女帝、降臨す。
なぜ、その可能性を考えなかったのだろう。
他の
南極から来るという、前世での記憶に囚われていた。
この世界と、元の世界とでは
出来の悪いテストの答え合わせをさせられているようだ。みのりの顔に、悔しさがにじむ。
紫菫竜はあまりにも巨大すぎて、湖の真ん中に
湖の底からそびえ立つその巨体は、翼を広げれば、湖面を全て覆ってしまいそうだ。体表がぼんやり光っているのは、竜胆湖に埋蔵された竜脈から竜気を吸い上げているためだろう。空高く持ち上げられた首は、薄暗い曇天に突き刺さりそうだ。
ヘリコプターからの空撮映像だが、相当遠くから撮っているらしく、レンズの圧縮効果で竜胆湖の後ろの山と紫菫竜の巨体が接しているかのように見えた。
さゆりにはすでに、日本政府とT県から出動要請がかかっている。その打ち合わせのために、今まであおいと電話していた。
「私も行くからね、お母さん」
「バカいってるんじゃないよ。そんなカラダでなにが出来るというの?」
みのりの右腕は、いまだ回復していない。昨日の特訓で砕けてしまい、それっきりであった。
「確かにあたしは、あんたから見れば未熟で頼りないかもしれない。だけどね、そんな身体のみのりに戦ってほしくないんだよ。あんたを戦いに出さないためだったら、私はどこまでも頑張れる…気がする。だから、ここは、お母さんは信じてくれないかい?」
さゆりは、じっとみのりの目を見た。
唇を動かし、何かを言おうとしたが、言葉が出てこない。みのりは首を横に振った。さゆりの決意に反対する言葉が、見つからなかったからだ。
「分かったよ。留守番してる」
そう言いながら、みのりは羽箒をさゆりに差し出した。
「これ…ヴォーパル・ウェポンじゃないか」
さゆりは、目を見開き驚いている。自分もきっとこんな顔をしたのだろうと、みのりは思った。
「これ、本物なの?」
「本物だよ。私がお父さんからもらったものなの」
みのりは、自分がつかれた嘘と同じ言葉を使った。
「私が使うより、お母さんが使った方がいいと思う。だって、お父さんがお母さんのために作った武器だから」
さゆりの右手に握られたヴォーパル・ウェポンが、ブゥンと低いうなり声をあげながら光りだした。あるべきところに、戻ったのだ。
「じゃあ、紫菫竜倒してくる。どっちが
「いってらっしゃい」
「頑張ってこいよ」
鏡がキィーンと鳴った。
「なに言ってるんだい。あんたは一緒にくるんだよ!」
さゆりは鏡を壁から取り外すと、革のストラップをつけて背負った。
「大丈夫だよね、お母さん…」
誰もいなくなった店内で、みのりは小さく呟いた。
…。
それから一時間後。さゆりは竜胆湖のほとりにいた。
「テレビで見てたより、全然デカいじゃないか」
「ああ。まるで島だよ」
盾のように、左手にくくりつけた鏡が唸った。
紫菫竜の頭にはうっすらとした雲が巻きつき、その輪郭をぼやかしていた。そのような高みから、さゆりたちを見下ろしている。さゆりも負けじとにらみ返す。肉体の大きさに絶望的な差はあるが、どちらも竜王であることに変わりはない。
気持ちで負けたらダメだ。さゆりはそう自分に言い聞かせながら、紫菫竜をねめつけていた。
『あなた一人? ニセモノの
竜語だ。誰が発したものかは、言うまでもあるまい。
『あたし一人だよ。文句でもあるのかい?』
「オレもいるけどな!」
ポケットからHMDを取り出す。ロマンシア・システムを搭載した新型のHMDだ。
あおいは安芸津の家のガレージで、さゆりの支援をしてくれているはずだ。
HMD、スマートウォッチ、そしてスマートフォンがリンクする。
紫菫竜の竜気があがっている。湖の竜脈から吸い上げているのだろう。
竜気の吸収速度は体表の面積に比例すると、みのりが言っていた。となれば、この山のような巨体はどれだけの速度で、竜胆湖の竜気を汲み上げるのか。
(時間がたつほど、こっちは不利ってことだな)
ポケットの中から、
刹那、紫菫竜が天に向かって吠えた。
「くるぞ」
『出来の悪い子は、おしおきしてあげるわ』
紫菫竜は流星を呼ぶと、みのりから聞いていた。
『それくらいの攻撃、読んでるんだよっ!』
さゆりも鏡を天にかざした。鏡面が強い光を放つ。
雲を突き破って、流星雨が降ってくる。
刹那、空に巨大な魔方陣が広がった。
魔方陣は光を不規則に反射してキラキラと光っている。空を覆うプリズムの天蓋だ。さゆりの障壁を、鏡がブーストしているのだ。
流星雨は、障壁にぶつかると、衝撃音を響かせて砕けた。
『知ってるんだよ、お前の流星じゃ、竜の鱗は貫けないってね』
障壁の傘は、周辺への被害を食い止めるために広げたものだ。
『なんだ、ニセモノに聞いてるのか』
だが紫菫竜の声に、焦燥はなかった。それどころか、甲高い笑い声をあげた。
『アハハハ、アハハハハハ。あの娘の正体も知らないで、ホントおめでたいわね、金剛竜』
『なんだと!どういうことだ!』
『あのニセモノの存在は、私たち
再度、紫菫竜が吠えた。流星にちぎられた雲は消え去り、青空の中を尾を引いて灼熱の塊がいくつも落ちてくるのが見えた。
「サユリ!!」
「わ…、分かってる」
さゆりは鏡を上方にかざした。
だが、魔方陣の広がりが遅かった。
紫菫竜の言葉に、動揺したのはさゆりの方だった。
流星が地をえぐる。爆音と共に大地がめくれあがり、爆炎が土煙を伴って吹き上がった。
ダメージはない。だが、いくつも襲ってくる衝撃波と爆風に、さゆりの小さなカラダは耐えられなかった。
土煙に巻かれながら、大きく宙に吹き飛ばされる。
(みのりができるなら、私にもできるはずだ)
背中と足首に意識を集中させる。
翼を模した光が、背中と足首から大きく広がった。
プリズムの翼を生やしたみのりのように、自在に飛ぶことはできない。だが、ある程度の空中機動はできる。
山と見まがう紫菫竜と戦うなら、空中での戦闘は必須となろう。
だが。
土煙の中を巨大な腕が横切った。前脚だ。立ち上がった紫菫竜が、前脚を振るっている。
まるで小蠅を追うかのような、ぞんざいな動き。風が巻き、土煙と共にさゆりは吹き飛ばされた。
「飛べば戦えるなんて、考えが甘かったかな」
思わず自嘲する。
「そんなことはないさ。地べた貼ってたって、こいつには勝てないだろうさ」
弱点はどこだ。頭か。だが頭に到達するには、あの前脚をかいくぐらなければならない。
「いざって時は、オレが護ってやるさ」
「信じるよ!」
光の翼をはばたかせ、一気に距離をつめる。
前脚。鏡を前にして突撃を続ける。ガチンというすさまじい音と共に、魔方陣が広がった。
その前脚を蹴って一気に飛び上がる。昨日の、みのりとの特訓の成果だ。
雲を突き破り、紫菫竜の頭正面に出た。ヴォーパル・ウェポンを振り上げる。
だが、さゆりの視界のほとんどを覆う紫菫竜の顔は、まるで笑っているようだった。
読んでいたのか? それともさゆりの動きに即応したのか。
紫菫竜は口を開き、あらかじめ貯めていただろう息を、一気に吐き出した。
「歌唱の
なんだそれは。だが叫び声は、竜息の位相とぶつかり合って音にはならなかった。
強烈な音圧にさらされ、意識が保てない。
「サユリ、キツいぞこれは!」
鏡も共鳴をはじめた。
その声が、最後だった。
音の濁流に呑まれ、さゆりの意識が途切れた。
「お母さん!!」
その最中でさゆりは、みのりの声を聞いた。
(つづく)
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