黄沙に吹かれて
顔色が変わったことを、長谷川に悟られはしなかったろうか。
長谷川がいう「ネットの噂」は、実はさゆりの推察と合致するものであった。
「最近の竜の出現パターンを見ると、そこに必ずに
長谷川の言うとおりだ。これまでの出現傾向を見れば、都合良く竜殺しのいるところに竜が出ているように見えるのだ。
「で、私たちが竜を呼んでいるとでも?」
「あくまでネットの噂です。しかし、そう言われていることについて、竜見さんはどう思っているのか、ネットユーザーを代表して聞いてみたいと思って伺った次第です」
「どうとも思わないよ」
「それは無責任ではありませんか?」
なぜか、長谷川の語気も強まった。
「実際、ここ連日の竜の出現によって、市民の生命や私財に影響が出ています。もし竜が竜殺しを狙って現れているなら、竜殺しの存在こそが一般市民の安全を脅かしているのではないかと、そうネットでは言われています」
長谷川がまくし立てる。
「実際、竜殺しがいるところに、竜が出ているのです。そう思われるのも仕方ないではありませんか?」
みのりと出会った夜、駅前広場で馬瀬川に浴びせられた罵声を思い出した。
なにが事実だ。勝手に正義を背負い、勝手な憶測で、勝手に断言をする。馬瀬川もこの男も、まさにこのタイプだ。断言することで事実と思わせ、人々の不満をあるベクトルに変換し、己の力とする。昨今流行しているらしいヘイトスピーチは、まさにこのような人間が作っているのだ。
「実際、竜殺しは竜と同質と言われています。御厨の竜殺しも、最後は竜になって死んだ。ならば、『仲間』である竜を呼ぶことだって可能ですよね?」
「できるわけないだろう」
「だったら、呼べない証拠を見せてください」
人間は異質なものを嫌う傾向がある。それは社会性動物の常である。しかし、人間は動物の限界を知性で克服した。
その知性こそ人間と獣の差であるとは思うのだが、人間は誰しも賢く道徳的なわけではない。異質なものを排除したいと思う気持ちは、誰しも大なり小なり持っているはずである。その嫌悪感が強まると、皮肉なことに人間の社会性動物の面が現れる。すなわちヘイトの共感である。そしてヘイトは、やり場のない怒りや義憤をはらんで大きく
「呼べないものは呼べない。そうとしか言いようがないよ」
「では、それを証明してください」
この長谷川という人間も、言葉遣いこそ丁寧であるが、竜殺しをよく思っていないのは明らかであった。さゆりに向けた目にも、軽蔑の色がチラチラと映る。
「じゃあ、迷惑をかけたお詫びでもしろというの?」
「仮にその説が事実だったとしたら、不安になっているネットユーザーに対して説明する義務があるのではないか、と言ってるです」
「それをお詫びって言うんじゃないかね?」
「どう受け止められても結構です。ともかく、私の質問に答えてくれませんか?」
長谷川の声に露骨な苛立ちが見えた。もう我慢の限界だ。
「誰にも詫びません! その必要もありません! 私たちは全力を尽くしています!!」
さゆりが何か言う前に、みのりが二人の会話に割って入った。長谷川の失礼な態度に、みのりは怒りをあらわにしていた。
「おかあさんは…竜殺しは、命をかけて竜と戦い、人々を護っているのです。なのになぜ、そこまで言われなくてはならないのですが?」
みのりの声は、まるで鋼の短刀のように鋭かった。この娘がこんなに怒るなんて。
そうだ、初めて会った時も、
この峻烈さもまた、みのりの一面なのかもしれない。
「それは、あなたたちがいるから、竜が呼び寄せられているという仮説は蓋然性が」
「じゃあ、このニュースをどう思いますか?」
長谷川の言葉を遮り、みのりはスマホをかざした。そこには、
「長谷川さん、中国やロシアに竜殺しが何人いるか、知っていますか?」
「いえ…」
「0人ですよ。竜殺しが生まれる土壌が、ユーラシア大陸にはほとんど残っていないんです。特に中国は有史以前から龍が顕現する、龍の本場でした。だから19世紀ごろに、龍を生み出す竜脈は枯れてしまった」
「そんな話、今は関係ないでしょう。私は、ネットユーザーの代表として、竜が竜殺しのいる場所に」
「だから、今回の黄龍出現によって、あなたやネットの仮説は前提から全てが覆ったと言っているのです。分からないのですか、こんな簡単な話?」
みのりはスマホを長谷川の鼻先につきつけ、挑発的な口調で長谷川を煽る。みのりの豹変ぶりに、さゆりも思わず肩をすくめた。なんとなく、血気盛んだった若い頃の自分を思い出した。
「しかし昨日までは、竜殺しがいるところにしか竜がでなかったから」
「だからそれは今、
「…」
「SNSの噂なんて、無根拠な出所の話で、命がけで竜と戦っている母や、命を捨てて都民を護った御厨の竜殺しを侮辱する気だったのですか? そんな権利が、あなたにあるのですか? それがナウパックスというニュースメディアのやり方ですか?」
みのりに気圧され、長谷川は黙ってしまった。女子高生に完全に論破されてしまい、ひたすらハンカチで額の汗をぬぐって、居心地が悪そうな表情を浮かべていた。
「なんにせよ、勉強不足でしたね、長谷川さん。とりあえず100時間超くらい、竜と竜殺しの勉強してから、取材にきてください」
言いくるめられたのが悔しかったのか、長谷川は詫びることなく、挨拶もすることなく、麓へと下りていった。
「ったく、人の時間を無駄にして。あれで取材してるなんて、よく言えるね」
「呆れちゃうね。意識が低いのよ、きっと」
でも、すこし愉快だった。みのりは、さゆりの言いたいことを全てを言ってくれた。気持ちいいくらい、言い切ってくれた。さゆりが言ったら、単なる自己弁明に過ぎないと思われた事も、この娘は言ってくれた。
そんなみのりは、スマホを見て「あー!」と叫ぶ
「そろそろ、核攻撃が開始される時間だよ。急ごう、おかあさん」
二人は店の中へと入った。
それにしても人民解放軍は手際が良い。核の使用を即決しただけではなく、弾道ミサイルの再設定もなにもかも含めて一時間でこなしてしまうのだという。いや、対外的なメンツと国内統制の強化材料として、無理矢理一時間内に収めようとしているのかもしれない。
なんにせよ、この黄龍への核攻撃は中国にとっては、アメリカや南沙諸島を巡って争っている東南アジア諸国に対する、デモンストレーションの意味合いもあるのだろう。
実際、人民解放軍はチャンネルを解放し、観測機からの映像を全世界の報道機関へと提供しはじまったらしい。ザッピングすれば、全てのキー局がこの核攻撃の生中継映像を配信している。ちょうどワイドショーの時間ということもあり、日本のテレビ局にとっても都合が良かったのだろう。
まもなく、テレビ画面は閃光と共に暗転した。黄龍の姿は目映い光球に変わった。砂漠の上に白い波紋が広がり、赤く輝くキノコ雲がゆっくりと立ち上る。
核爆発を見ると、胸がうずく。さゆりの中で最も嫌な記憶、敗北の屈辱が呼び覚まされるからだ。
キノコ雲だけが残された映像が流れ続ける。戦いは終わっただろう。竜は竜殺しがいなくても倒せるのだ、と、誰もが思ったに違いない。
だが、老いさらばえても、黄龍は
「こんな核一発で、終わるわけがない」
みのりがつぶやいた。
瞬間、キノコ雲から、無数の稲妻が砂漠へと降り注いだ。雲は暗雲となって広がると、映像もガタガタと揺れ始めた。爆発の衝撃波と共に、暴風が観測機を襲ったのだ。
黄龍は天象を司る龍だ。おそらく核爆発が生み出した何らかの力が、黄龍の力を強めてしまったのだろう。
それは70年前、アメリカが犯した過ちと一緒であった。
「くっ! そういうことか!」
さゆりは畳を拳で叩いた。なぜ黄龍がゴビ砂漠に現れたのか、答えが分かったのだ。
リリリン、リリリン…
緊迫した空気の中で、ベルの音が響いた。店の電話が鳴っているのだ。
「なんだよ、こんな時に!」
また下らない取材かもしれない。電話は無視することに決めた。
「私が出てくる!」
そんなさゆりの決定に気づかず、トトトと足音を鳴らして、みのりは店まで駆けていった。
「おかあさん! 警察からっ!」
間もなく、みのりの声だけが返ってきた。
「警察?」
「乙ヶ宮陸上競技場に赤竜が出たって!」
思わず舌を鳴らす。
「なんだってこんな時に!」
もう、テレビを見ている場合ではなくなった。
「私、制服に着替えてくる!」
階段を駆け上がる音が聞こえた。さゆりも戦いの準備を進める。
黄龍の方はからくりが見えた。この先は、もうニュースを見る必要はない。結末が見えたからだ。
なんと忌々しいことか。
「そういうことか…
誰もいなくなった居間で、さゆりは再度つぶやいた。
(つづく)
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