第55話・かたいいし

 硬い石に向かうオレの意志は固かった。

 ・・・と、ちょっと言葉遊びをしてみたが、ま、聞き流してもらいたい。それにしても、なんという石の硬さよ。

 彫刻に用いる石の中で最も硬いのが「黒みかげ石」だ。そいつの塊・・・といってもほんの端材だが、素人のオレから見れば立派に見える石塊を、タマイ先生から与えられた。オレはここんとこ毎日、そいつを石ノミでトンカントンカンと小突き倒している。が、果たしてこんな非力な一撃を一万回くり返したところで、希望通りに形が変わってくれるものだろうか?それほどまでに、石は硬い。こうなると、自分の意思の固さに迷いが生じてくる。いや、気後れしてはならない。ライバルたちの手前、ここはやり遂げなければ。

 タマイ翁は、ゴマ塩頭で、細い目に穏やかな微笑みをたたえた好々爺だ。高校教師を腰掛け仕事にやっつけながら(・・・かどうかはわからないけど)、石の彫刻作品を発表しつづける石彫作家さんでもある。すっとぼけた雰囲気を漂わせながら、県内の彫刻界のボスと言っていい。事実、彼の作品は岐阜市内の街角のそこここに散在している。見上げるほどの石彫作品をふと見つけ、さては、と思って足下のネームプレートを見ると、「タマイ」のサインが入っている、という具合いだ。その作風は、抽象的というよりは記号のように象徴的で、シンプルかつプリミティヴ。割れ跡や粗いノミ目を残しつつ、重要部分を砥石で磨き上げてメリハリをつけるという手法だ。石の素材感を際立たせる朴訥さが好ましい。洗練を感じさせるようなものではないが、その力強さと存在感は、オレにとって目標でもある。

 そんな巨大な作品の、おそらくは端っこを切り落としたかけらが、ひとかかえほどものサイズなのだ。彼の作品のスケールをわかってもらえようか。そうした端材が、高校の彫刻室の外にゴロゴロと転がっている。そいつをタダでせしめ、卒制の作品に仕上げてしまおう、というのがオレの算段だ。もちろんタマイ先生は、気前よく分け与えてくれる(「こんなもん、いらんし」)。タバコの煙に取り巻かれながら、好々爺はいつもの優しいまなざしを、このときばかりは鋭く光らせる。よさそうなものを選んでくれているのだ。

「ふむ。これあたりがえーやろ」

 そうしてお眼鏡にかなったのが、冒頭の黒みかげ石だ。ありがたく、そのおこぼれを頂戴する。

 オレの意志は固かったが、目の前の石はさらに硬かった。タマイ先生から下賜された石ノミの刃を、黒みかげ石に向けて立て、げんのう(トンカチのドでかいやつ)を打ちつける。その瞬間、手の平に電気のような衝撃が走る。それは骨にまで響く、まるで歯痛のような激しい信号だ。痛みというよりは、やはり「衝撃」としか表現できない。それでいて、石面には白い小さな小突き跡が残るだけだ。なんとも、途方もないものに手を出してしまったものだ。しかしそれは後悔ではない。逆に気合いがみなぎってくる。強大な敵を打ち負かしてこそ得られる達成感。そいつを求め、新たな充実の日々がはじまった。

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