第65話・夜空の向こう

 学校からいったん田舎町の家に帰り、とろとろとひと眠りしてから、夜中に起床。翌日の授業の準備をして、深夜の11時過ぎに再び家を出る。暗闇の中にぼんやりと明かりが灯るプラットホームから上りの終電に乗り、岐阜市内へ取って返す。到着した駅ビル前は、すでに人影もまばらだ。酔い客待ちのタクシーの運ちゃんに訝しがられながら、ダイエーの駐輪場に置きっぱにしてある、相棒チャリ「カマキリ号」で学校に向かう。手提げの中には、居間のサイドボードからくすねてきたサントリーオールドのボトルと、コーラ。そしてイカ姿フライや、コメッコ、ベビースターラーメンなどのアテ。今夜も宴だ。ペダルを漕ぐ足に、わくわくと力がこもる。

 警官に呼び止められたら、ただではすまない。深夜徘徊どころではない。チャリ→拾得物横領&学校の登録ナンバー偽造。ウイスキーのボトル所持→未成年飲酒防止条例違反。そもそもこの時間に出歩くこと自体が、青少年育成条例違反。そしてこれから学校に忍び込めば、建造物侵入罪だ。しかし昭和時代の岐阜市内は、駅前から100メートルも離れると森閑とした暗闇に包まれ、パトロールの目も行き届かない。悠々と夜間通学ができる。ただ、途中に「金津園」というとてつもないソープランド街がきらびやかに横たわっているので、この界隈だけは注意怠りなく切り抜けなければならない。

 静まり返った学校。正面門は、もちろん閉ざされている。チャリを担ぎ上げ、鉄柵越しに校内に放り込む。そして自分もジャンプ。柵の高さは1メートル20センチくらいなので、やすやすと飛び越えることができる。街灯の薄明かりを頼りに、校舎へと向かう。「屋上飲酒部(学校側無認可)」のメンバーは、まず施錠の甘い彫刻室に集まることになっている。そこで落ち合い、みんなで協力して校舎をよじ登って、二階の窓から侵入を開始する。同級生の肩に足を掛けて壁をよじ登るのもスリルだが、女子の細すぎる手首をつかんで引き上げるのは、別の意味でドキドキする。

 校舎内では、明かりをつけることはできない。失敗は二度と繰り返すまい。手探りで階段をのぼり、休み時間にダベっているおなじみの踊り場から屋上に出る。するといつも、視野いっぱいに満天の星空がひらいた。そこは天国にいちばん近い場所だ。昭和の夜空を知っているだろうか?それは、目くらむような暗黒の空間だ。そこに大きな大きな星ぼしが無数に散りばめられている。輝ける闇といえる。あっちの地平線からこっちの地平線まで対角に、天の川が渡っている。仰向けに寝そべりさえすれば、視界の端を流れ星がかすめる。それらはあまりにおびただしく、右に、左に、額の上に、アゴの下に、あるいは鼻先に落ちてくる。ほとんどは一瞬時にはかなく燃え尽きてしまうが、しばしばそれは長々と尾を引き、夜空を袈裟懸けに切り裂いて、漆黒の宙にいつまでも残像をとどめる。

 ウイスキーを、プラスチックカップの中でコーラ割りにして、男子たちは酌み交わす。また、勇猛な女子たち(美術科の先輩は、彼女たちを「デインジャラスフラワー」と名付けた)は、一升瓶から欠け茶碗でやっている。淡い予感など皆無。チューも、チチモミもなく、また色っぽい囁きもない。ただ輪になって、酒を飲みつづけ、バカ話をしつづける。そして、ケラケラ、くくく、と声低く笑い合う。酔いがまわると、寝そべり、夜空を見つづける。やがて朝になると、真っ赤な顔でふらふらになりながら、腫れぼったい目で朝日をまぶしくながめる。意味のない、しかし大切な、夜通しの集会だ。そんなことを、しょっちゅうやっている。

 受験は迫っている。進路も決めなければならない。が、それよりもこの、自由で、愉快で、胸苦しいくらいに切ない時間をもうすぐ奪われてしまう、という事実に、焦る。仲間たちと笑い合いながら、心の底で泣きたくなる。

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