第18話・お父ちゃん

 お父ちゃんは、実直なひとだ。早朝、マジメに会社へ出かけていき、夕刻、寄り道もしないで帰ってくる。午後6時台の家族そろっての晩ご飯には、遅れることなく席に着いている。そして燗酒をすすりながら、出されたものを黙々と食べる。その他に、タコとキュウリが好物で、自分で勝手にざくざくと刻んでは、酒のアテに口に運んでいる。お母ちゃんもばあちゃんも飲まないので、ひとりでの晩酌だ。

 子供たちに対しては、いつも素っ気ない。ベタベタしないのだ。超然としている、という言い方のほうが正確だろうか。それはある種の照れからきているのだろう。子供と目を合わせることさえ照れくさがる気がある。しかし、こちらから甘えにいくと、こよなくやさしい。なついた犬をかわいがるように接してくれる。お見合い結婚をしたお母ちゃんとはフツーに仲がいい・・・というか、人間的距離感を保てるが、ばあちゃんに対しては、ぎくしゃくと奇妙な遠慮がある。ムコ養子のお父ちゃんは、この家の中で、自分の身の置き場に困っているかのようだった。それは、オレが大人になってから知ることなのだが。

 お父ちゃんはいつも晩の食事を終えると、注ぎ口の長い熱燗用の徳利にもう一杯分を温め、買ったばかりのカラーテレビの前に座る。ジャイアンツが好きで、王だの張本だのを、声もなく応援している。しかし子供たちは、地元・ドラゴンズの方が気に入っている。オレたちは父親の横で、彼の好きなチームとは反対側のベンチにいる星野だの高木だのに声援を送る。本当はドリフが観たいのだが。

 三軒長屋には風呂がない。そこで週に二回ほど、弟とふたり、お父ちゃんに連れられて「お風呂屋さん」、すなわち銭湯に出向く。銭湯はごぼぜこ通りの向かい数軒先にあるので、子供はパンツ一丁でも行き来できる。父ちゃんは風呂桶を手に、子供たちはお気に入りのおもちゃを手に手に、その短い道のりを通う。

 「ゆ」と書かれた大きな暖簾をくぐると、あたたかい水蒸気の匂いが満ちている。番台でおばちゃんにお金を渡せば、男だけの裸の館に突入だ。お母ちゃんについていくときは女子風呂にも入ったが、自尊心が邪魔をするこの時期になると、もう恥ずかしくてゴメンだ。おちちがふくらみはじめたみどりちゃんは、父子家庭なのか、いつも父親と一緒に男風呂に入ってくる。マジで勘弁してほしい。

 冷蔵庫の中のジュース類の品ぞろえを確認し、指名手配ポスターの加藤三郎の顔をにらんでから、脱衣場で全裸になる。脱いだ服を入れるのは、足元に積み上げられた竹カゴだ。かっこよく碗型に編み上げられていて、子供としては一応その中に入ってみて遊ぶのが習わしだ。カゴの他にも、壁一面に升状に仕切られた棚が設えてある。その升もまた、子供のからだがぴったりとおさまるので、なかなか愉快な遊び場となる。まず小さな仕切りに尻から入り、空いたすき間に足をねじ込む。じりじりと奥に這い進んで、肩と頭をおさめる。まるであつらえたような広さだ。ヤドカリが巻き貝のカラに這い込みたくなる気持ちがわかる。

 立派な富士が壁一面に描かれた浴場には、みっつの古い湯舟がある。とろんと淀んで薬くさい湯が「薬草湯」。子供たちはここにおもちゃを持ち込み、暗い沼のような水中で闘わせる。湯の中を電気が流れているのが、謎の「ビリビリ湯」。湯舟の両サイドに付けられたまな板のような装置が、プラスマイナスの電極になっているらしい。手を近づけると、電気ショック拷問のように体内を電流が貫いて、あちこちがツリそうになる。まったく物騒で、ここに入るときは油断できない。深くて広くてやたらに熱いのが「デカ湯」。水で埋めまくった一角でバタ足や潜水をしたり、オットセイのマネをしたりする。門前町の大人たちは悠然としたもので、洗い場で迷惑な水しぶきを浴びながらも、鷹揚な笑いで返してくれる。元気な子供たちの姿は、この通りの象徴なのだ。

 そんな横でお父ちゃんは、濡れタオルを頭にのっけ、危険な電流や熱い湯にじっと耐えつづける。なにを思うのか、ムコ養子どの。

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