第45話・硬骨のひと

 彫刻室は、粘土のドロ、それが乾いて舞い上がった土ぼこり、石の粉、木っ端、金属のサビ、そして各種素材の切れっパシなどが床一面にまき散らされ、すさまじく汚い。しかも、おびただしい道具類が猥雑に散らかり、それのみで早くもアーティスティックな空間となっている。周囲を汚し、自らも汚れ、その代償にギョクを磨き上げる。それこそが彫刻科の意気と心得なければならない。そうしてホコリにまみれて毎日を過ごすうちに、清潔の観念は麻痺していく。やがて彫刻科の生徒たちは、その汚れ自体にホコリを見いだすようになるのだ。

 彫刻室では、ピーターというウサギが飼われていて、クロッキーなどのモチーフにされる。やんちゃ極まるこいつは、なかなか有用だ。彫刻科においては、静止した対象物の外観を写し取るのではなく、運動自体を作品の中に捉えなければならない。そういう意味で、放し飼いのピーターは打ってつけだ。ところが、この奔放な生き物は、どこででも気ままに黒いパチンコ玉状のものを落としていく。そのため、彫刻室は奇妙なニオイをこもらせている。足元に落ちている物体が、土なのか、ピーターの落とし物なのか、判別がつかない点にも悩まされる。

 ピーターを抱いてやると、彼はその頑丈な前歯で服をかじってくる。美術科の生徒らは、作業で汚れてもいいように黒いダボダボのスモックを着ているのだが、こいつが徐々に面積を減らしていく。彼はなぜだか、オレのスモックがいちばん好きなようだ。好きにかじらせておくせいで、オレのたたずまいは日に日に凄みを増していく。そのズタボロのうす汚れっぷりは、まるで世紀末の天才芸術家のようだ。同時に、公園のベンチで寝るタイプのひとのようでもあるが・・・

 オレのそんな姿を女子たちはおもんぱかり、たまにスモックの破損箇所を修繕してくれる。ところが、そこにあてがわれる生地のチョイスがおかしい。破戒僧が羽織るようなシブい黒生地にうがたれた穴には、やはり黒生地か、それに似た渋いものを合わせる方がいいのではないだろうか?ところが彼女らは、鮮やかなオレンジや、レモンイエロー、スカイブルーの布地を用意してくれるのだ。そんなビビットなツギハギのおかげで、オレは奇妙にポップな「竹下通りを歩くひと」のようになってしまい、完全に威厳を失いつつある。しかし、女子に縫いものをしてもらうという立場は、まんざらでもない。オレのスモックに、カラフルな縫い跡はどんどんと増えていく。

 彫刻科に所属して以来、どういうわけか、他の学科の女子によくモテる。浮世離れしたそのバンカラな出で立ちが、育ちのよい音楽科や普通科の生徒たちの心をワシづかみにしてしまうのだろうか?彼女らの過ごす崇高極まる校舎から、わが魔窟のような彫刻棟が真正面に見え、その謎の世界への好奇心もあるのかもしれない。

 髪を伸びっぱなし気味に散らかしたオレは、前髪の生え際のところをシュロ縄で結んでいる。ガサガサの縄のハチマキだ。ところが、これがウケるらしい。音楽科の女子に、「そのカチューシャを下さい」などと言われたときは、「は・・・?か・・・ちゅー・・・?」・・・その単語がなにを指しているのか、意味がわからなかった。意味がわかった後も、「なぜこんなものを・・・?」と、どこまでも意味がわからなかった。そして、またも別の女子がやってくるのだ。彼女たちは必ず、ふたり組で現れる。どちらかがくねくねしていて、どちらかが快活だ。そして言葉を発する最初に「あの・・・あの・・・」をつける。うーむ・・・心ときめくこと果てしないが、こちらはバンカラ路線でゆくのだと思い定めた彫刻科男子だ。突っ張らねばならない。「そこにいっぱいあるから、いくらでも持ってけよ」と、素っ気なくシュロ縄の山を指差すことしかできない。彼女たちは、オレの粗野な振る舞いに対し、おそらくは心の底からがっかりとし、崇高で清潔な校舎へと戻っていく。思えばこの頃は、女心というやつをまったくわかっていなかった。

 クツ箱、スモックや学ランのポケット、そしてどう忍び込むのか、教室の机の中にも、たまに手紙が入っている。相手の顔もわからないのだ。こんな大時代なマンガのような話が本当にあるのか、とドキドキしてしまう。ところが奥手のオレは、気味の悪いその手の問題をどう処理していいかわからず、いつもほったらかしにしてしまう。まったく、オレが愚かな男子なのか、男子というものが愚かなのか・・・この年頃というのは、どうしようもない。

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