みのりという偶像(アイドル)

ムスメの夢 ハハの夢

 空は光が満ちたように真っ白だった。純白の空の下に、パンジーが咲き乱れる花畑が広がっていた。風が渡ると、色とりどりのパンジーが一斉に揺らいだ。

 美しい。まるで夢の中のようだ。パンジーの絨毯は果てなく続いている。

 遠くから、花を踏み分け誰かが歩いてきた。

 ぼんやりと浮かぶ白い輪郭の中は、うつろだった。目をこらしても、その姿は分からない。

 ただ、女性であろうことは、分かった。

「おかあさん」

 不意に、聞き覚えのある声が響いた。

 忘れもしない。それは娘の…彼女が切望した家族の声であった。

「みのり! どこにいるの?」

 白い輪郭は、もうみのりの前まで来ていた。

「やだな、おかあさん。今のみのりは、おかあさんだよ」

 輪郭が揺らいだ。どうやら、笑っているらしい。

「顔を見せてよ、みのり。声だけじゃなくて」

 白い輪郭が歪み。やがて人のかたちを成していく。そして、見覚えのある姿へと変化へんげした。

 肩を過ぎる黒髪にはわずかに白髪が混じる。簡素な灰色のTシャツの胸はひたすら平らで、腰のくびれも乏しい。

 姿勢も少し前屈みになっていて、おせじにも良いとは言えない。典型的な、くたびれた中年女の姿が、そこにはあった。

 だけど、そのだらしない身体つきとは裏腹に、顔だけは異様なほど美しかった。

 左右対称の輪郭、赤い唇、弓なりの目と黒目がちの瞳、そして長いまつげ。だが、目尻のしわは隠しきれなかった。

 完璧な美貌も、歳には勝てなかったのだ。

「私はもう、みのりじゃない。さゆりなんだよ」

 さゆりはクスッと、小さく笑った。


 さゆりは、パンジーの絨毯に腰掛けた。みのりも、それに従った。

「ずっと、正体を話さなくてごめんね。ヒミツにしていたわけじゃないんだ。みのりがさゆみだと話をしても、おかあさんは理解できないだろうから」

「そうだね。まさかみのりが、自分さゆりだったなんて、想像もつかなかった」

「だよね。私もそうだった」

 うんうんと、さゆりはうなずいた。

「それより念願の18歳の身体はどう? 白髪もしわもなくて、おまけに絶世の美少女。最高でしょ?」

「最高だね。これがレプリカでなければ、本当にステキなんだけど。」

 だけどさゆりを思うと、複雑な気分になった。

 母性の中に、若い自分に対する戸惑いとやっかみ、そして劣等感が感じられるからだ。

 きっと自分も、そうだったのだろう。

 若く美しく、おまけに竜としての力も上回るみのりに、さゆりが焦燥感を感じないはずがないのだ。

 だが、その劣等感こそ、眠っていたさゆりの力を呼び起こす鍵となる。

 かつて自分も、そうであった。みのりの圧倒的な強さに、若さに焦れた。嫉妬した。自分が二度と手に入れられないものだと知って、絶望した。

 だが。だからこそ、せめて竜としての力だけは勝ちたいと、そう思ったのだ。

「今度のさゆりはどう? 竜王キングドラゴンに勝てそう」

「まだ分からない。ただ、今の私から見れば、ホントへっぽこだね。私もあんな風に『みのり』に見られてたと思うと、恥ずかしいよ」

「それは、私も一緒だから」

 さゆりは肩をすくめた。

「だけど、お母さんは私の事を守ってくれた」

 消えゆく意識の中で、首を失ってなお立ち上がった白竜ホワイトドラゴンの前に立ちふさがった。みのりが死んでいないなら、さゆりが倒してくれたということなのだろう。

「そっか。なら、大丈夫かもね」

 さゆりが微笑む。

「そうだね。きっと大丈夫」

 みのりも、微笑みを返した。


 風が凪いで、パンジーが一斉に揺れた。色とりどりの花びらが、白い空の下で宙を舞った。


「さてと。そろそろお別れの時間みたい」

 んしょ、と立ち上がると、さゆりは尻をはたいて草を払う。みのりは座ったまま、さゆりの顔を見上げた。

「私、おかあさんの娘になれてよかった。たった二週間だったけど、本当に楽しかった。カツ丼食べたり、ロードスターで走ったり。一緒にカレーを食べたり」

「服を選んだり、ショッピングモールにいったり」

「だけど、おそろいのシュシュだけは、つけられなかったね。それが残念」

 みのりも立ち上がった。そして二人は、どちらともなく抱き合った。

「おかあさん」

 さゆりの輪郭が、消えていく。これが、永遠の別れなのだと、みのりは悟った。

「おかあさんも、今のさゆりと楽しい生活、送れるといいね」

「私は」

 もう一度、『みのり』と暮らしたい。そう続けようとしたが、言葉を待たず、さゆりはみのりの腕の中から消えた。


 笑顔だけ残して。

 さよならも、いわないで。


 旋風つむじかぜがパンジーの花びらを巻き上げた。

「私も、みのりが私の娘になってくれて、うれしかったよ」

 ひとりでに、涙が流れた。

「さようなら。私のみのり


(つづく)


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