第46話・深夜+1

 深夜の校舎に集まっての酒盛りは、定例会のようにつづけられている。みんな手に手に酒やツマミを持ち寄り、暗闇の校門を飛び越える。ぴょんっ・・・たっ・・・ひたひたひた・・・月明かりの下、中庭を通り抜けるときも、足音をひそませなければならない。そのクツの擦過音の、耳に響くことといったら。付近住民がいっせいに目を覚ましそうにも思える。しかし実際には、それは小さな小さな音で、誰の気を引くこともない。そんな自分たちの態度が滑稽で、クスクスと笑い合う。その声の、また耳に響くことといったら。メンバーはよけいに笑い声が止められなくなる。

 侵入口である窓は、あらかじめカギが空掛かりの状態に細工がしてある。その窓から棟内に這い込み、廊下を懐中電灯で進む。ここでも光が漏れないように、細心の注意を払う。今夜は日本画室で、あるいはデッサン室で、はたまた屋上で・・・と、いろんな場所で宴を開いた。静まり返った美術棟は、もはやわれらの別荘だ。グループを律する掟として、普通科や音楽科の校舎には決して足を踏み入れなかった。その作法を侵すと、ただの泥棒になってしまう。その点だけは、厳に慎んだ。ひとのものに手を付けることも、決してなかった。我々は、ただただ酒が好きで集まっているだけなのだ。そしてそれは、お互いの知性・感性をヤスリにかける行為であり、大人になるためのイニシエーションでもあった。

 中心人物はキシとオレ、そして豪傑の女子たちで、あとはさまざまな同級生がゲスト参加してくる。しかし、定着する者は少ない。誰もが「酒を飲む」という行為には興味を示すものの、「普通の」高校生にとってそれは実際に飲んであまりうまいものではないため、すぐに飽きてしまうようだ。見つかったら相当にヤバい、という行為でもある。一度のお試しで好奇心を満たすと、誰もが「普通の」世界に戻っていった。相対的に我々主要メンバーは、次第にクラス内で蛮族化していく。東の空が白みはじめるまで酒を食らい、日本画室のタタミの上や、彫刻室のふわふわのスタッフ(天然繊維)をしとねに、束の間だけ眠った。太陽が昇り、デッサン室に同級生たちが集まりはじめたら、しれっと起き出す。吐き気を押さえつつ、歯を磨き、顔を洗う。赤ら顔でカロリーメイトをほおばる徹夜飲酒組は、呼気からも体臭からもエーテルのコロンを濃密に漂わせている。へべれけ、と誰の目にも明らかだ。そもそも、宿酔いというよりも、ついさっきまで飲んでいたわけなので、足元もろれつも心許ない。よくこれで見とがめられないものだ。しかし美術科の教員陣ときたら、総じておおらかなもので、ああ、この生徒は昨夜酒を飲んだのだな=早く成熟したがっているのだな・・・というありがたい距離感で見守ってくれている。連中もきっと、オレたちの年の頃には同様のことを経験し、そうして成長していったにちがいない。

 侵入者たちの警戒感は、罪を犯すごとにゆるんでいく。ある夜、男子三人きりで集まったときのことだ(女子がいなくて、本当によかった)。あれほど慎重を期していたのに、つい蛍光灯を煌々とともした教室で酒盛りをしてしまった。ぶ厚いカーテンを締めきってはあるが、どこからか明かりが漏れていたのだろう。それに気付くことなく、オレたちは紙コップをあおり、さきイカをしがみ、大らかに笑っていた。三人の笑みが凍りついたのは、そのときだ。

「おいコラ・・・」

 廊下から、聞き慣れたしわがれ声が発されたのだ。その低音の響きは、深い怒気を含んでおり、野生動物の威嚇のうなり声に酷似している。廊下の暗闇の中に、さらに真っ黒な影を見たときは、本当に腰を抜かしそうになった。これほど怖い画づらを見たのは、生涯で何度もない。真っ黒な顔面のさらに落ちくぼんだ影から、眼光が爛々と輝いている。

「夜が明けたら、体育教官室に来いや・・・」

 まるで落とし前をつけようというヤクザだ。それだけを言うと、のぼるは音もなく、再び暗闇の奥へと姿を消した。

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