第70話・高校卒業

 別れの日がきた。ついに高校卒業だ。クラスメイトの、およそ三分の一は岐阜近隣の名古屋圏の美術系大学に、別の三分の一は東京の有名美大、芸大に進学し、残る三分の一は「浪人」として次の一年間を過ごす。いやしくも美術系の大学を目指そうという類いの人間は、浪人することを恥とも感じないし、むしろ、一年間余分に勉強ができる、くらいに考える。この不遇をかこつ日々は、はっきりと、歴然と、劇的にうまくなれる期間でもある。うまくなるという目的に没頭するわけだから当たり前なのだが、逆に言えば、浪人時代に成長できないやつは、はっきりと才能がないので、その道をあきらめざるを得ない。あきらめざるを得ないが、こういう気質の連中なので、あきらめない。何浪でもする。それが美大受験生の覚悟というものなのだ。

 そもそも美大に入る人間は、入る前までにうまくなっていないとまずい。大学に入ってから学ぶのは、上手な画の描き方ではなく、創作、すなわちオリジナルな作風の創出と思想の洗練なので、入ってから技術的にうまくなろう、というのでは手遅れだ。なので美大の受験時代は、ひたすら下地を磨き込む作業に費やされる。そして、上手になった者だけが美大に入れる。浪人生は一年を(あるいは数年を)かけて、なんとしてでもそのスタートラインをクリアしなければならない。落とされるのは、下手だからだ。下手は、治る可能性がある。だから、がんばる。とにかく、つまらない大学に入って恥をかくくらいなら、何年でも浪人する!・・・というスタンスが、はち切れんばかりの野望を抱く美大受験生に共通な気質と言えよう。なので、一生のうちの少々の時間を棒に振ったところで、誰もへこたれないのだった。

 さて、野望を叶えるチャンスをもらった合格組は、岐阜の田舎から名古屋圏へ、さらには大阪、東京の都市圏へと散っていく。ひと旗揚げて芸術界を揺るがそうという気概なのだから、刺激を求めて都会へと向かうのは、光に向かう蛾と同じくらいの自然の法則だ。なのに、真逆の下流域・金沢に流れ落ちようなどというシブいチョイスをした者がここにいる。落ち着いて考えてみれば、なんてことをしてしまったのだろう。ほんの少しの後悔が首をもたげてくる。ひょっとして、ムサビにいった方がよかったんだろうか?・・・まあ、その通りではある。少しでも将来のことを考えたら、東京へ出るべきだったのだろう。うっかりとしたものだ。しかしこのぼんやりとした男には、相変わらず頓着というものがない。高校を出た今、あるのは、誰も知り合いのいない街で、孤高に生きていく決意だけだ。それまでの生活から完全に脱却して、新しく生まれ変われる。社会的な関係性を、完全リセット。なんと心ときめく環境ではないか。とにかく、合理性なんてない。そうしたい気分だったから、そうしたわけだ。

 ちんや苅谷は、超難関を突破してムサビのデザイン科に入り、小栗はタマビに(多摩美術大学=私立美大ではムサビと双璧)、ある者は日芸に、大阪芸大に、女子美に・・・そしてクラスの何人かは晴れて、美術系の最高ランク・東京芸大に進むことになった。一方でキシは、タマビを受験して落っこちたため、上京して美術研究所に通いつつ、ドテラを羽織る生活を送る予定になっている。だが、恥じ入る必要はない。浪人時代の様々な経験を作品世界にぶ厚く反映させれば、トータルとしてペイできる。それはそれで実質に整合している。すべてが正解なのだ、この世界においては。

 みんな各々の道に分かれ、それぞれの将来を耕していくことになる。いったん枝分かれはするが、何年もすると再び、峰の高い地点で顔を合わせるわけだ。そのときまで、しばしの別れだ。みんな、元気で。

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