あの日いえなかった純文学―北東の風―

讃岐建治

北東の風


 昨夜からしとしとと降っていた雨はとりあえず上がったらしかった。僕は遅い昼食をとると偏向的でつまらない新聞をなげうって大そうじに取り掛かった。


 ふだん使わないような筋肉を動かして慣れない姿せいが続いたせいか、五時前には節々が痛くなった。まい日家中をそうじしている母に頭が下がる。そうじはまだ途中だが花とファイルを買わねばならないので先に買い物へ出ることにした。

 年に数回行く程度のスーパーは夕方の買い物客でごった返していた。店頭には年始用の食材や正月用品が並べられている。中国産甘栗がばばぁりと居並ぶ展示台の片隅にひとつ、岡山県産を認めて手に取る。

 花はあまりいものがなかったのでもう一軒廻ることにしてスーパーを出ると、駐りん場に一人のすらりとした女性がいた。髪は黒長のストレイトで垂らしてある。その垂らし髪とひざ頭まで覆う黒のニーソックスが印象的であった。

 ヘルメットをとり出しながらふと見ると、彼女もこちらを見ていて目が合ったが二人ほぼ同時にそらした。

 それからまた気になって顔を上げるとまた目が合った。今度は互いにそらさず先刻よりも長く見つめ合う。彼女は買物袋を提げたまま目をしばたたいている。

 「こんにちは」

 僕は上体を少しゆらせるような動作をつけて声をかけた。彼女は目をそらさず、また逃げるように立ち去りもしなかった。

 「――寒いですね」

 トクンと彼女はうなずいた。

 「きょうは此のあと何か予定はありますか」

 僕の問いかけに、彼女はしばらく黙したまま、答えを探すかのように瞳をくり、くりと彷徨さまよわせた。僕は其のかん、彼女の髪をすり抜けていく北東の風をじっと見つめていた。

 「……いいえ、特には」

 「僕は此のあと大そうじの続きなんですよう」

 微笑を湛えていうと、彼女はきょとんとした。

 「――でも、予定変更です。善かったら御茶でも飲みませんか」


 スーパーの裏手にはいくつかの店舗が寄り集まった小さな区画があった。鍵屋、やきとり屋、本屋、たこやき屋、ヘアサロンという並びになっている。前に見たときはやきとり屋の処にペットショップがあったはずだが、いつの間にか喰うほうに変わっている。

 ヘアサロンの二階は軽食のとれる喫茶店で、よく窓辺の席に若い男女が楽しそうに向かい合っているのを見上げてはため息をついたものだ。若しも其のため息を回収して分析してみたら、高台の御城を見上げる平民のため息とよく似た成分が観測できたことだろう。

 そんな平民がきょう初めて御城に足を踏み入れたのである。それも単なる見学者ではなく、晩餐会ばんさんかいの招待客として。こういう時、格好をつけてふだん飲み慣れないものを注文したりすると、かえって恥をかくはめに陥りかねないので、コーヒーが評判の店だろうがカクテルパーティの席だろうが僕はいつもミックスジュースをたのむことにしている。けれど、此の日は何か温かいものを両手でくるみたかった。そこで、彼女と同じものを択んだ。


 「ふだんはどんな事をしてるの?」

 注文品が来ないうちから、僕は彼女に話しかけた。

 「……仕事です。事務の」

 「そう。僕は小説とか書いてるよ」

 仕事として書く商業作家じゃなくて完全に趣味だけど、なんとなく得意げにいう。

 「小説?」

 「うん」

 「…………どんな、小説……」

 初めて目にする食べ物をつつきながら――これって食べられるのかしら――みたいな反応であるが、僕は待ってましたとばかり口を開く。

 「うむ、と今書いてるのはねえ、何ていうかなあ、よくわからないな。書いてる本人もよくわかってない――」

 ――だから完成しないのかもなあ、といって項垂うなだれると、彼女はくすっと微笑んだ。ほんの少し緊張が解けたか。

 「純文学ていうジャンルがあるんだけど、それにはリアルなっていう意味もあってね、お話は架空でも現実とかけ離れた非現実的な設定とか、遠い未来の話とかは出さないで、ごく日常的な内容を書くわけ。そういう意味では僕が書いてるのは不純文学かな。

 主人公にとっては割と現実的で、また別の登場人物にとっては日常的だったりするんだけど、全体的にはどこかうさんくさい。まあ、うさんくさい人間が書くんだから、なんとなくそうなっちゃうんだろうねえ」

 いい終えてから僕は御城の水に少しだけ口をつけた。暖房とは異なる熱源に、その水は心地好くみた。

 「うさんくさい人なんですか?」

 「そんな風には見えないでしょ」

 「いきなり声かけられました。スーパーの駐りん場で」

 「買物するつもりで来たのはほんとうだよ。ただなんとなく、君のことが気になったから」

 「え?」

 といって彼女はかすかにまつげをわななかせた。

 「何だかね、目が合った時――あ、この人と話をする爲にきょう此の時間にここへ来たのか――って何となくそう思った」

 「……。」

 彼女はしおれるように目線を下げる。

 「何だかね、アレに似てると思った。ダンボールの中で寒さとひもじさと寂しさで、もう吠える元気もなくなった子犬。どうして自分は独りでこんな処にいるんだろう。どうして自分はこうなってしまったんだろう。どうしてなんだろう。どうして――」

 ほろ、ほろと彼女はまばたきと同時に大つぶの涙をこぼした。そのうちのひと滴はくっとみ引いた口唇こうしんを湿らせてあご先に留まった。

 「ああ、ごめん! 初対面でいきなり捨てられた犬みたいはないよね。そりゃあ涙が出るほど怒りますわな。ごめんなさい」

 僕は素直に謝って頭を下げた。

 彼女は頭を左右に振った。涙がテーブルに降る。

 どうやら僕をゆるす気はないらしい。弱ったな。犬が嫌いな人なのか――。

 「違う」

 「え?」

 「違うの。そうじゃなくて」

 彼女は涙に暮れる目をふにふにぬぐう。

 「そうじゃなくてね……」

 しかしグラスに据えたまま僕を拒絶する彼女の目では涙がやまず、肝心のそうじゃない理由はなかなか言の葉に成れなかった。

 そこへウェイトレスがやって来て、気まずげにカップを二つ置いて行った。きっと僕のことをドチクショーめと想ったことだろう。店員の誤解をときたかったが、温かい飲みものが気を落ちつかせるのは古今東西純文学に見えることなので、僕はまずひとくち飲んで見せてから、彼女にも飲んでごらんと勧めた。

 そのとき、彼女のグラスの氷がかわいらしい咳をして、北東の風が御城の窓をどうっと駈けていった。その窓には、にじんだ人影がひとつだけ映じていた。



(2016年12月)


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