宵に咲く火花

「現在、ベアトリスは治療のための代理祈祷を受けているはずなので、ちょっと様子を見ておきたいと思ったのです」

 そう簡潔に述べながら、イェーナは一歩前に立って俺を連れていく。

 階段手前の広間を突っ切り、壁に空いた扉のない出入口の一つを通り抜ける。そこからさらに二つほどの部屋を通り抜けると、突き当たりの大部屋に出た。


 その場所は、これまでとは何やら様子が違っていた。

「あの、イェーナさん、ここは一体……?」

 大きさとしては先程の砦の長と会った部屋の半分程度で、やや広めの大部屋だ。

 だが、この部屋は何というか、一つ前までの部屋と違って生活感がない。加えて、なんだか空気がひんやりしている気がする。

「ここは儀式の間です。主に神官が儀式に使用する場所で、私たち戦士階級の者は普段はあまり入らない部屋ですね」

 その説明に俺はなるほどと頷く。

 要するにここは神々の目に触れやすい空間なのだ。例えるなら境内とか聖堂とか、そういうものと同等だ。そりゃ他の部屋と同じ扱いなわけがない。

「それで、ベアトリスは左の部屋にいるはずなのですが……まだみたいです」

 言われて俺もイェーナの視線を追いかける。

 この儀式の間には出入口は三か所、俺たちが入ってきた後ろ側に一つと、左右の壁に一つずつだ。

 その左側の部屋からは複数人の声が確かに聞こえてくる。おそらくこの先では神官によるベアトリスの代理祈祷というのが行われているのだろう。


 と、そんなことを考えていると、不意に手首を掴まれた。

 跳ねる心臓をなんとか押さえつけて横を見ると、イェーナは顔を俯かせていた。握ってくる細い指は、かすかに震えていた。

 ぽつりと、イェーナが弱音を零した。

「……あの子も戻ってこないんじゃないかって、思ってしまって」

 常に冷静でよく気の回る普段の彼女からすれば、らしくない言動だろう。

 だが俺は知っている。薄い薄いガラス板のような、儚く脆い彼女の姿を。

 ただ、それでも、無責任な「大丈夫」を言うことは俺にはできなかった。どうも俺はそういう人間なのだろう。

「一緒に、付いて来てくれますか?」

 だから、せめてこれくらいはしっかり答えようと思った。

「ええ、もちろんです」



 手首を掴まれたまま、俺はイェーナに続いて部屋の入口へと向かう。

 すると、薄手のローブのようなものを纏った女性が俺たちを出迎えた。

「ベアトリスの状態ですが──っと、そちらは?」

 そちら、というのは明らかに俺のことだろう。それに何と返事をしようかと考える暇すらなく、イェーナは答える。

「こちらはカジナ様、私たちを窮地から救ってくださった方です」

「カジナです」

 その言葉で、ローブの女性の目が大きく見開かれた。

「まあ、あのかみきの! 詳しい話をいろいろとお聞きしたいところですが……ひとまずそれは後にしましょう」

 そう言うと、ローブの女性はちらりと後ろを振り返った。部屋の中には、台の上に横たわったまま動かない少女と、それを囲む神官らしい男女複数人が延々と祈りを捧げているのが見えた。

 完全に知識がない俺でも、まだ終わっていないことだけは分かる状態だ。そして実際はそれよりも悪い状況らしかった。

「時間は掛かりましたが、外傷はほぼ塞がりました。ですが危惧した通り、未だに意識が戻る兆候すら見られていません。祈祷はこのまま夜通し続けますが、どう転ぶかはフィルグクー神のご意志次第ですね」

「そう、ですか……」

 答えるイェーナの声が沈んでいるのも無理はないだろう。聞いた限り、助かる可能性は五分かそれ以下というような印象で、明るく振る舞えというのが無理な話だ。

 俺にも、そしてイェーナにも、出来ることはないようだった。だからもう戻ろうと声を掛けようとした、その時だった。

 不意に、部屋の中がざわついた。

「何事ですか」

 俺たちの応対をしていたローブの女性が振り返った。その背中越しに、俺とイェーナも部屋の中を覗き込む。

「目が……意識が戻ったようです」

 見えたのは、今まさに起き上がろうとする青髪の少女の姿だった。


「ベアトリス……!」

 困惑したざわめきを断ち切ったのは、イェーナの一声だった。

 その一言に一体どれだけたくさんの思いが込められているか、俺には想像もつかない。

 ローブの女性が二人の間の道を開け、後はイェーナが駆け寄っていくだけに見えた。

 だが、イェーナはそれ以上進むことはできなかった。

「イェーナ、サイラスが死んだって、本当?」

 放たれたのはゾッとするほど冷たい声。同時に、傍から見ていて身がすくむほどの強烈な視線。

 イェーナには息を振り絞って答えるのが精一杯だった。

「え、ええ、残念だけれど、本当なの……」

「そう」

 そんなそっけない一言の後、俺は自分に矛先が向くのを冷や汗が出るほど痛烈に感じた。

 見開かれる真紅の瞳は、寸分違わず俺を貫く。

 視線に串刺しにされたかのように動けない俺に向かって、青髪の少女は歩を進めてくる。

 そして少女の両手が伸びてきた、と思った時には俺は首元から前に引き込まれていた。

「……あんたが、カジナ?」

 か細い両手が俺の胸倉を掴んでいた。

 そうして、俺の両目に少女の真紅の瞳が、瞳から放たれる刺すような視線が突き付けられた。

 数時間前に命懸けの死闘を経験していなかったら、きっと情けなく震えていたに違いない、強烈なプレッシャー。

 俺はなんとかいつも通りの声色で答えた。

「俺が、カジナです」

 瞬間、胸倉を掴む手に力が入った。そして、わなわなと少女の細い体が震える。

「そう……あんたが、あんたのせいで――」

 瞬間、

 ドガッガギャギャギャッ!!

 と、異様な騒音が室内に響き渡った。少し遅れて軽く横揺れする地面。

 そして聞こえてきたのは、襲撃を知らせる怒号だった。

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