紫菫竜は海の中へと落ちた。

 同時に、みのりの身体が、糸が切れたように崩れ落ちた。

「みのりっ!」

 左腕がなくてよかった。竜の腕を生み出して、地面にキスするまえに抱きかかえることができた。

「おかあさん」

 力ない声でみのりがささやく。

「よくやったよ。みのり。ごめんね、無理させちゃって」

「いいんだよ。これが私の役目なんだから」

 力なく笑って、ピースをするみのり。そして、気を失ってしまった。

 海面があがってきた。巨大な質量が海に落ちたのだ。

 津波がくる。

「ねえさん!」

 トーチカからあおいが走ってきた。

「こっちの高台に!」

 蛟竜島で一番高い第三砲台跡まで走る。海抜15メートル。金剛壁ウォール・オブ・プリズムの堤防があれば、津波を浴びなくても済むかもしれない。

 だが。

 巨大な腕が伸び、金剛壁を打ち砕いた。

 海面から、女性の顔が浮かび上がってくる。

『くやしい…くやしい…こんなことなら、水晶竜クリスタル・ドラゴンなんて産まなければよかった。宝石竜ジュエルドラゴンがいなければ、私は帰れたはずなのに…』

 怨念がさゆりの身体の中に響き渡る。ゾッとする悪寒と共に、内臓が震えるのを自覚した。

『きなさい。我が子孫。あなたたちも一緒に死ぬのよ』

 怒りと憎しみがないまぜとなった表情を浮かべた紫菫竜は、三人を潰すべく右手を振り上げた。

 その、直後であった。

 海面がふくれあがり、海水が山のように盛り上がった。

 轟音と共に海面がしぶく。

 まるで海が花開いたようであった。

畸形児きけいじめっ!』

 同時に紫菫竜の腕と頭が弾け飛ぶ。

 急いで金剛壁を張りめぐらせる。すさまじい衝撃波に共振したプリズムが悲鳴をあげる。

 ヤツ《畸形児》が、きたのだ。

 噴き上がった水柱は雲となり、上空に広がっていった。

 その中に、銀色に輝くものが浮かんでいた。

 月明かりを浴びてきらめくそのシルエット。六枚もある大きな翼をはばたかせ、長い二本の尾を蛇のように波打たせている。

 それはまさしく、竜の姿をしていた。

輝銀竜プラチナ・ドラゴン…」

 驚くべくもない。この展開は、最初から織り込み済みだった。

 最悪の展開として。

「手柄を横取りするようで悪いが、母上はもらったぞ」

「狙っていたんだろ、あたしらが共倒れになるのを」

「まとめて片付けるつもりだったが、そこのニセモノが頑張るんでな…。そう、うまくはいかないものだ」

 輝銀竜は片方の口角をあげた。この世界の怒りや憎しみを集約したような、憎々しい笑みだった。

 その輝銀竜の身体が、みるみるふくれていく。

「ハハハ、見ろよ。金剛竜ダイヤモンド・ドラゴン。母上の力が流れ込んでくる。俺は今、母なる紫菫竜の力を我が物としているのだ」

 輝銀竜が赤く輝く。

「そして金剛竜、お前を喰らえば、俺は三竜の頂点に、そしてこの星で唯一の竜となれる。だが俺も今の爆発で竜気を使ってしまった。お前とそのニセモノも、もう限界だろう…」

「…」

「どうだ、一週間後に決着をつけるというのは?」

 願ってもない申し出だった。なにか裏があるのか、とも思ったが、同時に受けざるを得ない条件でもあった。

「場所はどこにする」

「世界最大の竜脈が眠る、お前たち竜見一族の領地」

竜胆りんどう湖か。いいだろう」

「ククク。死合えるのを楽しみにしているぞ」

 輝銀竜は月に向かって飛び去った。

「ねえさん…」

「ごめん、政府との連携はあんたに任せる」

「わかった」

 連絡先を聞いていたのだろう。早速電話をかける。午前2時に起きている人がいるのかとも思っているが、緊急事態だ。寝ずに待機している人間もいるのだろう。

 みのりが苦しげにうめいた。呼吸も荒い。外傷はないようだが、体力の消費が著しい。わずかであるが竜化までしたのだ。命の危険すらありうる。

「みのり…持ちこたえて」

 竜の腕で細い身体を抱きかかえたまま、RX-8のところに向かう。トランクに、昨日仕込んだ薬品類が収納してある。

 RX-8は潮をかぶっていた。この車は、もう二度と走ることはできないだろう。

 トランクを開ける。機械類の傍らに、金属製のコンテナボックスが積まれている。

 竜の腕を消し、人間の腕に戻した。

 不死の竜薬エリクサーを飲ませ、額に竜の油ワームオイル膏薬こうやくを塗る。これでいくらか回復も早まるだろう。


 また、無理をさせてしまった。胸中に残響する悔恨の念。さゆりが稔に会っている間、海から這い出たみのりは、さゆりを守るために戦ってくれたのだろう。

「ダメな母親だよ、まったく…」

 間もなく、ヘリが近づいてくる音が聞こえてきた。


(つづく)

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