第63話・「コンプレックス/虚像の周辺」

 古風な映写機に、音響はカセットデッキ。映像と音楽だけで構成された作品のため、両者のスタートのタイミングを合わせないと寒い事態になる。このあたりは、反復練習で呼吸を合わせたクラスメイトたちがいい仕事をし、ピタリとスムーズにいった。大きなスクリーンの中で、ついに数ヶ月間の右往左往の成果が動きはじめた。

 異様な緊張感だ。観客たちは、息をつめて見守っている。主人公(オレ)が鉄階段をのぼる姿を真下から写した画づらに、オープニングタイトルがかぶさる。画面構成も、字づらも、その立ち上がり方もかっこいい。ちょっとしたどよめきが起きる。細部までつくり込まれているのだ。キシや編集スタッフの徹夜作業のおかげだ。キシは、してやったり、のにやけ笑いを暗闇の中で浮かべているにちがいない。

 しかしオレはというと、ちんこが縮み上がり、尻がむずがゆくて、観ていられるものではない。なによりも、ギョッとさせられる。こんなにもぎこちなく表情をつくっていたのか、こんなにも不細工に立ち動いていたのか、こんなにも不自然な芝居をしていたのか、こんなにも、こんなにも、こんなにも・・・と。そのたびに総毛立ち、叫び声を上げて走りだしたくなる。冷や汗がだらだらと背中を伝いまくり、まったく違った意味で、手に汗を握りしめる。ああ、逃げ出したい!発狂しそうなそんな自分を抑え抑え、凍りついたまま、30分が過ぎゆくのをひたすら待ち焦がれる。

 ところが、上映会場は奇妙に落ち着いていている。それどころか、みんな食い入るように映像に没入している。ところどころで感嘆のため息が漏れる。あるいは息を呑む気配が、あるいは笑いのさざめきが。そのことごとくが監督の狙い通りなので、へえ、と思わせられる。

 エンドロールが下から上に流れだすと、ここに至ってもどよめきが起きる。クラスメイト全員の表情のコマ撮りとキャプションが、うまく構成されている。「END」の字が出て、フィルムが止まり、場内が明るくなるまで、この観客たちの敬意に満ちた空気は持続された。そして、突如として万雷の拍手。キシはスクリーンの前で、後ろ頭をカキカキ、謝意を述べている。のんきなやつだ、こっちの気も知らないで。オレはそそくさと教室に戻り、ワキ汗じとじとのシャツを着替える。マジでびちゃびちゃだった。

 ああ、叫びたい。いや、とっとと家に帰って、布団にくるまってうめきたい。深い深い自己嫌悪にさいなまれる。が、そんなオレの思いと反比例して、いつしか「虚像の周辺」は学内で話題の中心となっていった。伝説が築かれようとしている。ウワサがウワサを呼び、ヤジ馬がヤジ馬を呼び、上映時にはいつも長い行列ができ、定員を超える観客を入れるはめになった。その模様が新たにセンセーショナルな驚きを呼び、毎回、会場は大入り満員。壁ぎわを立ち見客がぎっしりと取り巻き、立錐の余地もない。

 一夜にしてスターダムにのし上がった主役氏が廊下を歩くと、涙目の女子が「感動しました」と駆け寄ってきたり、見も知らぬ後輩男子に「すごかったです」とマムシドリンクを渡されたりした。まるで「トシちゃん」のような扱いだ。なんだか悪い気もしないので、どヘコみはすぐにおさまった。が、上映を観ると、再び自分の内部に根深い嫌悪が湧き上がってくることは避けられない。もう二度と観ないようにしなければならない。上映会場を、注意深く迂回するようになった。

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